第15話 レイさん、魔獣に堕ちる
それから。
わたしたちは歪みの発生源であると思われる場所に向かって移動した。
途中までは3人で一緒に移動をしたが、ある程度近づいていると思われたタイミングで、「お前らは少し距離をとってついてこい」とレイさんに言われた。
そうして、私たちがたどり着いた先で見たものは――。
『歪み』を前に、剣を構えながら一人の少女と相対している――、アスラン様、いや。
アース様と思われる人物だった。
「アース……!」
「来るな!!」
アース様が、思わず駆け寄ろうとしたエリシエル様を大声で制する。
「レイ。僕が戻るまでは待機してる決まりだったはずだ」
「……ひと月も戻って来なけりゃ、そりゃ心配になって来るだろ」
「……、ひと月……?」
レイさんの言葉に、アースさんが不思議そうな表情を浮かべて、相対する少女に目をやる。
「うふ……。そうです。あなたの体感が狂うよう、私があなたの時間感覚を歪めていたんです」
「えっ……」
エヴァンジェリン様……!?
アース様に語りかけ、そのあとこちらに向かってくるりと振り向いたその姿は、わたしが知っている姿よりも少し若く見えたが、見間違いようのないくらいエヴァンジェリン様その人だった。
「ようやく、役者が揃ったみたいですね。あ〜あ、大変でした! もっと早々に堕ちてくれるかと思ったら、1ヶ月も粘るんですもん……。 どういう精神力なんですかあ!」
わたしも疲れちゃいましたよお、とエヴァンジェリン様が悪態を吐く。
「あなた、何者……?」
「人に誰かと尋ねるときは、自分が誰か名乗ってから尋ねるものです!」
誰何を問いかけたエリシエル様に、エヴァンジェリン様がぷりぷりと如何にもかわいらしく言い返す。
「……でもまあ許して差し上げます。私は寛大な乙女ですので。改めまして、私は、あなた方の後輩にあたるものです」
「後輩……?」
「聖女、ってことか?」
「嫌ですう! 俗な人間なんかと一緒にしないでください! あなた方の、って言ったじゃないですか!」
レイさんの口にした答えに、エヴァンジェリン様が憤然と抗議する。
ここにいる者で、聖女ではないものの後輩、と言うことは――。
「あなたが、このふたりの次の聖獣……?」
「そうですー! ピンポンピンポン大正解です!」
エリシエル様の答えに、やたらと明るい調子で正解だと告げる。
「でもお、ひどくないですか? 着任したばっかりの私に、めちゃくちゃ仕事たくさんさせようとするんですよ? 神界ってブラックな労働環境なのかなって思っちゃいました」
「それで? その後任の聖獣が、なんで前任の聖獣とこんなことになってるんだよ」
「え〜? それはあ。話すと長くなるんですけどお」
そう言って、エヴァンジェリン様が説明をし出した話を要約すると。
自分がレイさんとアース様の後任になると決まった段階で、神界から二人の様子を見ていたらしく。
その時に、前任者は二人なのになんで自分は一人なのか。
私だってかっこいい男の人と二人で楽しく仕事したい!
特に人間が好きなわけでもないのに、一人で人間界でン百年も仕事し続けるの辛すぎる!
と思ったエヴァンジェリン様が神様に抗議したところ、向こうが「うん」って言えばいいんじゃない? と言われた、と。
「それでですね。私、アース様がドストライクゾーンなので。こうして説得を続けているわけですが、なかなか『うん』って言ってもらえなくて。もうとっても困っていたんですよお」
「何が説得だ……!」
エヴァンジェリン様の言葉に、アース様が荒い息を吐きながら苦しそうに反論する。
「お前がやったのは説得じゃなくて洗脳じゃないか……!」
「えー、だって。言うこと聞いてくれないなら聞いてくれるようにするしかないじゃないですか」
エヴァンジェリン様が唇を尖らせながらアース様に言い返し、「でも」と言葉をつづける。
「いいですね! 役者が揃うと! いろいろ見えなかったことが見えてきました!」
「……なに? 見えなかったことって」
エリシエル様が、レイさんに庇われながらも、毅然と尋ねる。
「あなたのお腹の中の子……、その人の子供ですよねえ?」
「な……!」
エリシエル様を見据えて、はっきりと言い切るエヴァンジェリン様の言葉に、その場にいた全員が驚愕を示す。
「ダメじゃないですか。聖獣と人間の混血なんて。ダメったらダメですよお!」
「……!」
レイさんが、動揺したように一歩後退り、エリシエル様とアース様を見比べる。
「で。はい、ドボン」
いつのまにか、レイさんのすぐそばまで移動していたエヴァンジェリン様が、言葉と同時にレイさんの胸をツンと突いた。
「うっ……!」
その直後に、突かれた方のレイさんは、胸を押さえて苦しそうに地面に膝をついた。
「……私、人の心の隙をついてかき乱すのが、とっても得意なんです」
にっこりと。
楽しそうに。
まったく邪気のない笑顔で可愛らしく微笑みながら、エヴァンジェリン様がレイさんにゆっくりとまとわりつく。
「ねぇ……? 本当は、寂しかったんですよね……? 自分を置いて、二人が先に進んでしまうことが。置いていってしまわれることが。自分の知らないところで……、二人が、幸せそうにしていることが」
「レイ!」
駆け寄ろうとするエリシエル様を、エヴァンジェリン様が片手を差し向けただけで吹き飛ばす。
あまりに一瞬のことで、わたしは驚いて目で追うことしかできなかったが、エリシエル様が地面に激突しそうな瞬間、すんでのところでアース様が受け止めた。
そうして目線を戻すと、必死に抗うように耳を塞ごうとするレイさんの腕を取り、エヴァンジェリン様がレイさんの耳元で甘くねっとりと囁きかけているのが目に映る。
「寂しくて、寂しくて……、苦しかったんですよね。そうして、誰にも吐き出せないから余計に辛かった……。辛かったですよね……」
「ゔ……、ああ……!」
いつのまにか、レイさんのうめき声に嗚咽のようなものが混ざり始める。
苦しそうに顔を振るたびに飛び散る水滴が、苦しみに抗う涙なのか、哀しさに溺れる涙なのか、どちらなのか。
わたしには、なぜだか、後者に思えて仕方がなかった。
「もう、我慢しなくていいんですよ? 私が全部許します。あなたの全て。あなたの悲しみを」
「レイさん……!」
「ねえ……、あそこにいる子供は、あなたを蔑ろにした証です。呪いをかけましょう? だって、許されないじゃありませんか」
自分を蔑ろにしてできた子供なんて。
人間と聖獣の間にできた子供だなんて。
そうでしょう――?
そう言うと、エヴァンジェリン様はレイさんに示すように、その美しい指先をゆっくりとエリシエル様のお腹に向かって指し示す。
ふと気づくと、あたりはレイさんとエヴァンジェリン様を中心に、激しい嵐が巻き起こっていた。
「ゔ……ぐっ……。ゔぁあああああああああああああああ!」
そうしてわたしは。
聖獣が魔獣に堕ちる瞬間を――目の当たりにしたのだった。




