第5話 あらたな当て馬? 当て馬ってなんですか
目を覚ますと、お昼を少しすぎたくらいの時間になっていた。
「……! 寝過ぎちゃった……!」
完全に、アスラン様の書類仕事の時間を過ぎて、むしろランチの時間も終わる頃だ。
「あああああ……」
やってしまった……。
アスラン様に、嫌な思いをさせてしまった挙句、泣いて、寝落ちして、仕事に寝坊してしまった……。
恥ずかしい!
穴があったら入りたい!!
しかし、ここは皇宮。
整備され尽くした宮殿内に、穴などあるはずもなく。
しばらく、枕に顔を埋めてうめいていたけれど、いつまでもそうしているわけにはいかないと腹を括り、キィ、と寝室から私室の応接室に繋がるドアを開く。
「……! エステル様。お目覚めになりましたか」
ちょうど、床に寝転んだレイヴンをもふもふしていたカリナが、はっとしてこちらに振り返る。
「お着替えを……、いえ、まずは何か召し上がりますか?」
台所に行って、軽く食べられそうなものを持ってきましょうか? とカリナが気遣ってくれるのに、こくりとうなづく。
泣いたことで少しスッキリしたし、お腹も空いた。
落ち込んでも、ちゃんとおなかが空いてしまう自分にまた落ち込んだけど、とりあえず軽くお腹に入れて、ちゃんと頭が働く状態で、落ち着いて考えようと思った。
カリナが用意してくれた、ハムときゅうりのサンドイッチと、ふわふわの卵が挟まれたサンドイッチ、暖かいスープをゆっくりといただく。
お母さんが生きていた時、喧嘩して、仲直りした時に出された、暖かいご飯を思い出して。
また少し泣きそうになった。
「カリナ」
「はい」
「……ありがとう」
「……。はい」
かちゃり、と食器をテーブルに戻して、すぐそばに控えていたカリナを見上げる。
「着替えを、手伝ってもらえますか? 着替えて……、アスラン様に謝りに行きます」
カリナに着替えさせてもらって、アスラン様がどこにいるか探すことにした。
この時間は、昼食を終えて、皇帝陛下のところで午前中に決裁した書類や国内の情勢について軽く擦り合わせのようなことをしていることが多い。
つまりは、皇帝陛下の執務室に向かうのが、まずは一番確率の高いルートで。
と。思っていたら。
あれ……?
皇太子宮と、皇帝が居住している皇帝宮の間にある庭園の遊歩道に、見慣れた銀色の髪がきらりと光った。
「アスラン様……と」
もう一人。見知らぬ女性が、傍で嬉しそうに笑っている。
女性、と言っても、わたしと変わらないくらい……、やや少し上くらいの年齢だろうか。
ちょうど、私とアスラン様の中間くらいの。
どんな会話をしているのか、距離が遠くて聞き取れないが、アスラン様が話しかけるたびに、嬉しそうに笑っている様子が見える。
すると、急にバランスを崩したその女性を、助けるようにアスラン様がその腕を取る。
お礼を言われながら笑い合う二人の姿。
それを見て――、なぜだか急に、ずきりと胸が痛んだ。
そっとその場を離れようとして、一歩後ずさった時、ぱきりと小枝を踏んでしまった。
「あっ……」
「……エステル?」
アスラン様に見つかってしまった。
しかも、草むらに隠れて様子を見ていたところを見つかってしまったので、隠れてのぞいていたことも丸わかりで。
居た堪れないし、なんだかモヤモヤするしで、アスラン様を直視できなくて顔を背ける。
「殿下、ちょうどよかったです。この方がそうなんですよね?」
「エヴァ」
エヴァと呼ばれた、明るくて可愛らしい女性が、こちらに向かってくるりと振り返る。
「初めまして聖女様。私、ルーブル公爵家のもので、エヴァンジェリンと申します」
と名乗った女性は、そう言うと私に向かって優雅に一礼した。
「あの、エステル様がアスラン様のご正妃様になるとお伺いしたので、側室でいいので、私もそこに入れてもらえないでしょうか」
「え……?」
「ちょっと……!」
優雅なしぐさとは全く結びつかないエヴァンジェリン様の突然の発言に、理解が追いつかない。
「私の家もそれを望んでいますし、というか、家があまりにも煩いので、形だけでも構わないのです。私自身、アスラン様もエステル様もお幸せになってほしいと思っておりますし、邪魔は致しませんので」
むしろ、お二人がうまくいくよう応援しておりますわ! とにこやかに宣言する。
「エヴァ。申し訳ないけど、僕は側室を持つつもりはないんだ。君の家のことは僕もなんとかできるよう考えるから、とりあえずその話は諦めてもらえないか」
「でも……、目的を遂行できないなら家に帰ってくるなと言われてますし」
遂行できないと決まった場合、よくて散々折檻されたのちに家から追放、悪ければ殺されてしまいますわ、とエヴァンジェリン様が言う。
「無茶苦茶だな……」
「父と兄からすれば、身分の低い女から生まれた娘など、それくらいしか価値がないと思っているのです」
はあ、と嘆くようにため息をついたエヴァンジェリン様が、また突然ばっ! と矛先をこちらに向けて突進してくる。
「お願いします! エステル様! ある程度の間、側室として置いておいていただけたら、あとは良き時にどこかの貴族へ払い下げしていただいても構いません! 私を助けると思って、お力を貸していただけませんか!」
と、わたしの両手を包み込み、懇願してくる。
「え……、と」
「エステル、聞かなくていいから」
「でも……」
ちら、とアスラン様を見るが、アスラン様はにべもなく断れといい。
だけど、「このまま帰ったら不幸になる」と言われて、はいそうですかと言うこともできず。
「……とりあえず、少しの間だけでも、ここで匿ってあげる、とかは……」
「エステル!」
妥協案で出した提案に、アスラン様がありえないと言わんばかりに私の名前を呼ぶ。
「……! ありがとうございます! 私、それでも構いません! なんてお優しい……! 本当にありがとうございます!」
わたしの提案に喜んだエヴァンジェリン様が、感極まったようにわたしの両手を掴んでくる。
え、軽く提案を出してみただけのつもりだったのに、それでもう決定になってしまうの? と戸惑いながらアスラン様の方に目を向けると、どうやらアスラン様はそれがわたしの懇談の目線だと受け取ったらしく。
「……エステルの好きにするといい」
とだけ言って、くるりと踵を返してしまった。
仲直りをしたくて来たはずだったのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう?
心ここに在らずの状態で、何度もお礼を言ってくるエヴァンジェリン様の対応をしながら、そんな後悔を繰り返していたのであった。




