一日一回僕とキスしないと死んじゃう佐倉さん
「さ、佐倉さん……好きです!! 俺と付き合ってください!!」
「ごめんなさい」
「うわあああああああ!!!!」
放課後の裏庭。
そこでは今日も見慣れた光景が繰り広げられていた。
名も知らぬモブ男子が佐倉さんに告白し、無残にも玉砕する――そんな光景が。
そしてその様子を木陰からコッソリ覗いている、我々クラス男子一同。
クラスのマドンナ(死語)たる佐倉さんの恋愛事情は、どうしたって気になってしまうのだろう。
99.99%フラれるだろうと誰もが思いつつも、万が一ということもある。
もっとも、そんな都合よく奇跡が起きるはずもないので、今回も確率通りにモブ男子がフラれる様を見て、みんながみんなホッと胸を撫で下ろした。
あまり趣味がいいとは言えない行為だが、これが思春期男子というものだ。
古事記にもそう書かれている。
「……」
「……!」
コールド負けを喫した高校球児みたいに頽れているモブ男子をよそに、クールにその場を後にする佐倉さんだが、去り際僕のほうに意味あり気な目線を向けてきた。
『今日もいつもの場所で』――その瞳はそう言っているようだった。
僕は小さく頷き返し、祝勝会ムード漂うクラス男子たちの輪から、そっと一人抜け出す。
「ゴメンね佐倉さん! 待った?」
「いいえ、私も今来たところよ、天﨑君」
そして僕がやって来たのは、学校から大分離れたところにある、人気のない小さな公園。
ここは住宅街からも離れていることもあって、滅多に人が寄り付かない、言わば穴場スポットだ。
「じゃあ、今日も早速お願いできるかしら?」
「――!」
澄ました様子で、グイと距離を詰めてくる佐倉さん。
ラノベの表紙に載ってるみたいな、現実には有り得ないだろってくらいの美少女フェイスが、僕の眼前に――!
僕の心臓がドクドクと早鐘を打ち始める。
何度見ても慣れないなこれは……。
「は、はい……、では……」
「……ん」
「っ!」
目をつぶって、プルンとした艶のある唇を突き出してくる佐倉さん――。
僕の心臓はテンポ200で16ビートを刻んでいる。
今にも張り裂けそうだ――。
あまりの緊張で逃げ出したくなるが、そうも言っていられない。
――意を決して、僕は佐倉さんの肩に両手を置いた。
「し、失礼します」
そして禁断の果実のような瑞々しい唇に、そっと自分の唇を重ねる――。
「……んふっ」
「……んっ」
1……2……3……4……5……。
嗚呼――佐倉さんの唇――今日も柔らかい――。
「……」
「……」
6……7……8……9……10……!
「……はっ」
「……ふぅ」
――永遠とも感じられる10秒を数え終え、名残惜しくもそっと唇を離す僕。
僕の勘違いかもしれないが、佐倉さんの頬には若干赤みがささっているようにも見える。
「……ありがとう、天﨑君。これで今日も私は、一日寿命が延びたわ」
「そ、そう、それは何よりだよ」
「じゃあ、また明日ここでね」
「う、うん、また明日……」
クルリと僕に背を向け、スタスタと立ち去っていく佐倉さん。
その背中を、僕は形容し難い複雑な感情で眺めていた。
――僕と佐倉さんがこんな不思議な関係になったのは、今から一ヶ月ほど前。
「さ、佐倉さん……好きでごわす!! オイドンと付き合ってほしいでごわす!!」
「ごめんなさい」
「ごわあああああああす!!!!」
今日も今日とて見慣れた光景が繰り広げられている、放課後の裏庭。
フラれてしまった名も知らぬモブ力士には申し訳ないが、ホッと一安心しながらその場を立ち去り、一人で帰路についた僕だが――。
「天﨑君、ちょっと今いいかしら?」
「……え?」
その帰り道、不意に誰かに声を掛けられ振り返ると、そこにいたのはあろうことか、佐倉さんその人であった――。
さ、佐倉さんが僕なんかにいったい何の用が――!?
――実は佐倉さんと僕は同じ幼稚園出身で、当時は毎日二人で遊ぶくらい仲がよかったのだが、小学校、中学校、高校と成長するに連れ、佐倉さんはどんどんとラノベ表紙美少女へと変貌し、今では凡人そのものである僕とは、月とスッポンどころか、太陽とミジンコ並みの差がついてしまい、すっかり疎遠になってしまっていた。
最近はほとんどクラスでも会話することさえないというのに……。
「う、うん、僕は大丈夫だけど……」
「……折り入って大事な話があるの。私についてきてもらえないかしら?」
「へ?」
大事な、話……?
「――実は私ね、『ニャッポリート症候群』っていう病気なの」
「っ!?!?」
そして僕が佐倉さんに連れてこられたのは、学校から大分離れた人気のない小さな公園。
ニャッポリート症候群!?!?
「聞いたこともない病名よね」
「う、うん……」
「無理もないわ。世界でもまだ数例しか発見されていない奇病だもの」
「――!」
そんな珍しい病気に、佐倉さんが――!?
「……どんな病気なの、そのニャッポリート症候群ていうのは?」
「原因は未だ不明なんだけどね、ある日突然、耐えられないくらい胸が苦しくなるの」
「――!」
「身体中が熱くなって、もう何も考えられなくなる――。正直、何度も死にかけたわ」
「そ、そんな!?」
それほど重い病気だなんて!?
「幸い治療薬は開発されてて、この薬を一日一錠飲めば、症状は抑えられるんだけどね」
佐倉さんはピルケースに入った白い錠剤をポケットから取り出し、カシャカシャと振って見せた。
そ、そうなんだ、それは不幸中の幸いだな。
「……でもね、これにも問題があって」
「え?」
問題?
「この薬はニャッポリート草っていう、南米にある特殊な植物が原材料になってるんだけど、昨今の森林破壊の影響で、ニャッポリート草は絶滅寸前なの」
「っ!!?」
何ということだ――!!
自然破壊の皺寄せが、こんなところにも――!!
「このままじゃ私、長くは生きられないかもしれないわ」
「佐倉さん……!」
憂いを帯びた顔で項垂れる佐倉さん。
……くっ、あんまりじゃないか神様!
こんな国宝級とも言える美少女の命を、若くして奪おうだなんて――!
「どうにかならないの佐倉さん!? その薬の代わりになるようなものとかないの!?」
「――あるわ」
「え?」
あ、あるの……?
何だ、じゃあ早く言ってよ……。
「――それはね、天﨑君の唾液」
「………………は?」
今、何と?
僕の聞き間違いじゃなければ、僕の唾液って言ったように聞こえたんだけど??
「こんな話、すぐには信じられないわよね。――でもこれは本当よ。人の唾液の成分を調べる、特殊なアプリでそう判明したんだから間違いないわ」
「特殊なアプリ!?!?」
佐倉さんはスマホを取り出し、そのカメラを僕の顔に向けてきた。
「このアプリを起動したまま対象者の唇にカメラを向けるとね、その人の唾液の成分を自動で判定してくれるの」
「そんなことが可能なの!?!?」
だとしたらそれは、世紀の大発明では!?!?
「一縷の望みをかけて学校中の人の唇を観測した結果――天﨑君、あなたの唾液だけが、唯一ニャッポリート草とまったく同じ成分だということが判明したわ」
「マジっすか……」
奇跡も、魔法も、あるんだね(迫真)。
で、でも、これは僥倖だ。
こんな僕でも、佐倉さんの役に立てるというのならば――!
「そういうことなら、喜んで協力するよ! 僕なんかの唾液でよければ、いくらでも使ってよ!」
正直唾液で薬を作るというのは、衛生上よくない気もするけど、背に腹は代えられない。
「本当に? ――ありがとう天﨑君。あなたは命の恩人よ」
「――!!」
僕の手をぎゅっと握ってくる佐倉さん。
ふおおおおおおお!!!!
この手を合成樹脂でコーティングして、永久保存したいぜええええ!!!!
「では早速お願いね。――ん」
「……え?」
そう言うなり、プルンとした唇を突き出してくる佐倉さん。
んんんんんん????
「え、えーと、佐倉さん、お願いというのは、いったい……?」
「だから私のために唾液を提供してくれるんでしょ? そのためには経口投与――つまりキスが一番効率がいいのよ」
「そんなバカな!?!?!?」
えっ!? えっ!?!?
待って待ってッ!!!!
つまり今から僕は、あの佐倉さんと、キキキキキキスするってこと……!?!?
「大丈夫、唾液は少量あれば十分だから、軽く唇が触れ合う程度でいいわ。その代わり、最低10秒はキスし続けてね」
「10秒も!?!?」
10秒あれば、高橋名人だったら160回はボタン押せますよ!?!?
「……ダメなの?」
「――!!」
潤んだ瞳で僕を見つめてくる佐倉さん――。
アッッッッッ(萌死)。
そ、そうだ、何をビビッてるんだ僕は――!
佐倉さんの命がかかってるんだぞこれは――!?
ここで男を見せなきゃ、いつ見せるってんだよ――!
「……わかったよ――キス、させてもらうね」
「――!」
覚悟を決めて、佐倉さんの肩に両手を置く僕。
佐倉さんは顔をほころばせながら、そっと目を閉じた。
「し、失礼します」
僕は禁忌の領域に足を踏み入れたような背徳感を覚えながらも、佐倉さんの唇に自らの唇を重ねた――。
「……んふっ」
「……んっ」
1……2……3……4……5……。
う、うわ、何だこれ――!
これが佐倉さんの唇――!
柔らかくて、温かくて――有り得ないくらいの多幸感で全身が満たされていく――。
「……」
「……」
6……7……8……9……10……!
「……はっ」
「……ふぅ」
――永遠とも感じられる10秒を数え終え、頭がクラクラしながらも唇を離す僕。
僕の勘違いかもしれないが、佐倉さんの顔には達成感のようなものが浮かんでいるような気がした。
「……ありがとう、天﨑君。これで私は、一日寿命が延びたわ」
「あ、いや、僕なんかで佐倉さんのお役に立てたのなら、本望だよ」
心臓がドクドクと早鐘を打っていて、自分のものじゃないみたいだ。
足もガクガクしてるし、佐倉さんとのキスの破壊力は、ヘビー級ボクサーのアッパーカット並みだよ――。
「ふふ、じゃあ、また明日ここで、この時間に会いましょう」
「……え?」
さ、佐倉さん……?
「だってそうでしょ? 私は毎日天﨑君とキスしないと死んじゃうのよ? だから天﨑君は、これからもずっと私にキスしてね?」
「――!!」
そんな――!?
ままままま、毎日佐倉さんとキス――!?!?
そんな生活、僕の心臓は果たしてもつだろうか!?
で、でも、今更後には引けないし……。
「――わかったよ。また明日、ここでね」
「ふふふ、ありがと」
妖艶な笑みを浮かべながら、僕に背を向ける佐倉さん。
――その時だった。
「……もう逃がさないわよ」
「……へ?」
佐倉さん?
「今何か言った?」
「いいえ、何でもないわ。――じゃあまたね」
「う、うん、また」
一度も振り返らず、スタスタと僕の前から去っていく佐倉さん。
その背を見つめながら、何故か僕は透明な檻に閉じ込められたかのような錯覚に陥った。




