4 運命が決まるその日まで
「殿下。私、婚約指輪をなくしました」
「え?」
指輪を投げ捨てた次の日のこと。
その日は王城に向かい、ライアンに顔を出すことになっていた。
そして、私はライアンとお茶を飲んでいたわけだが。
ライアンは突然の話に動揺。
ふーん。こんな人でも動揺するんだ。
「本当に申し訳ございません…………婚約の証であった指輪が無くなったので、殿下と私の婚約はなかったことに」
「いや、破棄はしないよ」
「え?」
下げていた頭を上げる。
「確かに、あの指輪は婚約の証だけれど、それを失くしたからといって大した問題にはならないよ。指輪なんて作りなおせばいいしね」
と言って、ライアンはこちらに微笑みかけてくる。その微笑みは心の底からのものではなかった。
「こんなことで、婚約を破棄できると思ってるの? …………ああ、ここ1年様子がおかしかったのはそのせいか」
すると、私の侍女であるイザベラが部屋に入ってきた。
何事かしら?
私が首を傾げていると、イザベラは焦りながらも丁寧にお辞儀をした。
「失礼いたします。あの……ルーシー様の指輪ですが、見つかったようでして」
「え? どこにあったの?」
「それがどうも食堂にあったようでして。私も伝達を受けただけですので、はっきりしたことは分かりませんが、猫がくわえていたようです」
猫がくわえていた?
池に捨てた指輪が?
「そんなはずない。私、ちゃんと池に捨てて…………」
その時、私は失言したことにすぐ気が付いた。
ゆっくりと彼の方を見る。
「池に捨てた?」
鋭い彼の瞳がこちらに向く。
私は『アハハ…………』と苦笑い。
もう何も言えなくなっていた。
「まぁ、でもよかったね、ルーシー。指輪が見つかって」
「はい……………………」
ライアンは私の両手を握る。そして、左手の薬指に触れた。
「いくら捨てたってだめだよ。この指輪は絶対に君のところに帰ってくるからね」
その時、私の手元に婚約指輪はなかったけれど、すでに自分のところに戻ってきているような気がした。
★★★★★★★★
私は婚約指輪を池に捨ててからも、指輪を捨てた。
家の近くじゃなくて、ずっと遠くに。
街にこっそり出かけて、そこで指輪を落とすとか。
かなり深いと言われる池に投げ捨てるとか。
闇市場で売って国外へ出すとか。
どんな方法でも、チャレンジした。
結構危ないこともした。
だけど、その努力を一掃するかのように、全て1日以内に私の元に返ってきた。
「なんで? なんで?」
憎い指輪を受け取った私は夜の廊下に立ちつくし、指輪を見つめる。
くるくると指輪を手のひらで転がす。
すると、指輪の内側には『∞』という記号が彫られているのを見つけた。
なにが∞よ。
結局ヒロインちゃんと結ばれるくせに。
どうせ戻ってくると分かっていたが、私はまた窓から指輪を投げた。
ポイって感じではなく、いら立ちをこめて思いっきり投げる。
こんなもの、遠くに消えてしまえばいいのよ。
私の目の前から消えてしまえばいいのよ。
月の光に照らされて、投げた指輪が星のようにキラリと光る。
そして、その指輪は手のひらに落ちた。
そこに立っていた子どもの手のひらに。
「え?」
指輪をキャッチした1人の子ども。
その子はラザフォード家の庭で1人立っていた。
あの子、誰…………?
子どもは灰色のようなフード付きコートを着ていた。
夜で暗く、その子の姿はよく見えず、男の子なのか女の子か分からない。
好奇心が大きくなった私はじっと見つめていると、その子と目があった。
すると、その子はニコリと笑った。
何か、言ってる?
その子は何か言っているようで口をパクパクさせていたが、私の元まで声が届くことはなく。
そして、一時して去っていた。
近くに住む子がラザフォードの庭に迷い込んだのかしら?
――――――あ、てか、指輪持っていかれた。
後で侍女たちに聞いてみたところ、そんな子は近所に住んでいないとのこと。
その子のことを話すと、侍女たちは幽霊を見たんじゃないかと言って、怯えていた。
馬鹿馬鹿しい。
幽霊なわけないでしょ?
あれはきっと人間だわ。
私はふと考え、あの子どもを見た窓に寄る。
でも、あれきっりあの子どもは現れていない。
もしかしたら、幽霊だった?
―――――まさかね。
そして、あの子どもが指輪を奪っていってから、1週間経っても私の前にあの指輪が現れることはなかった。
★★★★★★★★
「殿下、1週間前に指輪を失くしまして…………」
王城に向かい、ライアンとともにお茶をしていた私は告白した。
これで婚約破棄になるんじゃ?
だって、婚約指輪を失くしたんだよ?
シンプルだけど、あの高価そうな指輪を。
そんなものを失くす人は王子の婚約者になるべきじゃないでしょ?
「君の元に指輪は戻っていないの?」
ライアンは冷たい声で、でも、どこか不思議そうに尋ねてきた。
「はい…………残念ながら」
そして、私は本当に残念そうに答えた。
すると、ライアンは大きなため息をついた。
よし、よし。
この感じだと、婚約破棄になるんじゃない?
微動だにしなかったライアンだが、小さくうなずくと、執事を呼び。
「オリバー。新しい婚約指輪を用意して」
と言った。
当然執事は困惑。
想定していたが、新しいものを用意することはないと思っていた私も困惑。
信じられないとでも言いたげな顔を浮かべるおじいちゃん執事。
彼は確認するかのように、ライアンに尋ねなおした。
「…………婚約指輪をですか?」
「うん。そう」
「承知いたしました」
そう返事をすると、すぐに執事は部屋を去っていた。
新しい婚約指輪?
うそでしょ?
「ルーシー。今すぐに新しい指輪を用意できなくて悪いね」
「…………いえ」
「前の指輪が返ってくるまで、新しい指輪をつけていてね」
数日後。
ラザフォード家に新しい婚約指輪が届いた。
失くしたことを黙っていた私はお母様にこっぴどく叱られ。
結局私の左手の薬指には婚約指輪がはめられた。
はぁ、物が変わったとはいえ、元通りってわけね。
『いくら捨てたってだめだよ。この指輪は絶対に君のところに帰ってくるからね』
そんなライアンの言葉を思い出す。そして、考え始める。
この先何しても抵抗しようとしても、私はゲーム通りになるんじゃないか、と。
転生したばかりの頃のように、将来に希望が持てない。
絶望しか見えない。
「はぁ……………………」
自室で1人の私は大きなため息をつく。
もう諦めよう。
ライアンとの婚約をどうにかすることも。
ライアンをこちらに振り向かせることも。
そして、こうしよう。
限りある時間の中で、流れるままに生きると。
分かってる。
この感じだと、ゲーム通りになる。
よければ国外追放。最悪であれば死亡。
――――――――――――私はそれを受け入れよう。
そう決意した日から私は、自由気まま生きることにした。
何も考えず、したいことする。
私の運命が決まるその日まで。
しかし、前の指輪は私の元に帰ってくることはなかった。