番外編 エステルの社交界デビュー1
聖王国にいた時は、ただただ聖女の仕事に明け暮れる毎日で。
聖王様やフレドリック様が、貴族の集まり――いわゆる、社交界というものに出席していることは知っていたが、「エステル殿は聖女ですから。俗人の集まりなど、顔を出す必要はございません――」と言われて。
そういった場にわたしが顔を出すことは、ついぞなかった。
午前の日課の、アスラン様の執務室での書類決済の時のこと。
クラウス様が、ふと思い出したかのようにアスラン様に尋ねた。
「そういえば、アスラン様の誕生パーティーがもうすぐですが」
「えっ」
唐突に飛び出た、大変重要な情報に、わたしは思わず声を出して驚く。
「エステル様のご出席についてはいかがいたしましょう」
「そう言えばそんなものがあったな……」
ここのところ忙しくて忘れていた、とアスラン様が額に手を当ててため息をつく。
一方のわたしはというと、今更ながらアスラン様の誕生日が近いということを知り、「プレゼントを用意しなければ……! 何がいいんだろう、え? 間に合う?」という気持ちで一瞬で頭がいっぱいになった。
いやいや、待って待って。
それもそうだけど――、誕生、パーティー?
「個人的な意見を言わせていただけるのならば……、エステル様の婚約者としてのお披露目前ではありますが、アスラン様に正式なパートナーがいる、ということは暗に示しておかれたほうが良いかと思いますが」
「わかっている。いや……、でも……」
うーん……、と、アスラン様が珍しく頭を抱える。
いったい何をそんなに逡巡しているのだろうとわたしが疑問に思っていると、アスラン様はつとこちらに顔を向けて。
「……あのね、エステル。僕としては、エステルが出席してくれると嬉しくはある……のだけど。間違いなく、不特定多数の人間から好奇の目に晒されることになる、から……。僕としては、それが心配なんだよなあ……」
「アスラン様は、いままで全く女性関係の噂がなかったですからね。突然見知らぬ女性をエスコートして現れたら、まあ噂にはなるでしょう」
苦悩するアスラン様の言葉を次ぐように、クラウス様がわたしに向かって説明してくれる。
「エステル様は、聖王国ではパーティーへの参加はどのようにされていらっしゃったのですか?」
差し支えなければ、お尋ねしてもよろしいでしょうか、とクラウスさんらしい気遣いを見せながら、わたしに尋ねてくる。
「わたしは……、聖王国では、聖女はそういった俗な場所に顔を出す必要はないと言われてきたので……」
正直に、参加したこと自体が全くないということをふたりに告げた。
あの時。
参加しなくていい、と言われてほっとした気持ちと。
いかにも少女らしい「パーティーってどんなところなのだろう?」という憧れの気持ちを抱いたことを、この場に至ってまざまざと思い出す。
子供の頃、母親が読んでくれた絵本にあった、継母にいじめられた少女が魔法使いの助けを借りて舞踏会に現れるお話。
キラキラしたドレスに包まれた少女は、王子様に見染められて、周囲から羨望の眼差しを受けながら、ダンスホールで王子と踊るのだ。
あの頃は、そんな夢のような話があるのだと、楽しくてわくわくして、何度も母親に読んでくれとせがんだ。
けど現実は、わたしの王子様はわたしに見向きもしてくれないし、当のわたしはというと、薄暗い部屋の中で、じっと朝が来るのを待つばかり。
参加させてもらえたところで、どうせフレドリック様がわたしをエスコートしてくれることもないだろうし、ひとり居心地悪くいるだけだもの。やっぱり、出なくていいと言われてよかったんだ、と自分を慰めながら、何度も夜を明かした。
次第に、そんなことも気にならなくなるくらい、心は擦り切れていったのだけれど。
「本当は、常時僕が着いてあげられればいいんだけど」
流石にそういうわけにも行かないし、とアスラン様が憂鬱そうに呟く。
「エステル様も慣れない場でお疲れになるでしょうし、そんなに長時間出席される必要はないのでは?」
顔見せして、一曲ダンスを踊っていただいて、退席すれば良いのではないでしょうか、とクラウス様が進言してくれる。
「まあ、そうだよね。エステルがいる間は僕がエスコートして、頃合いをみて退席するぐらいがちょうどいいのかな」
結果、クラウス様の進言どおり、わたしは当日、さっと顔を出して退出する、という形で話がついた。
とにかく、一言も喋らなくていい。
にっこり笑って、おどって、さっと退席する、と――。
話がついたからには、今度は準備が必要になってくるわけで。
それからしばらく、わたしは、ドレス選びやらなにやらで、またしばらくへとへとになる日々がやってくるのだった。
そうして、あっという間にアスラン様の誕生パーティーの日がやってきた――。
朝から、全身をツルツルに磨かれ、バシャバシャと化粧水を叩かれて、へとへとになりながらドレスを着せられて、ようやく、メイクをしてもらえるといったところで。
コンコン、とドアがノックされ、外からアスラン様の声が響いてきた。
「エステル、準備はどう?」
問いかけてくるアスラン様に対して、手が離せないわたしの代わりにカリナが表に出て説明してくれる。
「アスラン様、申し訳ありません。もう少々お時間が必要となりますので、どうか、先に会場でお待ちになっていただけますか?」
「……そうか。わかった」
「ご入場の際には、クラウス様がエスコートしてくださるとのことですので」
「わかった。よろしく頼む」
ドアの向こうのアスラン様の声を聞きながら、わたしは戻ってきたカリナに尋ねる。
「あの、遅れてしまっても大丈夫なの?」
「大丈夫です。たいてい、こういったものは女性の方が準備がかかるものですから。それより……」
きっ、と、カリナが鏡の中のわたしに向かって目線を送ってくる。
「私は今日、アスラン様をギャフンと言わせてみせると、心に決めておりますので」
アスラン様をギャフンと――?
カリナは「絶対に大丈夫です。自信があります」と確信を持ってわたしに伝えてきたが、正直、アスラン様がギャフンと言葉を発する姿を、わたしは全く想像できなかった。
そうして、ようやく準備が整い、カリナや使用人たちから「エステル様……! お美しいです……!」となぜか目を潤ませながら絶賛されつつ、わたしは、ドキドキする胸を押し隠しながら、会場へと向かったのであった。




