婿、計画の頓挫を嘆く
公爵家の婿であるライモンド視点となります。
くそぅ!ミラベラの妊娠が判ってから、半年以上をかけて綿密に練った計画の筈だったのに、ことごとく失敗に終わっている!クレリアの従姉妹である側妃ティジアナ様の協力まで取り付け、大金をつぎ込んだというのに!
そもそも、あのじいさんは此処に来る前に死んでいる予定だった。なのに、今もピンピンしているどころか、医者まで連れて来た!大金を使って雇った奴等は、いったい何をしていたんだ?
おまけに俺が手配した侍女やティジアナ様から貰った薬も排除されてしまった。おかげでクレリアまで、まだ生きている。本当なら、とっくに死んでいてもおかしくないのにだ!
薬に関しては、ティジアナ様から≪王家が暗殺に使用する薬だから、ばれる心配はない≫と聞かされているが、万が一ということもある。手持ちの在庫は処分してしまおう。
後は焼却するよう指示されていた密書の類いだが…此方は、後々の交渉に使えるかも知れないから、もうしばらくは保管しておくか。
**
あぁ、ミラベラのお腹の子がいつ生まれてもおかしくないのに、クレリアがまだ生きているなんて!このままでは、その子が婚外子になってしまう!
この国の法では、どんなに高貴な血を引いていても、婚外子と高位の貴族の婚姻は認められない。生まれてくる子の将来を考えれば、絶対に嫡子にしなくてはならないのに!
おまけに出掛けようとする度に、何かしら邪魔してきやがる!ほんとに忌々しい。仕方がないから毎日手紙を書いているが、いつ生まれてもおかしくない状況の彼女の事を思うと、心配でたまらない。
一応女中を一人、連絡係として付けてはいるが、今の状況では、直ぐに駆けつけられるとは限らない。ミラベラ、お願いだから、俺を信じて待っていてくれ!
**
あの女の臨終に、じじぃは大司教を連れてきやがった!クレリアの洗礼をしたのが彼だからという理由でだ。予定では、側妃様の息のかかった司祭と共に、秘密裏に側妃様も来られる手筈だったのに!
≪父親の死と夫の裏切りを知らされたクレリアが、絶望しながら死んでいく≫のをお見せする約束が、これで完全に果たせ無くなってしまった!それこそが≪一番の楽しみだ≫と仰っていたのに!
**
じじぃが到着してから十日、クレリアがやっとくたばった。しかし困った事にあの女は、じじぃを娘ロザリアの後見人に指名して死にやがった!この話を記録として残したのが、下っ端の司祭なら側妃の力で何とでもなっただろうが、相手が大司教だとそうはいかない。
おまけにあのじじぃ、それは父親である自分が引き受けると言ったのに、伯爵家出の俺では公爵の後継者を育てるのは無理だろうと抜かしやがった!馬鹿にしやがって、この死に損ないが!
次期公爵の後見人兼代理人となり、公爵家の権力を手に入れる予定だったのに、これでは何も手に入らないじゃないか!
あれから二日後、ようやくあの女の葬儀が終わった。これでやっとミラベラの所へ行ける。側妃様から叱責の手紙が来ていたようだが、今は其れどころでは無い。
連絡係の女中が何も言ってこなかったから、まだ子供は生まれていない筈だ。あんな政略で結婚した、人を見下す高慢な女と違って、俺の価値を理解し、心から愛し、尊敬してくれるミラベラ。彼女と結婚するためなら、どれほど時間と金がかかろうと、構わなかった。
そして、その苦労がようやく報われる!公には出来ないが、今日は彼女と俺の結婚式だ!葬儀の後のどさくさに紛れるように屋敷を抜け出した俺は、浮き立つ思いで彼女の家へと向かった。
しかし、そこはもぬけの殻だった。俺が送った手紙が何通も扉に挟まったまま、放置されている。これは、どういうことだ?
慌てて近所の住民に話を聞いてまわると、十日ほど前にミラベラが産気づいて産婆が呼ばれた事や、彼女の親らしき夫妻が来た事が判った。
だが今は、連絡係の女中共々、誰一人として居ない。訳が判らなかった。
唯一判るのは、間に合わなかったという事だけだ。子供は十日も前に婚外子として生まれていたのだから。これで高位貴族との結婚は不可能だ。ちくしょう、これも全てあのじじいのせいだ!くそ、こうなったら新しく計画を練り直さないと!だが、先ずは、彼女の生んだ子を私の子として認知しないと…
とりあえず彼女の出産に立ち会った産婆を探し出して、話を聞こう。この国では産婆は教会に属していて、出産後は速やかに教会に届け出がされる。その際、父親が不明の場合は私生児として届けられるが、二週間以内なら認知が可能だ。生まれてから十日、まだ間に合う!
そう思っていた…
しかし、それは不可能だと判明した。調べた結果俺の子は、出産の直前にミラベラが結婚したニッコロ・フラッチという男の子供として、既に教会に届けられていたのだ…
ミラベラ、なぜ俺を待てなかった?あれほどまでに手紙を書いたのに。十通以上送った内の、少なくとも二、三通は見たはずだ。なのになぜ?君と子供のために時間と大金をかけて、色々と準備をしてきたのに、これで何もかもがぱぁだ!
…結局、俺は裏切られたという事なのか?ニッコロ・フラッチとは、いったい何者だ?いつから彼女はその男と関係していたのだろう。もしかして子供も、俺の子ではなく、そいつとの?
少なくともミラベラは、私生児を生んで俺を待つよりも、ニッコロとかいう男との結婚を取ったのだ。本当に俺の事を愛していたのなら、たとえ私生児を生んででも、俺を待っていてくれる筈だろうに、あの女はさっさと別の男と結婚してどこかへ行ってしまった。
あれほど愛してると言っていた癖に、この後に待っているだろう俺との幸せな暮らしよりも、目の前の結婚に飛びつく浅はかな女だったという訳だ。ふん、馬鹿な女め。
俺はこんな事で傷付いたりしない。そうさ、馬鹿な女が一人居なくなっただけじゃないか。ちくしょう、俺は傷付いたりなんか……くそぅ!ミラベラ…
失意の中、公爵邸に戻った俺を待っていたのは、鬼のような形相をしたセルッティ伯爵だった。どうやら葬儀の後、長時間屋敷を留守にしていた事に腹を立てているのだと思ったが、そうではなかった。
「これは何だ?」
親父が俺に突きつけてきたのは、俺がミラベラに書いた手紙の一部と、隠していた筈の側妃との密書、そして賊を雇った時に交わした、公爵家馬車襲撃の依頼書だった。
(ばれていた!?いったい、いつから?いや、とにかく今はなんとか誤魔化さないと!)
「ち、違うんだって!これは何かの間違いだ…信じてくれよ、父さん!」
「私だって、これを見せられたからといって、疑いもせずに信じた訳ではない!だから、今日一日、我が家の使用人にお前を見張らせていたんだ。何も無いと信じたかったのに…妻の葬儀の直後に愛人宅を訪ねるとは!その時点で、これ等を肯定しているようなものだろうが!いったい、どう申し開きをするつもりだ?」
「それは…」
パンッ!
すがろうとする俺の手は、父の杖に叩き落とされた。そんな怒る親父の後ろで、あのくそじじぃは、静かに笑っている。
「いいか、よく聞け!金輪際、お前とは縁を切る!二度と私の前に現れるな。それと、公爵閣下はお前の償いをお望みだ。だから、好きにして下さいと言っておいた。有り難いことに、それ以外の賠償は求めずにいて下さるそうだ。だから、お前は誠心誠意、償うんだな」
「そんな…」
「それと、これらも回収しておいた」
手紙の束が俺にぶつけられ、床に散らばる。それは、ミラベラの家の扉に挟んだまま放置されていた、俺の手紙だった。それ等を見た途端、苦い痛みがぶり返すが、そんな事等お構いなしの騎士達は、俺を捕らえて公爵家の地下にある牢に放り込んだ。
公爵の望む償いが、どのような物なのか判らなかったが、少しでも心証を良くしようと思った俺は、せめて一目で良いから、娘に会わせて欲しいと言ってみたが、
「娘の同情心にすがろうとしても無駄だ。私がお前をロザリアに会わせるはずが無いだろう?」
「だが、娘は俺に会いたい筈だ。だって父親なんだから…」
「ロザリアは、お母様を苛めたお父様には、二度と会いたく無いと言っていたよ」
「そんな…嘘だ!」
「本当だ。だからお前は安心して、地獄に落ちれば良い」
鉄格子越しにそう言った義父の眼差しは、憎悪の闇に染まっているのに、顔は楽しげに笑っていた。それが、どうしようもなく恐ろしい物に思えた。
背筋を恐怖が這い上り、立っていられなくなった俺は座り込み、後退りながら、それでも必死で考えた。何か方法が有る筈だ。何かきっと…でないと俺は…