第7話 誰かの、役に立ちたいんです
「……僕も、この国でエステルが居心地良くいられるように。早く僕やこの国に慣れてもらえることができるように頑張るね」
耳元でトクトクと聞こえるアスラン様の鼓動が気持ちよくて、抱き締められるままに身をゆだねていたわたしだったが、頭上からのアスラン様のひとことで、ふと現実に立ち戻った。
「そ、そうだ。あの……、ほ、本気なんですか? わたしを皇后にするっていうお話……」
アスラン様の胸元から体を起こして、アスラン様を見上げる形になりながら問いかける。
皇帝陛下の前でアスラン様が言っていたこと。
わたしを――皇后にするということ。
聖王国で『実家の家業を継いでほしい』と言われた時は、まさか実家の家業が皇族だなんて思っていなかったから『役に立てないかもしれないが一生懸命頑張る』とは言ったものの……。
「エステルは本気じゃないって思ってるの?」
「だってわたし……」
孤児ですし……。
そもそもは、それが原因でフレドリック様からも婚約破棄を言い渡されたわけで。
たとえ、アスラン様がわたしが孤児でも構わないと言っても、フレドリック様のようによく思わない人間がいないとは限らないのだ。
「もしかして、出自のことを気にしてる?」
まさに今、気にしていたことをアスラン様にずばり言い当てられてしまった。
「……。ご存じなんですね。わたしの出自のことも」
「……」
申し訳なさそうにアスラン様が微笑む。
まあ、そうですよね。
帝国の皇太子だし、知っていても別におかしくはないですよね。
「エステルは嫌? 皇后になるの」
「嫌……というよりは、怖いです」
そんな大役が、わたしに務まるかどうか。
孤児のわたしが皇后になることで、アスラン様が非難されるのではないか。
わたしだって、誰かの役に立ちたいと、ずっと思っている。
ずっと思ってきたのだ。
求められることなら、なんだって頑張りたい。
だけどそうは思っても、その気持ちだけで頑張ろうとしても、そうじゃない人に踏み躙られてしまうことがあると言うことを、この三年間で知ってしまったのだ。
そう言った思いを、正直にアスラン様に告げると、「そうか……」と言って、真摯な面持ちでわたしに向かって言葉を続けた。
「怖いというのは、エステルが僕や国民に迷惑をかけたり、誰かに不快な思いをさせたりするのが、ということで合ってる?」
「……はい」
「僕の妻になるのが怖いとか、嫌ということではないんだよね?」
「はい」
「……そっか」
皇后という大役を負うことは怖いが、アスラン様が怖かったり嫌だったりするわけではない。
アスラン様自体は、とても思いやりのある、優しい素敵な人だと思う。
「誰かの役に立つ、ということについてはね……、僕は、僕のそばにエステルがいてくれるだけで、すごく元気が出るし、気持ちが暖かくなる。こんな僕でも、まだこんなに人のことを好きになれるんだって、嬉しくなるんだ」
それを役に立つ、という表現で括ってしまうのは、適切ではないのかもしれないけれど。とアスラン様が言う。
「言ったよね? 僕も、エステルに好きになってもらえるように頑張るって。この国でエステルが居心地良くいられるよう頑張るって。それは、エステルが皇后になって、ずっと僕の隣にいてくれるように努力するってことだよ。側室とか、他に妻を娶るつもりもない。僕がきみを守りたいんだ。だから、嫌じゃなければ、僕を信じて寄り添っていてほしい」
その言葉を。
アスラン様が、とても真摯に、切々とした様子でわたしに告げてくるので。
――わたしは、アスラン様のその熱意に、心を打たれてしまったのだ。
「……皇帝陛下の居る前では、つい浮かれて、ひとり先走ってしまったけど……」
聖王国で伝えた通り、慌てずにゆっくり考えてくれていい。
そばにいて、僕が言ったことが真実叶えられるかどうか、一番近くで見定めてほしい。
その結果、エステルがいいと思えたのなら、正式に求婚を受け入れてほしい、と。
「アスラン様……」
「ただ、こんなことを言っておいて手のひらを返すようでなんなんだけれど、聖女としてエステルを皇宮に置くより、僕の婚約者としておいたほうが、悪い虫……じゃない、いろんな意味で守りやすいから、その点については、いったん受け入れてもらえると助かるかな」
アスラン様曰く――本来聖王国にいるはずの聖女がなぜ帝国にいるのか――それを説明しだすと、いくら内密にと言ったところで、噂は皇宮内だけにとどまらなくなる可能性が高いし、国外まで情報がいくと聖王国の国民に不安を与える恐れがある。
また、わたしを婚約者として皇宮に居場所をおくことで、アスラン様自身がわたしを庇護する正当な理由を得ることができること。
いろんな意味、と括った理由はそう言ったもろもろのところにあるのだそうだ。
結局、わたしはアスラン様の説明を素直に受け入れて、当面の間は婚約者として皇宮に住まわせてもらうことに了承した。
……フレドリック様の時も同じく”婚約者”という立場であったにも関わらず。
同じ言葉でも、今はこんなにこそばゆい響きに聞こえるのは、アスラン様に熱烈に気持ちを伝えられたからだろうか。
なんだか急に、泣きたいくらい切ない気持ちがぐっと込み上げてきて。
「それじゃあ、これからよろしくね、婚約者どの」とアスラン様に嬉しそうに笑いかけられると、胸の奥がちりちりと疼いて、たまらない気持ちでいっぱいになった。
ーーああ、わたしって、単純なのかなあ。
そんなことを思いながら、痛む胸を押し隠し、わたしは差し出されたアスラン様の手を、きゅっと握りかえしたのだった。