過去編 行商人アランと聖女エステル
――僕がエステルのことを好きになってから。
何度彼女の元を訪ねただろう。
「あ、アランさん!」
「エステル」
僕の姿をめざとく見つけたエステルが、ニコニコとこちらに向かって駆け寄ってくる。
珍しく、長い髪を二つにおさげにしているのがゆらゆらと揺れて、
「お久しぶりですね! 今度はどこの国まで行ってたんですか?」
「今回は、西のリドニーって国です。岩山が多くて、大変でした……」
リドニーは鉱物資源が豊富な国で、鉱物の仕入れという名目で、最近不穏な動きを見せていた王室近辺の調査を行ったのだ。
行商といいつつ、ちゃっかり父親の言いようにこき使われていてなんだかなとは思うが、即位前に周辺各国の内情や国柄を知ることができるのは確かに良いことなのではあった。
「エステルは、なにをしてるんですか?」
「あ、水を汲みに行くんです。このバケツに……」
そう言って、エステルは手に持っている大きめのバケツを示す。
「……それは、エステルじゃなきゃいけない仕事なんですか?」
聖女であるエステルに、水汲みのような下働きのする仕事をさせるのかと訝しく思って、エステルが気分を害さないよう、ことさらにおっとりと尋ねる。
「聖王様と王子殿下の口にするものは、聖女が汲んだ聖水じゃないといけないそうです」
「……」
……だとしても。
従者もつけずに、重たいものを一人で持たせるのはいかがなものなのだろうか。
聖水というのがどれほどの効果があるのかがわからないが、それを飲まないと死んでしまうという代物なら、今頃聖王の甥にあたる自分だって生きてはいないはずで。
前から、聖王国のエステルへの扱いはどうなのかと疑問を抱いていたが、ますます首を傾げざるを得なかった。
「僕も手伝います」
「え、でも」
「だめですか? その、聖女の聖水というものに興味があって」
「……じゃあ」
お言葉に甘えて、と遠慮がちにはにかみ、エステルが先導してくれる。
こういうとき、行商人というと立場はなにかと便利だな、と実感する。
「アランさんは、優しいですね」
そう言いながら前を歩く彼女の肩が、とても小さく見えて。
エステルに出会って、彼女の生い立ちや過去を調べた。
帝国の辺境の村で母親とふたりで生活していたが、9歳の時、その母親が亡くなったことで孤児院に引き取られることとなった。
孤児院では、率先して他の子供たちの面倒を見るような、しっかりした子供だったらしい。
自分だって母親を失って悲しいだろうに、そんなことはおくびにも出さず、にこにこと笑って他の子に接するような子供だったのだそうだ。
――あの子が聖女だって言われて。「ああよかった、あんなにいい子だもの。神様もちゃんと見てくださっていたんだな」って、安心したんです――。
院長の言葉は、心からエステルを思いやっているように見えた。
少なくとも、孤児院でひどい扱いを受けていなかったことにほっとしたが、しかし現実はどうだ。
自分も、先代の聖女は実際に知らないし、どんな仕事をしていたかも実際に目の当たりにしたわけではないが、調べたところによると、聖女の仕事というのは基本的には祈祷を行うことが役目であるはずだ。
魔獣の浄化のため、朝と晩に礼拝を行い、聖王国内に滞る怨嗟を浄化するために、聖殿内を巡回する。
しかし今、エステルがやらされていることは、ほとんど雑用で。
雑用で聖殿内を巡回しながら、(本人は意識せずに)滞った怨嗟を浄化して回っているのだ。
「アランさん、あそこです」
前を歩くエステルが、着きましたよ、とこちらを振り向きながら、水が湧き出ている場所を指差す。
たたたっ、と湧き水に向かって駆け出すと、エステルはにこにことバケツの中からコップを取り出す。
「はい。アランさんどうぞ」
そう言うと、汲んだばかりの湧き水を、僕に向かって差し出してきた。
「いいんですか? 僕が飲んで」
「はい! ここのお水、冷たくて、汲みたてすっごく美味しいんですよ!」
「……」
言われるままに、エステルからコップを受け取り、こくりとひとくち飲んでみる。
「……美味しい」
「ですよね! わたしも、ここに汲みにくると、絶対一杯飲んで行くんです!」
水そのものが、柔らかくて飲みやすいと言うのもある。
しかし、エステルが汲んだことで、確かに水にエステルの力が溶け出しているのもわかった。
だからだろう。
特に自分にとっては、甘露のように甘く美味しく感じられた。
僕が飲み終わった後、エステルも同じコップを使ってくぴくぴと美味しそうに飲み干すのを見て、なんだか少し――ムラッとしたのは、ここだけの秘密だ。
それ以来、聖王国に来るたびに、エステルの水汲みを手伝うと言うルーティーンができた。
実際にエステルの汲んだ水を飲むと、調子が良くなると言うことがあったからで、決してやましい気持ちで手伝っているわけではない。全くないとは言わないが。
水がいっぱい入ったバケツを代わりに持とうとすると「それじゃ、わたしが汲んだ意味が薄まっちゃうかもしれないので……」と遠慮するエステルに、「じゃあふたりで持とう」と取手をふたりで持って歩きながら。
どうにかして、この子をこの国から救い出す方法を考えなければ、と思ったのだった。




