番外編 エステルの社交界デビュー3
重厚なドアがバタンと閉じられた瞬間、思わずほう、と息をついた。
本当は、足元から崩れ落ちたいくらいの安堵感だったけれど、ここではまだ他の人の目があるかもしれないので、気を抜かずに姿勢を立て直す。
「エステル様。とても素晴らしかったです」
ドアの近くで、わたしの戻りを待っていてくれたクラウス様が、手放しで褒めてくれた。
聞き慣れた声を耳にしたことで、また少しホッとする。
そうして、クラウス様が差し出してくれた手を取り、よろよろと(傍目にはそう見えないように注意しながら)自室の方向へと足を向ける。
「……正直、緊張でよくわかりませんでした……」
「僭越ながら、私から見れば十分すぎるほどです。会場中の招待客がみな、エステル様に魅了されておりましたよ」
アスラン様のあのような姿も、長年お仕えしていて初めて見ましたし、とクラウス様が楽しそうに笑う。
とにかく、無事役目を果たせたのであれば、とりあえずはよかった……。
後は、早く部屋に戻って全てを脱ぎ捨てて、いつもの着慣れた部屋着に戻りたい。
そう、思った時だった。
「エステル!」
もうすっかり聞き慣れてしまった――アスラン様の声が、背中から追いかけてきた。
「ア――」
アスラン様――、と。
振り向いて、わたしがその名を呼ぼうとした瞬間。
あっ、と思うまもなく。
わたしの唇に、アスラン様が深く――深く口づけてきた。
心の準備などする暇もなく、突然に。
そのまま、じりじりと、混乱するわたしを壁際まで追い込み、最終的に囲い込まれて逃げ場を塞がれる。
「〜〜〜〜〜〜〜!」
そこでようやく、まだクラウス様がいるのに……!! と少し正気に戻り、視界の端を目で探すが、仕事のできる執事は、いつの間にか視界のどこからも消えて居なくなっていた。
そのうち、そんなことを考える余裕も無くなるくらいに、わたしはアスラン様に追い詰められて。
「っはぁ……っ」
酸素を求めて逃げようとするも、アスラン様は、それさえも許してくれない。
荒い呼吸をつ吐く中、絡めとろうとする舌が、執拗なくらいにわたしを追い求めてくる。
「はっ……、アスラン様、い、きが……」
「……うん」
うん、とは言うものの、言った方は、一向に解放してくれる気配はなく。
結局、わたしがくりとひざから崩れ落ち、荒く息を吐きながら壁にもたれて体を支えようとしたところで、ようやくアスラン様が離してくれた――が。
「いっ……!」
離してくれた唇が、ぬるりと首筋を伝ったかと思うと、そのままそこをじゅっ、と強く吸われる。
「はぁ……、エステル……」
わたしの耳元で、アスラン様が切なげに吐息を漏らした。
「あ、アスラン様……? どうしたんですか……?」
ぐったりと、わたしに縋り付くように抱きついてくるアスラン様は、わたしがこれまでに見たことのない姿だった。
「勝手に……、僕の知らないところに行かないでよ、エステル……。お願いだから」
少し掠れた、消え入りそうな声で、まるで懇願でもするかのように囁く。
「い、行ってませんよ? どこにも……。わたしは、ここにいますから」
そう言ってわたしも、アスラン様の背中に手を伸ばす。
そうしてしばらくして、アスラン様は「はぁ……」と大きくため息をつくと、それからゆっくりと身体を起こした。
「……ごめん。取り乱した」
「……」
なぜか、わたしの方を直視しようとしないアスラン様の表情は、いつものアスラン様のものより、少し陰っている気がして。
「クラウス」
「は」
一体どこに潜んでいたのか、アスラン様の呼びかけに、どこからともなくクラウス様がさっと現れる。
「僕は戻るから、……エステルを部屋まで送ってあげて」
「かしこまりました」
クラウス様が胸に手を当てて答えると、アスラン様はさっと身を翻して、そのまま、一度もこちらを振り向かずに大広間へと戻っていった。
「………………」
それからわたしは、どうやって自分の部屋まで戻ったのかは、正直よく覚えていない。
「レイヴン」
「なに」
部屋戻って、レイヴンと二人きりになった瞬間、わたしは、帰りを待っていてくれたレイヴンに声を掛ける。
「あの、いつもの、子犬の方の姿になってもらえませんか……」
「え、なに? なにかあったの?」
いつもと違うわたしの様子に気づいたレイヴンが、何かあったのかと尋ねてくるが、何があったかを言えるわけもなく。
「とにかく、何も聞かないでもふもふさせてくれないかな……」ともじもじしながら切実にお願いしたら、レイヴンは仕方ないといった様子で、ぽふん! と黒ポメの姿に変わってくれた。
それから、レイヴンを抱えたまま、ばたりとベッドに寝転がり。
わたしの気持ちが落ち着くまで、ただもふもふとレイヴンを撫で続けたのは。
レイヴンに対しては、ごめんとしか言えない出来事でした……。
翌朝、わたしの身支度をするカリナから誇らしげに「世間は昨夜の皇太子の誕生パーティーに現れた謎の妖精令嬢の話で持ちきりになっていますよ」と言う話を聞いた。
それから。
そういえば、昨日はアスラン様の誕生日だったのに、結局混乱を引きずってしまったために本人にプレゼントを渡せなかった……というまさかの事実に気づき、その後盛大に落ち込むという事態に陥ったのだった。
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