愛人、平穏な幸福を模索する
ライモンドの愛人で、マリエッラの母でもあるミラベラの視点です
自分が男好きのする容姿をしていることには、早い時期から気づいていた。ウェーブした赤みがかった金髪に、少し垂れ目な水色の瞳は庇護欲をそそるらしく、幼い頃から、やたらと男の子に構われていたし、ここ数年でたっぷりと付いた胸と腰の肉は、男達の目をどうしようもなく惹きつけるらしく、じろじろと見られるのは日常で、時にはあからさまな誘い文句をかけられる事もあった。
大して裕福ではない男爵家の次子として生まれた私を、男達は簡単に手に入る存在だと思うのだろう。年頃になった私に対して、裕福な商人の愛人や、同じような家柄の後妻の話ばかりが舞い込んだ。
もちろん両親はそんな話を受けることは無かったし、兄のガスパーは、年頃の娘に持ってくる話ではないと憤ってくれた。
それでも家にいるとそんな話ばかりが来るので、王都で文官をしている兄のツテを頼りに、働きに出ることにした。
奉公先の侯爵家は、少し落ちぶれてはいるものの、側妃様の御実家という事もあり、給金も待遇も良かったが、私に向けられる男達の視線は、ここでも同じだった。
だからだろう。侯爵家で働き初めてしばらくした頃、実家を訪れていた側妃ティジアナ様に声をかけられた。
『ねぇ、貴女に頼みたいことがあるの。大丈夫よ、大して難しい事では無いから』
(あぁ、この人も、私が知性の欠片も無い女だと思っているんだ。あるのは男を誑かす、此の身体だけだと…)
不思議なことに多くの男達と、ある一定数の女達は、私は物を考えることが出来ないと思っている。いや、思いたがっているというのが正確かもしれない。だから不自由のない暮らしさえ保証してやれば、自分の腕の中に簡単に落ちてくると疑わないのだ。
『その可愛いお頭で何かを考える必要はないよ。おまえは黙って足を開いていればいい』
それは、私を愛人に欲しいと言ってきた、手広く商売をしている商家の主の言葉だ。
馬鹿にされたものだ。私は学者肌の両親のもとで育ち、優秀な文官として重用されている兄と共に、学び育ったというのに。この少し垂れた目と胸の肉が、私の知性を無い物に見せる。
だが、しがない男爵家出の私が、側妃様の【頼み事】を断れるはずもなかった。結果、王都に連れてこられた私は小さな家を宛がわれ、やはり言われるままに、ある賭博場の女給として働く事になった。
実家には、王都にある侯爵邸で働いていると伝える事にした。ただ、側妃様の御用事をきく機会が度々あるため、今は街中にある小さな家に住まわせて貰っていると。実際、全てが嘘という訳ではない。
そして、何かあった時に、実家が揉め事に巻き込まれる事だけは避けたかった為、側妃様からの命令書は破棄するよう言われた物も含め、全てこっそり保管しておく事にした。
たとえ口頭での命令であっても、できるだけ記録用の魔石を使って保存しておくよう、心がける。もちろん内密にだ。これらは側妃様に切り捨てられた時の、私と男爵家の御守りになるはずだ。
『あなたに誘惑してほしい男がいるの。あぁ、難しく考えないで良いわ。ただ、その男の側で、いつものように振舞えば良いだけだから』
薄らと笑う側妃様の顔には、私に対する軽蔑の色が露わに出ていたが、私は命ぜられるまま、賭博場の常連だったライモンド・アルバネーゼ卿に近づいた。
笑うほど単純な男だった。公爵家の婿だが、自分が実権を持てないことを恨み言のように口にして、事あるごとに、義父や妻の悪口を言っていた。
だから、簡単に落とせた。『貴方はこんなに素晴らしい人なのに』とか、『貴方の素晴らしさが判らないなんて、公爵家の人達って、見る目がないのね』等と言って、ちょっとプライドをくすぐり、持ち上げてやれば、それだけで私に入れ込むようになったのだから。
恐らく側妃様は、従姉妹であるクレリア様が夫を寝取られて、悔しがるさまを見たいのだろう。私との会話の端々にさえ、クレリアさまへの悪感情が窺えた。ただ、こんな男を取られても、悔しがると思えなかった。
でも、誉める度にする満更でも無い顔や、愛していると言うと見せる嬉しげな顔を見ている内に、情が湧いたのだろう。私は、いつしかライモンドが来るのを待っている自分に気がついた。
これにはさすがに自分でも驚いたが、どうせ関係を持たなくてはいけないのだから、情が有る方が良いと、割りきることにした。
身体の関係を持った後、私が生娘だった事に驚き喜んだライモンドから、今すぐに仕事を辞めて欲しいと言われた。元々、関係が確実になったら直ぐに辞めるよう言われていたため、翌日には仕事を辞めて、私は完全に彼の愛人となった。
愛人としての生活は、平穏と言って良い日々として始まった。定期的に訪れるライモンドを待ちながら、好きな詩集を読んだり、簡単な料理を作ったりする生活は、側妃様からの命令書や使者が来るのを除けば、ままごとの新婚家庭のようだったのだ。
だけど、私の妊娠が判ってからは、どうも様子が変わってきた。
ライモンドは終始『なんとしても、嫡子に』と言うようになり、側妃様の命令書は私では無く、ライモンド宛で頻繁に届くようになった。
きな臭い。そう思ったが、知らない方が安全な事もあると判断して、あえて探るような事はしなかった。
ただ、あり得ないと思いながらも、
(もしかしたら離婚して、私と結婚してくれるのでは?)
そんな馬鹿な期待をしている自分がいた。貴族の離婚は、公にはされていないが不可能という訳では無いからだ。特に有力者の力添えがあれば、認められる可能性が高い。
だけど、ライモンドの上着の内ポケットに入っていた手紙をうっかり見てしまった時に、馬鹿な夢は吹き飛んてしまった。
それは、『間違いなくクレリアの臨終に立ち会えるようにしろ』というような事が書かれた、側妃様からの念押しの手紙だった。
(これは…何かとんでもないことが、起きている?!)
私はその手紙をこっそり抜き取ると、他の証拠と一緒に隠した。
結局、ライモンドが散々言っていた、子供が生まれる前に結婚してくれるという約束は、守られる事は無かった。
私のお腹の中の子供が、いつ生まれてもおかしくないほど大きくなった頃、急に両親が訪ねてきたのだ。それも、従僕のニッコロを伴って。そこからは、あっという間だった気がする。
母からは、嘘をついていたと責められ、父からは自堕落な生活を送っていた愚か者と責められたからか、私は急に産気づいた。
一気に押し寄せてきた、捩れるよう痛みの中、両親は私を説得してきた。このまま私生児を産むよりも、今すぐニッコロと結婚して、その子を二人の子として産むべきだと言われる。
私より四歳年上のニッコロが、密かに私を想っていたことは気付いていた。今回、私が私生児を産む可能性に気付いた両親が彼を連れて来たのも、それを判っての事だろう。
あの手紙の内容が頭を過る。答は直ぐに出た。私は≪安全≫を選択することにした。
産婆と一緒に呼ばれていた司祭が立ち会い人となり、私は親の求めるとおりにニッコロと結婚した後、子どもを生んだ。女の子だった。
側妃様の言葉が思い起こされる。
あれは私のお腹が目立ち初めた頃だったか、突然訪問してきた側妃様が言いだした事だった。
『貴方の生んだ子が女の子だったらうちの息子と結婚させましょうよ!』
『そんな…いくらなんでも、身分が違い過ぎます』
『あら、大丈夫よ。きっと、その頃には邪魔者は誰もいなくなっている筈だから』
そう言って、楽しそうに笑ってらした。
出産の翌日には王都を出て、実家の離れで私達は、新しい生活を始めることになった。
それでもどこかで待っていた。彼が私達を迎えに来てくれることを。でも、あれほど愛してると言っていた男は、一か月たっても私達を迎えには来なかった。
もう興味が無くなったか、もしくは迎えに来れなくなったかの、どちらかだと判断した。後者なら、この世にいない可能性さえある。腹をくくる時だと思った。一つ間違えると、私や子供だけではなく、男爵家自体が潰されるかもしれないからだ。
側妃様にも、出産直後から何度も手紙を出したのだが、此方もなしのつぶてだった。既にクレリア様が亡くなった為に、私の事など、どうでもよくなったのだろう。
(利用するだけ利用して、あとはどうでも良いってことか。それとも、此方も連絡さえできない状況に追い込まれているのか…)
だから、実家に戻って二か月後、側妃様に隠して残していた密書や、私とのやり取りの記録を全てアルバネーゼ公爵に送ることにした。代わりとして、私たち親子と男爵家を見逃してほしいと書いた嘆願書を同封して。
だが、全てを渡したわけでは無かった。ある書類を一枚だけ、残しておいた。それはクレリア様の臨終に側妃様が立ち会いたい旨が記された書類だ。それだけは、私たちの安全を約束した書類との交換でなければ渡せないと思ったからだ。しかし、交渉は拍子抜けするほど簡単だった。公爵は私達が静かに暮らす限り、安全を保証すると書いた書類を直ぐに用意してくれたからだ。
後は、側妃が少しでも痛い目に逢えばいいと思っていたが、私が考えていた以上に公爵の力は強かったようで、それから二ヶ月後、ティジアナ様の病死が発表された。ざまあ見ろと思った。
それからは、退屈なほど平穏な日々が続いた。そして、マリエッラの一歳の誕生日。夫は赤ん坊用のおもちゃと共に、小さな花束を持って帰って来た。照れ臭そうにおもちゃをマリエッラに、花束を私に渡して、
「マリエッラ、誕生日おめでとう。そしてミラベラ、俺と結婚してくれてありがとう」
そう言った。月下百合の花束。花言葉は≪秘め続ける想い≫。その瞬間、私の心は決まった。この男を夫として愛していこうと。そして幸せになろうと。
それからは、確かに幸せだった。ニッコロとの間に二人の男の子、バートロとカミロが生まれたが、彼は三人変わりなく可愛がってくれたし、実家の雑用を手伝いながらの生活は裕福ではないものの、満ち足りたものだった。
なのに、いつの頃からか、マリエッラは父親を馬鹿にするような態度を取り始めるようになった。あれほど可愛がっていた弟達を邪険にするようになり、実家の手伝いにも、不平を言うようになった。
そして、ついに今回の事だ!
もしかして、私とライモンドの関係を知っている者が接触して、マリエッラに何か吹き込んだのだろうか?判らないが、今はそんな事は関係ない。
どんな夢を吹き込まれたのかは知らないが、自分を大事に育ててくれたニッコロに対して取った態度を許す理由にはならないし、こんな問題を起こして、男爵家や私達の生活を脅かす権利もない。
せっかく十三年前、親子共々見逃して貰えたというのに!この子は自分が生まれたこと自体が、公爵家の恨みを買っているという事が判らないのだろうか?
姉を慕うバートロとカミロ達には悪いが、今この子を切り捨てなければ、私たちが生きていけない。
牢に入れられた娘に、下された罰を伝えに行くと、あの子は自分の父親の事で私に食ってかかってきた。今さらあの男の娘だと公にしても、何の得も無いどころか、公爵家に睨まれるだけだと、なぜ判らないのだろう。
おまけに、罰に対しても不満があるようだ。こっちは、これだけで済んだ事に、ほっとしているのに!嘆き悲しむ母を引きずるようにしながら、突き放すような言葉をぶつけて、その場を離れた。
それでも…あんな娘でも、罰を受け、修道院に行けば、少しはマシになるだろうか。聞いたところによると行先は北壁の修道院だという。三か月もしたら落ち着くだろうから、その頃、手紙を書いてみようか…