Lo20.鹿との再戦
"狂嵐の奈落鹿"ラグナディア……
目の前にいたのはまさにそういう異名に相応しい異様でした。
絶望を振りまくように、怖気のする魔瘴を周囲に撒き散らす。それはちっぽけなユーくんと比べると、あまりに大きな怪物でした。
先日の交戦でユナさんにやられた傷の様子は……片目は潰れ、首と腹の斬り傷からドス黒い瘴気がかすかに漏れていますが、前見たときのように血は流していません。黒いべったりとしたタールのようなものが傷口を塞いでいました。鹿はじっと動かずに座っています。
「あの傷大分深いんですけど……ちょっと回復してませんか?」
「そうね。でもまだ弱っているようにも見えるわ」
ユナさんの与えたダメージはやはり1日やそこらでは完治しなかったようです。だけど、あのときの鹿の傷の深さと出血量は、まともな動物ならとっくに死んでるようなものでした。それが短期間でここまで治るとは……混沌魔物の生命力はすさまじいです。
そして何よりも恐ろしいのは、あの魔瘴の汚染力です。ここら一帯の樹木が黒く変色し、歪んだりねじ曲がったりしています。空気も灰色で気持ち悪いです。森の中、鹿が動き回ったと思われるあちらこちらがそんな惨状でした。
たった1頭の混沌魔物が一日であんなに環境を汚染するとは……ユナさんが10年後か20年後くらいには世界が終わるって言ってましたけど、どこもあんな感じになってしまうんでしょうか?
「……チーちゃんはここにいても平気みたいね?」
「ちょっと怖いですけど、ユナさんがいるから平気です!」
「んー、怖いとか怖くないとかそういう話じゃなくてね。まぁいいか。平気みたいだし」
「えっと……?」
ユナさんがなんか納得したように言いました。ちょっとお! 一人で意味深なこと言って一人で納得しないでくださいよお! 気になるじゃないですか!!
「まぁとにかく……始まるわよ」
鹿は座ったままです。まだ気付いていないのでしょうか? ユーくんが木の陰で剣を抜き、両手で構えて集中しました。神気が剣に集まっているのを感じます。どうやらたった1日で剣に神気を集めることが出来るようになったみたいです。日頃からやっている必殺剣のイメトレの成果でしょうか?
【伝説の魔剣ユナ・ブレード】の紅い刀身が神気に包まれて輝きました。キラキラ光って綺麗です。剣の周りの濁った空気が浄化されていきました。鹿もようやく異変に気付いたのか、警戒を露わにしてのそりと立ち上がろうとしました。
そのときユーくんが木陰から飛び出して思い切り剣を振りかぶり、渾身の力で斬りつけました。光る一撃がその身を覆う魔瘴ごと鹿を切り裂きます。ユーくん、遊びが全くないガチの一撃でした。練習なら叫んでる必殺技名も全く言ってません。勇者というより、暗殺者みたいな行動でした。
でも、どうみても必殺の剣です!
「やりましたか!?」
「いや……駄目ね。勝負を急ぎすぎたわ。」
不意打ちの先制攻撃は、これ以上ないほどの理想的なタイミングで命中し、鹿の首の中ほどまで刃は到達しました。ですが、そこで大剣は止まりました。
大木の幹のような太さの鹿の首を切断するまでには至らなかったのです。
そして、なんと鹿は首に剣が刺さったまま突進しました。
あまりに無慈悲な体格差。ユーくんの身体はあまりにも軽く吹っ飛びました。
彼女の体は、まるでボールのようにゴロゴロと地面転がっていきます。
「ユーくんっ……!?」
私はまたあのときのようになってしまうのではないかと思いましたが、ユナさんの見立ては違いました。
「上手く転がったわね」
ユーくんは立ち上がりました。あれだけの突撃を受けて派手に吹っ飛んだのにどうしてでしょう?
「あの子、昔から転ぶのが上手いのよ。おかげで上手く衝撃を逃がしたわ。それに攻撃は左の小手で受けてる」
確かにユーくんは土まみれになりましたが、血が出てるように見えません。ただ、攻撃を受けたと思われる左手はだらんと垂れ下がっていました。
「で、でも! 武器が刺さったままです!」
「そうね……ひとまず助かったけど、状況は良くないわ」
ユナ・ブレードは鹿の首に深々と刺さったままでした。ユーくんは今武器の無い状態です。
ラグナディアが追い討ちをかけるように木々をなぎ払い突進していきます。ユーくんは転がるようにして、かろうじて避けました。
「な、なんであんな首に刺さったまま元気いっぱいなんですか!?」
「混沌魔物は狂ってるからよ。確実に息の根が止まるその瞬間まで暴れ続けるわ。それに……神気の量が足りない」
見れば、ユーくんに斬られた首もジュクジュクと黒いタールみたいな魔瘴が覆っていました。治ろうとしているのでしょうか?
そして三度、鹿が突進しましたがかろうじてユーくんが避けました。すれすれの危なっかしい避け方です。防戦一方、あれではいつ当たるか分かりません。
しかし鹿は立ち止まり、突進はそこでピタッと終わりました。
何か嫌な予感がします。ラグナディアに嫌な力が集まっている……そんな感じです。
ラグナディアの狂気に染まった目が怪しく光りました。その瞬間、周りにある瘴気に染まった黒い樹木が動き、ムチのようにしなる太い枝が、ユーくんの背中に命中しました。
ユーくんは不意打ちを受けて吹っ飛びます。今のは何なんでしょうか? あの鹿が木を操った?
それだけで攻撃は終わらず、また違う木がユーくんに襲いかかりました。ユーくんは避けれず、横腹に受けてしまいました。
「な、なんですかあれは」
「魔法よ。あの鹿は恐らく樹木を操る魔法を使える。体当たりが当たらないから、痺れを切らして使ってきたわね」
「何のんきに解説してるんですかユナさん! このままじゃ、ユーくんが……ユーくんが……!」
操られてる樹木は1本や2本ではありませんでした。多数の樹木が、あらゆる方向からユーくんにムチを撃ってきます。ユーくんはまだ動けてますが、いくつか命中して転がりました。
「このままでは、またユーくんが死んでしまいますよ!」
「そうね。死ぬわ」
ユナさんがこちらを見ずに冷たく言い放ちました。普段の口調とは違う、まるで別人のようなユナさんでした。それでも私はユナさんに食ってかかります。
「助けないんですか、ユナさん!」
「私は助けないわ。あの子がこれから身を置くのは、そういう戦いだから」
「ユナさん……?」
なおも樹木による攻撃は続いています。ラグナディアはまるで獲物をいたぶるように、嗜虐的な笑みを浮かべているような気がしました。一撃でトドメを刺すような攻撃では無いですが、ムチのようにしなる太い枝をあれだけ受けてユーくんが無事なはずはありません。
段々、攻撃に当たる回数が増えてきました。
「私は助けないわ」
ユナさんは再度言いました。それ以上何も言いませんでした。どうして、そんなに冷たく言い放つのでしょうか?
……なるほど分かりました。そうですか。そういうことですか。
ユナさんが言わんとしていることが分かりました。そして、ユナさんがこの場に私を連れてきた意味も。
ユナさんがユーくんのことを見捨てるはずないんです。そんなの、いちいち考えなくても当たり前です。
それさえ分かっていれば、私がやるべきことも分かりました。
私はユナさんの腕からヒョイと降りました。思った通り、ユナさんは止めませんでした。
そのまま、お父さん棒を持ってあの憎たらしい巨大鹿に突撃しました。
「それなら私が相手だあーーーーー!!!」
いま戦うべきなのは私です!
ユーくんを見送る立場のユナさんではなく、ユーくんと一緒に旅に出る私なんです!
いつまでユナさんという絶対強者に頼っているつもりなんですか。これからは私が……勇者ユージア・フレットの仲間になるんです!
そして何より……目の前で小さな女の子がいたぶられててこの私が平気でいられるはずがありません!
私の身体から白いオーラがあふれでます。するとラグナディアの視線がこちらに向き、周りから樹木がわさわさと動き始めました。私に向かってきているようです。反応が早い! 怖い! でも、私は止まりません!
鹿の魔法で操られてしなる枝は予想以上に多くて太くて早くてビュンビュンとしてて怖かったんですけど、無我夢中で走り抜けたら……なんかいけました!
気がついたら目の前にはゾウのような巨大な鹿。私はぴょんと飛んで思い切りその脚に神気をまとったお父さん棒をぶつけました。
「うりゃああーー!! いてこませぇーーーー!!!!」
気合い入れすぎてヤクザのような叫び声が出てしまいました!
私の棒が当たった箇所に神気を思いっきり送りこむと、ラグナディアの体を覆っている黒い瘴気が剥がれていきます。
ユナさんが昨日つけた傷口からもジュクジュクしたタールのような黒い瘴気が剥がれ、どす黒い血が再び吹き出ました。
≪ギエエエエエエエエエ!!!≫
人の悲鳴にも聞こえるおぞましい声が苦痛をうったえるように鳴り響きました。あまりの大音声に大気が震えて私の耳がキーンと鳴ります。
鹿が一歩引きましたが、血走った目がこちらをギロリと見つめました。体を覆う魔障は剥がれてそれなりにダメージは負ったようですが、それだけでは倒れませんでした。
鹿が脚を振り払い、私の身体を吹っ飛ばしました。ふわっと宙に浮く身体。そのまま地面に背中から打ち付けられて、ドンという衝撃が身体を巡りました。
痛みより先に痺れを感じます。上手く動けません。起き上がれません。
ラグナディアがゆっくり近づいてきます。一歩一歩……スローモーションのように見えました。
早く逃げないと駄目だ……そう思いつつも、なかなか身体は動いてくれません。巨大な怪物が、目の前に来ていました。
ユーくんを助けに来たつもりが、ちょっと振り払われただけでこの有り様です。ただ鹿がその脚で地面に転がってる私を踏みつけるだけでゲームオーバーです。勢いだけで飛び出してきたのに、なんとも情けないですね……
でも何故かそのとき、不思議と恐怖を感じませんでした。おかしいですね? 感覚がバグったのでしょうか?
いや、なんでしょうか? 確信? なんとなく、そのとき何かが起こる気がしたんです。
私がそのとき感じた感覚。なんというか、すごいエネルギーを感じました。間近で巨大な爆弾に火がついたような、そんな感覚。
ユーくんが立っていました。土まみれのボロボロになりながらも、ふらりと立ち上がっていました。私の感じたすごいエネルギーの気配は、ユーくんから発せられていました。
この気配は、神気とは別物です。白くてキラキラしていません。あえていうならば燃えるようにゴウゴウと感じる赤いエネルギーです。
ユーくんが、ラグナディアに手の平を向けました。
「チーちゃんをいじめるなああああああ!!!!!」
怒りの叫びと共に、ユーくんの手の平から巨大な火柱が発生しました。まるで大砲のような勢いで、その巨大な火柱はラグナディアを覆いました。
火につつまれたラグナディアは叫び声をあげる間もなく、黒焦げになりました。
ドスンと地響きを立てて、巨大な黒焦げの塊が倒れました。
その光景を見て、私は呆然と呟きました。
「……えーと、なんですかこれ?
私、もしかしていらなかったのでは……?」
ユーくんは火柱を放った後、糸が切れたようにぱたりと倒れました。
後には巨大な黒焦げの塊と、延焼して山火事が発生した森が残りました。
……えっと、この惨状どうすれば良いんでしょうか?




