Lo13.神の気
怪物鹿は先ほどのユナさんの攻撃に一瞬怯んでましたが、やがて怒りをあらわにして吼えました。
動物の鳴き声とは思えない、人間の悲鳴のような甲高くて不気味な鳴き声です。
私は思わず恐怖に身震いしてしまいましたが、ユナさんは少しの動揺も見せずに泰然と立っていました。
ユナさんの体から、白く神々しいオーラが立ち上ります。棒きれで岩を割ったときと同じオーラです。
……ユナさんなら大丈夫。私はユナさんのことをしょうもない嘘をつくのが趣味の面白お姉さんだと思ってますけど、本当は優しい人だと知っています。
私の命を救ってくれたし、私が居候することになっても嫌な顔ひとつせずに受け入れてくれました。
だから、きっと大丈夫です。
「……そうだ、ユーくん! 大丈夫ですか!?」
私は倒れてるユーくんの様子を見ました。
右腕が変な方向に曲がってて、頭を打ったのか血を流しています。小さな子どもがこんな怪我を……思わず目を背けたくなるような痛々しい姿でした。
でも、目を背けちゃ駄目だと自分を叱咤します。
元いた世界では救急救命講習を受けています。こういう場面に遭遇するのは初めてで自信は全く無いですが……それでも私に出来ることをやらなくては。
まずは意識の確認。とんとんと肩を叩いて呼び掛けます。
「ユーくん、ユーくん! 大丈夫!?」
呼び掛けましたけど、ユーくんからは返事がありませんでした。
次は呼吸と心音の確認です。
……呼吸はしています。心音もあります。
良かった……と安堵しますが、どこか苦しそうな苦悶の表情を浮かべています。
ユーくんの体に、黒い瘴気が纏わりついていました。
あの怪物鹿から食らったのでしょう。先ほど森の草木を黒くしたり変形させたりした魔瘴です。人体に悪影響が出ないはずはありません。
「っそうだ! 止血!! いや、ポーションだ!!」
頭の出血を止めなくてはいけません。包帯は無いですけど、幸いにもこの世界にはポーションという便利なものがあります。私の元いた世界ではありえない回復効果を持つ、魔法のようなお薬です。
森に行くときはユナさんが必ず持たせてくれるので、当然私は持っています。私は服の袖でユーくんの頭の血を拭き取り、ポーションを傷口にかけました。
これで治るはず……
……おかしいです。血が止まりません。
ユナさんの作ったポーションの効き目は間違いないはずなのに。
……傷口が魔瘴に覆われています。私が手で払っても、魔瘴は消えません。それどころか、周りの皮膚もどんどん黒く変色していきます。
まさか、これが回復を阻害してるんですか?
≪ギエエエエエエエエエ≫
人間の叫び声のような、おぞましい雄叫びが聞こえました。空気が灰色に染まっていきます。
ユナさんと鹿の戦いを見ると、ユナさんの服は鹿のものと思われるどす黒い返り血に染まっていました。
怪物鹿の方は片目が潰れ、首と胸あたりから大量にタールのようなどろどろの黒い血と瘴気を垂らしています。
ユナさんが優勢です。信じられないことに、あの巨大な怪物を小さなナイフ1本で圧倒していました。
だけど、明らかに致命傷を負っているはずの鹿の目はまだギラギラと輝いていて不気味でした。
怪物鹿が血をだらだら流しながらも、大きく息を吸い込みます。鹿の体を覆っていた魔障が吸い込まれ、腹の中に入っていきます。
ブレスでも吐くつもりでしょうか?
そのとき、怪物鹿の血走った目がニタリと笑ったような気がしました。
鹿が唐突に標的を変え、ユナさんではなくこちらの方に向きました。
ユナさんはそれに気付いて跳んで来ました。
「伏せて!!!」
ユナさんの声に反応した私は、ユーくんを庇うように身を伏せます。
怪物鹿が口を開け、咆哮とともに黒い魔障のブレスをこちらに向かって放ちました。
このままでは当たる、と思った瞬間、白いオーラに身を包んだユナさんが私たちの前に盾となって立ちふさがりました。
「ユナさんっ!?」
そのまま黒いブレスはユナさんに直撃しました。ユナさんが壁になり、私のところにはブレスが来ませんでした。
「ユナさん! ユナさんッ!」
「大丈夫よ~」
私が必死に呼び掛けると、黒い瘴気を払ってユナさんが現れました。
良かった……無事で……
「しかし、逃げられちゃったわね~。まぁ、いいか」
ユナさんはいつものように微笑みました。今の一瞬で怪物鹿は黒い瘴気を残して消えてしまいました。ブレスを目眩ましにして逃げたのでしょう。
瘴気を辿って追いかけることも出来そうですが、ユナさんはその気はないようです。
「いいんですか? あの鹿は……」
「今戦っても手持ちの武器も貧弱だし、泥仕合になりそうだったしね~。もっとちゃんと準備してから再戦かなー」
あの鹿は存在するだけでも邪悪で野放しに出来ない感じがしましたが、ユナさんがそう判断したならそれを信じます。
今はそれよりユーくんを……
「……えっ」
ユーくんの呼吸が止まっています。私は血の気がサッと引いて、気が遠くなるような感覚がしました。
そんなはずが無いと思いながらも、ユーくんの脈を取ります。右手……首筋……と触っていきますが、何の脈動も感じられません。心臓が、止まっている……?
そんな……さっきまで動いていたはずなのに……
嘘です……こんなこと
こんなに良い子が、こんなに小さな子どもが、
こんな……こんな目に……
「……チーちゃん、落ち着いて」
私の肩にユナさんの手がかかりました。ユナさんは、あくまで平静でしたが……いや、いつもよりずっと冷静に見えました。ただ、普段のゆるやかな雰囲気が出ていません。
「まだ終わったわけじゃないわ。体温もまだ残ってる。傷も致命傷じゃない」
「ユナさん……でも、心臓が……」
「……あのときの白いオーラを出せる?」
「白い……オーラ?」
「この前岩を割る修行をしたときの……あなたは全く割れなかったけど、あのときのような白いオーラを出してほしいの」
どうして今そんなことを……?
いや、ユナさんはこんなときに嘘は言いません。私はユナさんの言葉を信じて、実行するだけです!
意識を落ち着かせて、あのときの白いオーラが出るように集中します。
……今なら分かります。
あのときはよくわからないまま出してしまったあの白いオーラがどこから出たのか。あれから何度も練習してましたから。
最初はなんとなく、丹田……つまり腹の底から出てるような気がしてました。創作だと大体そうですからね。
でも、違います。このオーラは身体全体から生まれています。指先からも、髪の毛1本1本からも。私を構成する全てから溢れでるようです。
あの鹿が周囲に撒き散らした黒い魔瘴が、白いオーラに触れて少しずつ晴れていくようでした。
これは……一体……?
「うん……そのままユーくんに触れてみて」
「……わかりました」
私がユーくんの身体に触れると、ユーくんを覆っていた黒い魔瘴が消えていきます。白いオーラが、魔瘴に侵されて黒く変色したユーくんの肌を元に戻していきました。
「ユナさん、これは……?」
「……これは【神気】。魔瘴を祓う、神の御業。あなたが使える、特別な力よ」
神気……? 神の気ということですか?
そんなことを言われても、私は普通の一般人で、特にチートを貰ったわけではないです。貰ったものは木の棒だけですが……
いや、そうか。そうでした。
アワシマ様から貰ったものは棒だけじゃありませんでした。
この幼女の身体自体、アワシマ様に創造って貰ったものじゃありませんか。
神様の作った身体です。神の気が入っていてもおかしくはありません。
「いま、この子の身体は魔瘴と闘ってるわ。それを、あなたの力で助けてほしい」
「……分かりました。ユーくんを助ける為なら何でもやります!」
私はこの子に命を救って貰いました。今度は私の番です。私に出来ることは、何でもやります!
私は手に意識を集中します。すると身体から出てる白いオーラ、神気が集まってきました。そしてユーくんの体を覆う黒い魔瘴が徐々に晴れていきます。
でも、多少は魔瘴が退きましたが、まだ傷口にベッタリとしつこく黒いモヤモヤがついています。私の白いオーラを逆に侵食しようとしてすらいます。
まるで呪いのようです。おぞましい黒い魔瘴が、私の方を向いて攻撃を仕掛けてきました。
……望むところです。
この程度で効かないなら、もっと食らわせてやります。
ユーくんにこれ以上手出しはさせません!
私は全てを絞り尽くすように、神気を放出します。今までよりずっと強い輝きが、私の中から出てきました。
白と黒は拮抗し、やがて私の出す白の方が押し始めました。
もう少し、もう少しです。
「ユーくん! 絶対に助けますからね!!」
神気を出すほど、自分の中にある力がどんどん空っぽになっていく気がします。正直きついです。でも、もう少し、もう少しなんです。多少無理してでも、絶対に助けます!
私は今までに出したこともないような最大出力で神気を放出しました。
白が黒を完全に押し流しました。
ユーくんに纏わりついている魔瘴は跡形も無く消えて、段々とユーくんの肌に生気が戻っていきます。
「よく頑張ったわね、チーちゃん」
ユナさんが微笑んで私を優しく撫でてくれました。
やった……やりましたよ……
私でも救えたんです……
神様……アワシマ様……本当にありがとうございます。
ユーくんを助けてくれて、本当に、本当にありがとう……
私は脱力する感覚とともに、徐々に意識が薄れていきました。




