第3話 死人の領地
時は流れ、大陸暦1117年。
ベルガー王国を覆っていた暗雲が突如として晴れた。
国王サリウス自らが主導したクーデターにより、宰相テスタ・シャイニングの暴政は終焉を迎えたのだ。
腐臭漂う平和は終わり、民の顔にようやく真の光が戻り始めていた。
テスタは断頭台の露と消え、彼の作り上げた寄生虫の巣は一夜にして瓦解した。
翌1118年4月。春の柔らかな日差しが降り注ぐ王都ベルンは、活気を取り戻し通行人に笑顔が溢れている。
そんな中、商業区画に佇む一軒の魔導具店に漆黒の外套を羽織った男が静かに入ってきた。
サリウス王の懐刀、秘書官テシウス・ハーヴェストである。
彼は7年の時を経て歴史の影から、この国の中枢へと舞い戻っていた。
「これはテシウス殿。ご足労いただくとは。御用であれば、こちらからお伺いいたしましたものを」
店の奥から現れた店主ヘクターは、茶色の縮れ毛に精悍な壮年の人物。
彼の顔が引き締まる。
今のベルガー王国を実質的に動かす男の突然の来訪が、ただの買い物でないことは明白だった。
そして己に用があるならば、それは十中八九、邪教絡みだと直感する。
テシウスの背後に控える護衛の騎士も、ヘクターの予想を肯定しているようである。
凛々しい長身に、右目が隠れるほどの鮮やかな赤毛。当年21歳の近衛騎士団員オルタナ・アーノルドが会釈してくる。
麒麟児と呼ばれるオルタナの鋭い眼光は、僅かな異変も見逃さぬと告げていた。
余談だが、オルタナは8年前の南部諸国連合王国の王、ガンギルを打ち破ったアデル・アーノルドの第二子であり、女性である。
「いえ、ヘクター殿。こちら側に用があるのです。不躾な来訪の非礼、お許しいただきたい」
深く一礼するテシウスに、ヘクターは慌てて奥へと促す。
「ささ、立ち話も何です。どうぞ中へ」
そんなヘクターの言葉を遮るように、奥から落ち着いたようでいて誂うような女性の声が響いてくる。
「クスクス、私は席を外したほうがよろしいかしら?」
現れたのは薄紫色の長い髪を揺らす絶世の美女。ヘクターの妻のディアナである。
自然な仕草で夫の隣に立った。
「いえ」
テシウスは顔を上げて言葉を続ける。
「奥方にも、ぜひお聞きいただきたい話です」
オルタナもまた、穏やかな声で言葉を継ぐ。
「おや、ディアナ殿。お腹がずいぶんと目立つようになりましたね。まこと、めでたいことです。どうぞ、お身体を労ってください」
2人の穏やかな物腰とは裏腹の、張り詰めた空気感。
ヘクターとディアナは顔を見合わせて確信した。やはり、邪教だ。かつて2人が深く関わった、大陸を覆う闇の根源にして元凶。
ヘクターはベルガー王国北東に位置するダーランド王国にある孤児院の出身だが、そこは邪教崇拝に染まっており、成長した彼は冒険者となり時折現れる邪教の魔女の指示で動いていた。
ディアナもまた、恩人が邪教に利用され自害した過去を持つ。その後、復讐心で邪教と接触し、真実を追求するために邪教へ協力した。
過去の闇が、再び2人の運命と繋がる。
重厚な椅子に腰を下ろしたテシウスは、淀みない口調で切り出した。
「先刻、マーイン領に派遣した視察官が戻りました。結論から言えば、領主マーイン伯爵及び、親族の誰一人として姿を確認できなかった、との報告です。……この状況、昨年末に同盟国ファインダで発覚したニーマイヤー侯爵領の事件と酷似しております」
「ニーマイヤー……」
ヘクターが重々しく呟く。
「何年も租税の滞納がなかったのに、蓋を開ければ当主一族はとうに死亡しており、唯一の生き残りだった令嬢が邪教の魔女になっていた、というあの……」
サリウス王政権下で劇的に改善された隣国ファインダ王国との関係は、今や軍事同盟を結ぶまでに至っている。
それゆえに、かの国の震撼すべき事件の詳細はベルガー王国の中枢にも共有されていた。
「クスクス、面白いことになりましたわね。邪教に与していたクラーク侯爵家の双子を脱獄させたのも、そのルリア・ニーマイヤーと、我が国のシャルロッテ・ルインズベリーという話。ファインダの侯爵令嬢3人と、ベルガーの公爵令嬢が、揃いも揃って邪教の魔女だったという顛末。為政者の皆様は気が気でないでしょうね。『我が国にも、死人の領地はないか』と」
「ディアナ。不謹慎だ」
面白がる妻をヘクターが窘めるが、テシウスは静かに手を振った。
「事実、その通りです。租税に問題がないにも関わらず、長く公の場に姿を見せぬ貴族に、今、厳しい目が向けられています。我が国でもルインズベリー公爵家が邪教の魔女ジーニアによって全滅を遂げた直後、唯一の生存者であったシャルロッテ嬢はジーニアに誘拐され姿を消しました。ですがリオーネでの脱獄に協力していたことから、誘拐が茶番であったのが断定できます。マーイン領でも似たことが起きている可能性が高いのです」
「マーイン領を、いの一番に疑う理由は何でしょう?」
「アルベルト・エイエス一族が南部との戦いで自刃後、かの地を治めるテオ・マーインは、王都近辺で裏稼業をしていた魔女を雇い、同行させています。名はヴィルマ。ご存知でしょうか?」
ヘクターとディアナは首を横に振る。その頃はディアナは王都を離れ旅をしており、ヘクターはダーランド王国にいたために。
「ヴィルマはマーイン一族の血統が途絶えたら、領地が消滅する呪いをかけたと噂話がございます。そのため、苛烈極まる税の取り立てを行い、テスタへの貢物も膨大な額を毎年捧げていました」
「領地が消滅する呪い……七英雄物語で、イフリートがかけたやつですな。結果、古代王朝アネクネーメの街全体が滅んだという……」
七英雄物語は伝承を参考にしているとはいえ、事実かは不明の書物である。
ただ、魔王軍との戦いで南部にあった王朝が滅んでいるのは遺跡から事実と認知されている。
「それで、私にその内情を探れ、と?」
ヘクターの問いに、テシウスは深く頷いた。
「商人としてかの地に潜入し、マーイン一族の確認と、魔女ヴィルマの現状を探っていただきたい。無論、無理はなさらずに。貴殿の手腕を以てしても領主一族に接触できぬ場合、その時は私が視察の名目で直接赴くつもりです」
静謐な言葉と共に、再び深く頭を下げるテシウス。
断るという選択肢はヘクターにない。
王がファインダ王国との会談で長期不在の今、王都を預かるテシウスが動くことのリスクは計り知れない。
国内情勢、ファインダ以外の外国の動向。テシウスが王都にいなければ後手に回ってしまうだろう。
そんな存在の代役を任されるのは、過去を思えば望外の信頼である。
「……承知いたしました。このヘクター、謹んでお受けいたします」
「感謝します。奥方の出産予定日までにはお戻りください。それが任務の期限です。それと……護衛として、オルタナ殿を同行させていただきたい」
テシウスの言葉に、ヘクターは目を見開いた。
「ご冗談を! オルタナ殿は陛下が直々に貴殿の護衛にと指名された騎士。陛下の御心を無にするなど、滅相もございません!」
「クスクス、あら、私は別に浮気を疑ったりはしないわよ?」
「そういう問題じゃない! ……いや待て、男女の道中だ、そういう問題でもあるか! むしろ疑ってくれた方が気が楽だ! 任務の後、ファインダからお戻りになったラシル近衛騎士団隊長に、何日も詰問されるのは御免被るぞ!」
夫婦のやり取りに、オルタナがくすりと笑みを漏らす。
「言った通りでしょう、テシウス先生。ヘクター殿は私の同行に首を縦に振らないと」
彼女は王立学校教師だった頃のテシウスの教え子でもある。非公式な場では、テシウスを先生呼びするのが常だ。
「だが、事は急を要する。実力、信頼性、共に貴女以上の適任者はいない」
「その結果、テシウス殿、貴方が暗殺されては本末転倒です。貴族派は貴殿を常に狙っています。ニクラス宰相やレスティア家が後ろ盾にいるとしても、旧シャイニング派閥は大勢いるのです。……ご安心を。このヘクター、マーイン領の調査、必ず成し遂げてみせます」
胸を叩くヘクターを前にしても、テシウスはなお説得の糸口を探るように黙考する。
彼の慎重さは時に執拗ですらある。作戦は常に必勝でなければならない。失敗は敗北ではないが、人材の死は取り返しがつかないのだから。
誰もが次の言葉を探す静寂を破ったのは、ディアナだった。
彼女の神秘的な声が紡がれる。
「……テシウスさん。もうご心配には及びませんわ。私の占いによれば、もうすぐ現れるはず。貴方の悩みを霧散させ、そして……新たな悩みの種を植え付けてくれる、賑やかな一行が」
彼女の言葉の意味を測りかね、テシウス、ヘクター、オルタナの3人がディアナに視線を集中させた直後。
店の中心の空間が眩い光と共に歪んだ。
空気が震え、魔力の粒子が嵐のように吹き荒れる。
光が収まった後に見知った顔ぶれの一行が現れた。
ディアナだけが、すべてを知っていたかのように微笑んでいる。
現れた一行の中心に立つ、金髪ショートヘアの少女が真っ直ぐにテシウスを見据え、凛とした声で叫んでくる。
「叔父さんにお願いしたシャルロッテの件、テシウスさんが却下したと聞きました! いったいどういうおつもりか、はっきりと説明していただきます!」
少女の名はローゼマリー・ベルガー。
サリウス王の姪であり、先王の第一王女。当年16歳。
公には5歳で病死したとされ、歴史から存在を抹消された、運命の奔流を生きる者。
現在は魔女ローゼとして、冒険者として、仲間たちと共に邪教を追う旅を続けている。
テシウスは数百キロも離れた地から自分に文句を言うためだけに、これほど高度な集団転移を成功させた元王女に内心呆れつつも、彼女の碧い瞳に宿る揺るぎない意志と、確かな成長の証を見て、ほんの僅かに口元を緩めた。




