3.ハリアル屋敷(後編)
ルリは見知らぬ地下のような場所で落下の衝撃を感じつつ、ゆっくりと立ち上がった。
(ここはどこ?どうなったんだっけ私……)
灯りが無くて真っ暗だが、魔女の視力のおかげで段々と周囲が見えてくる。周りを見回すと横で倒れているミルに気付いた。そして、ハリアル屋敷の仕掛けを解いていて、最後と思われる部屋で突然床が抜けて下へ落下した事を理解した。
『……』
「ヘレナ、無事で良かった。ミル?見たところ外傷は無いけど、落下の衝撃か魔法か何かで意識を失ってるみたい。そういえば落ちる前に何か変な様子だったような……」
使い魔のヘレナが上の穴から降りて来た。ヘレナによると相当な高さを落ちたようで、建物の高さより地下の方が深そうだ。無事だったのはミルが落下速度減少の魔法をかけてくれたからだろう。
(ミルに回復魔法をかけないと)
そう思いミルの方を向くと、鉄格子越しの隣の部屋から敵意を感じた。何かがこちらを見ている。周りは石壁で、ここは牢屋のような作りの部屋だが、暗闇の中、鉄格子の先から敵意のようなものを感じる。私は覚悟を決めてロッドを取り出し先端に灯りの魔法を灯す。灯りが周囲を明るく照らしていく。
「スライム!」
隣の部屋で蠢いていたのは緑色をした粘液状の魔族、スライムだった。魔族の中で強い方では無いが、全身に強い毒性があり、服や魔導具も溶かす為、油断出来ない相手である。スライムは4,5匹群れていて、こちらにゆっくりと近付いて来ている。
「はっ!」
私は火球の魔法を作り出し、接近される前に攻撃した。こちらの動きに反応した先頭のスライムが飛び掛かってきたが、火には弱い為、燃え上がり消滅する。私はすかさず2撃、3撃と火球を撃ち、見える範囲のスライムを撃退した。
『……』
「ありがとう、大丈夫。でも、屋敷の地下にこんな魔族が居るなんて。トラップで落ちた相手をスライムで殺そうとしたとしか考えられない」
トラップとは本来そういった物なのだが、屋敷の謎かけがそんなに危険に満ちたものに思えなかったのでどうもしっくりこない。そして、今はそういった事を悩むより、現状を打開する方法を考えた方がいいだろう。
「ヘレナ、落ちた穴は閉まってたんだよね。そうなると飛んで上から出るのは無理そうかな。謎解きで出て来た地下への階段が本来のルートならそこに繋がる道もある筈だし、他にも出口があるかもしれない」
『……』
「うん、偵察をお願いしていい?魔族が居たらすぐに戻って来て、あんまり先までは見て来なくていいから」
ヘレナが周囲の偵察を申し出てくれたので任せる事にする。ヘレナなら魔法の仕掛けがあっても先には進まないだろうし、魔族がいたとしても中級以上じゃ無ければヘレナに攻撃は効かない。ヘレナが偵察に行ったので私はその間にミルの治癒に取り掛かる。
(回復魔法をかけても目が覚めない。外傷も肉体的なダメージも少ないし、やっぱり精神的な何かが原因なのかな。ミルが階段を覗いた時何が見えたんだろう……)
ミルが私の身を案じて先んじて階段の下を確認に行ったのは分かっている。そもそも屋敷に入ってから私は最初の謎かけを解いただけで、それ以降は全部ミルがやってくれた。私だったら時間をかけて謎かけを解いて行って、時間切れか、途中で失敗して帰る羽目になっていただろう。改めて自分の未熟さを実感させられる。
(今目覚めさせたらまたミルが無理をしちゃう。今までミルが頑張った分、今度は私が頑張らないといけない)
私はミルを浮遊の魔法で浮かせ、物理、魔法防御の魔導具を手に持たせる。これで戦闘の流れ弾ぐらいは防げる筈だ。こういった事態は想定して無く、殆どの魔導具やポーションなどは宿屋に預けた荷物の中だ。ミルに比べて私の魔力は少ないけど、それでも在学中に訓練して、並の魔女よりは魔力は多くなってる。長期戦にならなければ大丈夫だ。移動の準備をしているとヘレナが戻ってきた。
『……』
「ありがとう。ミルは大丈夫だけど、精神的なダメージがあるみたいだからしばらく寝かせてあげようと思って。うん、他にも魔族が居て、この階に出口は無さそうなのね。まずは上の階へ行く階段をめざそうか」
ヘレナと思考が繋がり、大まかな周囲の地図が把握出来た。魔族はいるものの、周囲には下級の魔族しかいなそうだ。まずはヘレナが見つけて来た上への階段と思われる場所へ向かう事にする。
「あたしが先導するから、ヘレナは後方を警戒しつつミルの事をお願い」
『……』
ミルを浮遊魔法で私に付いてくるようにして、ヘレナと背中合わせの形で進んで行く。元々居た部屋の鉄格子は一部壊れていて抜けられ、スライムの居た部屋から通路に行けるようになっていた。通路に出ると同じような鉄格子のかかった部屋がいくつもあり、ここが地下の牢獄みたいな場所だと分かる。
(魔族のダンジョンかとも思ったけど、見た感じ人間が作った古い牢屋みたい。元々貴族の屋敷に作られた物だったのかな)
周りを見つつ慎重に進んで行く。いくつか部屋を覗くと、そこにはゴブリンやオークなどの下級魔族の死体があった。部屋から出られず、食べ物が無いため餓死したようだ。
(魔族を飼育していた?誰が?何の為に?)
疑問は増えるが、今はそれを調べている場合では無い。早速下級の魔族のジャイアントスパイダーがこちらに気付いて近付いて来た。スライム同様強くは無いが、粘着力のある糸だけは厄介な存在だ。
(来る!)
私は反射的に魔技の『絶対の盾』を展開する。すると盾にジャイアントスパイダーが吐いた糸がぶつかるのが見えた。予想より素早い動きだ。ジャイアントスパイダーは私を絡み取ったと思ったのか糸を引き戻したが、そこには私の姿は無かったのでじりじりとこちらに近付いて来る。
(盾を解いたらまた糸が来る。かといって解かないと魔法が使えない)
背後のミルを含めて盾を展開してるので、魔力の消費はいつもより多い。長期戦は今後不利になる為、なるべく早く決着を付けたかった。
(ジャイアントスパイダーの弱点は……そうか!)
私は盾の中で魔法を唱え始める。そして魔技を解くと共に魔法を発動させた。ジャイアントスパイダーもこちらの盾が無くなったのに気付いて再び糸を発射する。でも、糸はこちらには届かない。暴風の魔法を使ったからだ。ジャイアントスパイダーの糸は粘着力も強度も飛ばす速度もあるが、その分とても軽い。暴風に逆らえるほどの威力は無いのだ。そしてその風がジャイアントスパイダーに届くとジャイアントスパイダーは異変を感じて後ずさる。私が虫よけ薬の瓶を開いて魔法にのせて飛ばしたからだ。少量でも蟲型の魔族には耐えがたい臭いなのだろう。
「はあっ!」
逃すと後から襲われそうなので、逃げようとするジャイアントスパイダーを光の槍の魔法で串刺しにした。ジャイアントスパイダーは倒れ、脚をピクピク動かして藻掻いたが、やがて動かなくなった。
「ふぅ……。ヘレナ、急ごう」
『……』
ゆっくりしていたらまた他の魔族が出てくるかもしれないし、ミルにかけた浮遊の魔法も解けてしまう。私はジャイアントスパイダーの死体の横をすり抜け、昇り階段がある場所へと急いだ。
「嘘……」
階段を見つけ、昇っていくと、すぐにそれは絶望感へと変わった。階段の上の壁が崩れ、瓦礫の山となっていたからだ。風の流れも感じられず、上は完全に塞がれているだろう。地下への空気の流れ自体はあるので、どこかは出口に繋がっている筈だ。ここ以外の場所を探さないといけない。
ヘレナと協力してフロアを確認したところ、外や上へ行ける箇所は無く、もっと下へ降りるしかない事が分かった。一部の鉄格子が破壊され、リザードマンなどの魔族とは戦闘になったが、下級の魔族だけだったのでそれ程魔力は使わずに済んでいた。
「降りるしかないみたいだね、行こう」
まだ眠っていて背後に浮かしているミルはヘレナに任せ私はロッドに灯した魔法の灯りをかざしながら階段を降りて行く。誰が何のために作った地下なんだろうか。ミルが起きてれば魔力の流れとかからもっと何か分かったかもしれないが、私には古代魔法帝国や魔族の作ったダンジョンとは異なり、もっと近代の人の手によるものだとしか分からない。
(!?)
下のフロアが近付いて来た時、私にも濃い魔力の気配が分かる。嫌な感じだ。ミルが感じ取ったのはこの感覚なのかもしれない。
「ヘレナ、気を付けて」
『……』
ヘレナに注意を促しつつ、階段を下りきる。
(何かいる)
足音を忍ばせつつ敵と思われるものがいる方へと近付く。戦闘は避けたいが、限られた地下なのを考えると先手で倒してしまった方が探索しやすくなる。地下の構造を知らない分不意打ちだけは何とか避けていきたい。
(マンティコア!?)
翼が生えた体長5メートルほどの4足獣の姿が地下通路の曲がり角の先に見えた。老人の顔に獅子の身体と蝙蝠の翼に蠍の尾。魔族の中でも魔獣と呼ばれ恐れられる中級の魔族だ。この地下の主かとも思ったが、知恵はあっても鉄格子に魔族を閉じ込めたりはしないだろうし、マンティコアも誰かに地下に閉じ込められた魔族の1体だろう。
(どう戦えば……)
上級のドラゴンなんかに比べればずっと弱いが、知能は高く、狡猾で、素早い。何より今は寝ているミルを庇いながら戦う必要がある。この距離なら匂いでこちらに気付いている可能性が高く、逃げるのは愚策だ。装備が整っていれば楽勝とまではいかなくても、負ける相手では無い。だが、今は魔導具も少なく、一瞬の隙が自分かミルを危険に晒す事になる。
『ヘレナ、少しだけミルを守って我慢して』
『……』
私はヘレナに脳内で伝え、ミルを地面に下ろしヘレナと共に残し、マンティコアの前に飛び出した。突然の行動に驚いたマンティコアだが、即座に反応してこちらに突進してきた。近接戦闘になればこちらは圧倒的に不利だ。私は魔技の盾を展開してマンティコアの爪での攻撃を防ぐ。相手が向こうにミルがいる事に気付く前に何とかしないといけない。私は盾の中で詠唱を始め、解くと同時に精神錯乱の魔法をマンティコアへと放った。マンティコアの魔法耐性は高いが、知能が高い分精神系の魔法も効果がある。魔法に耐えるには集中する必要がある筈だ。
「グォオオオ……」
低い雄叫びをあげマンティコアが停止する。うまく行った。私はすかさず光の槍の魔法を唱えて放つ。この距離なら外すわけがない。
「え?」
しかし光の槍はマンティコアが作り出した魔法のシールドで防がれ、わずかに身体に傷を付けただけだった。精神の回復が予想より早かったのか、それとも効いてる振りをしていたのか。しかしそんな事を考えている場合では無い。
(この距離じゃ魔技は使えない。来るのは魔法か爪か、それとも……尻尾か!)
私は迫って来るマンティコアにあえて突進した。私の頭上を蠍の尻尾が飛び越え、背中に激痛が走る。魔導具の物理防御と私が前に出た事で何とか尻尾の1撃は致命傷にはならなかった。だが、背中のローブが破け、わずかに蠍の尾の毒が身体にかかっている。私は力場の魔法でマンティコアを吹き飛ばし何とか距離を取って魔技の盾を展開する。魔女なので毒には耐性があり、本来致死性のマンティコアの毒にも耐えられる。だが、毒の影響で動作は鈍くなり、長時間放置すれば死ぬ事もある。
(解毒しないと)
私が解毒の魔法を唱えようとすると、マンティコアが動き出した。
(しまった!)
私の動きからなのか、魔力を感知してなのかは分からないが、マンティコアがミルの存在に気付いたようで、盾を展開している私の横をすり抜けようとする。それだけは止めなければならない。
「相手は私よ!」
魔技を解いて重い身体で魔法の槍を放つ。マンティコアはそれを避け、再びこちらに目標を変える。一撃で決めなければやられる。私は集中して最適解を考え、実行した。
「行け!」
私がミルに教え、ミルが使いこなしている魔法の使い方。複数の魔法を同時に詠唱し、組み合わせてより効果的な魔法に変える。私の魔法に対してマンティコアは再び魔法の盾を展開した。私の光の槍の魔法はその盾を回避するようにマンティコアの斜め横へ飛んで行く。そして途中で突然軌道を変え、マンティコアの脇腹へと真っ直ぐに飛んで行き、槍はぐさりとマンティコアを貫通した。魔法の鏡を同時に設置して反射させたのだ。
「ガァアアア……」
マンティコアは反撃しようとしたが、藻掻くだけでやがて動かなくなった。
「やった……」
魔法の同時詠唱で頭を使ったのと毒が回ってきた事で私はその場にしゃがみ込んでしまう。練習で同時詠唱をした事はあったが、実戦で使ったのは初めてだった。これを難無く使えるミルは改めて化け物じみていると思ってしまう。何とか気力を振り絞り解毒の魔法をかけ、私は立ち上がった。ミルとヘレナが無事かも気になっている。
「ヘレナ!大丈夫?」
『……』
ヘレナから無事を伝えられ、ホッとする。長居すればまた魔獣が出てくるかもしれない。ミルを再び浮遊させ、探索を始める。これは勘でしかないが、マンティコアが居た方の通路の奥に何かありそうな気がしていた。もしかしたら地上への出口かもしれない。通路を進んで行くと上の階と同様に檻のような部屋が並んでいて、やはり魔族が餓死していた。グリフォンやオーガなどの中級の魔族が多く、鉄格子が壊れた部屋から先ほどのマンティコアが出てきていたのだろう。身体が大きい魔族ほど消費も激しいのでエサが与えられず早く餓死したように見える。こちらの通路には他に生きている魔族はおらず、突き当りの部屋まで戦闘せずに済んだ。
(罠か何かがかかっているかもしれないから慎重に……)
私にはミルのような眼は無いので、魔法を使って罠などを見つけるしか無い。まず扉に魔法がかかっていない事が分かり、次に鍵がかかっている事が分かる。魔法でない仕組みなら魔法を使って鍵が開けられる筈。鍵は思ったよりすんなりと魔法で解除が出来た。扉の先に敵がいない事を祈りつつ、ゆっくり扉を開ける。
「何、これ……」
私は目の前に広がる景色に思わず絶句する。大きな金属製のテーブルに刃物が並んでいて、その上には腐敗した魔族の死体と思われるものが置かれていた。部屋の隅には魔族の骨と思われるものが山積みになっている。壁側の棚には液体に満たされた沢山の瓶に魔族の身体の一部と思われるものが浮いている。強烈な血と腐敗の臭いがするので急いで嗅覚を消す魔法を使う。嗅覚が切れてもおぞましさが残り、吐き気を何とか我慢する。ミルをこんな中に入れる訳にはいかない。
「ヘレナ、またミルと待ってて。何かあればすぐに呼んで」
『……』
心配そうなヘレナを横目に私は部屋へと入っていく。テーブルの近くに積み重ねられた金属の皿があり、ここで魔族をバラして、エサとして与えていた事が分かる。腐敗具合から1週間ぐらいは放置されたように思える。瓶には魔族の名前と部位が事細かに記され、几帳面な人物が研究に使っていた事も分かる。
(ハリアルは魔族の研究をしていた?これが彼女が見つけた新しい研究対象?)
疑念はすぐに確信に変わった。部屋の奥のテーブルにミルが言っていたようなノートが置いてあったからだ。私は何か分かるかもしれないとノートを開く。
『魔族がこんな興味深い研究対象だったとは。切っ掛けは落下の罠の下にクッション代わりにと大量に捕まえたスライムをどうにか育成しようとした事だった。彼らの生態、思考、行動様式、すべてが人間とはまるで異なる』
最初の一文でミルから聞いたハリアルの手記の続きである事が分かる。仕掛けを作る一環で魔族を捕らえ、そちらに興味が移ったようだ。落下の罠は私達が先程実際に引っ掛かったもので、本来その下に最初に倒したスライムを置く予定だったのだろう。私は先が気になりパラパラとページを捲っていく。その中である一文が目を引く。
『魔族の本質は闘争のようだ。ただエサを与えるだけでは一定期間を過ぎると弱まり、死んでしまう。人間、または他の魔族との戦いが彼らの生活には必要なのだ』
聞いた事の無い説だった。そもそも魔族の育成は禁忌とされ、その研究も禁じられている。あくまで素材としての用途や研究、倒す為の行動の研究などは国の許可があれば出来る事は出来る。しかし、魔法の仕掛けに興味を持つのは分かるが、魔族のどこに彼女は惹かれたというのだろうか。私はそれが知りたくなり先を進める。
『どうやっても人間とは意思疎通が出来ないようだ。魔法で操る時は完全に人間が支配しているだけで、使い魔のように相手の許可が得られている訳ではない。人とも動物とも完全に異なる生物。本当に興味深い』
ハリアルは自分と異なる存在に興味を惹かれたように見える。魔族に支配されるのが自然なのだと主張する邪教の回帰教団の信者という訳でもなさそうだ。でも、禁忌とされているのに研究を強行する理由はそれだけなのだろうか。
『アンデッド系の魔族が意思疎通を取れるのは元が人間だからだろう。先天的な魔族と後天的な魔族であるアンデッド系は本来は別に分類すべき存在なのかもしれない』
深く考えた事は無かったが、アンデッドのゴーストはヘレナのように人間に無害な存在も居たし、彼女の言う通り魔族というくくりに入れないのが正しいのかもしれない。ヘレナを使い魔として使ってる自分としてはその方がありがたい気がした。ハリアルの研究もきちんと発表すれば認められるかもしれない。
『今日は魔獣であるマンティコアを捕まえた。高価な捕獲用の魔導具を買った甲斐はあった。しかし今までの魔族より知能が高く、隙あらば騙して逃げ出そうとする。だが知能は高いが意志の疎通は出来なかった。彼らの根底に流れる想いが分かれば戦わない道が生まれるかもしれないのに』
魔族との意思疎通、そこからの戦闘の回避がハリアルの求めるもののようだ。魔族に家族を殺された私にしてみればおぞましい研究だ。一般的に魔族は人間と敵対する存在であり、和解は不可能だという結論に至っている。でも、本当に戦わずに済む道があるのならそれを望む人もいるかもしれない。私は複雑な気持ちになりながら最後の方のページへと読み進めていく。
『これ以上中級の魔族の研究をしても埒が明かない。やはり高位の魔族を呼び出して接触を計る必要がある。悪魔を召喚する方法は回帰教団と接触して手に入れた。あとは実行に移すだけだ』
そして彼女が絶対に行ってはいけない禁忌を犯そうとしている事が分かった。悪魔とは上級の魔族であるドラゴンをも上回る、魔族を統べると言われる存在だ。私は目にした事が無いが、下位の悪魔でさえ数十人の魔女を一度に滅ぼしたという記録がある。
(この地下の嫌な感覚はもしかして……)
「ルリ」
「!!」
私は突然背後から呼ばれて叫びそうになったのを堪える。背後にはいつの間にか目を覚ましたミルとヘレナが居た。ノートを読むのに集中していてまるで気が付かなかった。
「ごめん、驚かせるつもりは無かったんだ。ちょっと寝過ぎたみたいで、迷惑かけたな」
「そんな事無いよ。謎解きは殆どミルがやったんだし。罠にかかった時だって私は混乱してたのにミルが落下速度減少の魔法を使ってくれたから助かったんだよ」
「――それは別に大した事じゃ無い。それよりここはマズイ場所だったんだろ。戦闘した形跡もあるし」
「うん、魔族の研究がハリアルの次の研究だったみたい」
私は落ちてから今まであった事、見つけたノートの内容をミルに話す。
「そうか。あの感覚はもしかしたら悪魔のものだったのか」
「ミルが地下を覗いた時に何か感じたんだよね。もう大丈夫なの?」
「正直気分はまだ悪いけど、少し慣れて来たみたいだ。それでノートはそこで終わりなのか?」
「最後のページはまだ見てなかった。えーと……」
『準備は整った。私はこれから悪魔の召還を行う。念の為仕掛けを起動しておいた。もし私が失敗した場合、仕掛けを解くような凄い魔女なら全てを消し去ってくれるだろう』
それがノートの最後だった。そこまで読んで二人で無言になる。ここで終わっているという事は失敗してハリアルは悪魔に殺されている可能性が高い。そしてその悪魔がこの地下のどこかにいるという事が。
「どうする?もし悪魔がいるなら私達でも太刀打ち出来ないと思う。装備も不十分だし……」
「多分大丈夫だ。悪魔が召喚されたなら、こんな場所に留まっている理由は無い。他の魔族が飢えて死んでる事からも自由に移動出来ない状態で、魔法で縛られてるか、そもそも召喚が失敗しているかだと思う」
「確かめに行く?」
「とりあえず近くまで行って様子を見よう。もしあたし達で対処出来るなら対処したい。ここまで来たんだから」
ミルの言葉に力強さを感じ、私の弱い心が薄れていく。移動する前に私はどうしても気になっている事をミルに聞いてみる。
「ねえ、ミルはハリアルの魔族の研究についてどう思った?」
「魔族の研究、ねえ。あたしは魔族を気持ち悪いと思ってるし、金策として使うならまだしも、仲良くってのはうまく行かないと思ったよ」
「そうだよね、ハリアルはやっぱりどこかおかしくなってたのかもしれない」
私はミルの回答にホッとしたと同時にミルなら違う考えをするのではという気持ちがあった事に気付く。そしてそれはミルをどこか人外のように思ってしまったのだと理解し心が痛んだ。
「考えるのは終わらしてからにしよう。こんな所に長居したらこっちもおかしくなるからな」
「うん、そうだね」
余計な事は頭の隅に追いやって、私はミルに続いて動き出す。ミルは目的地が分かっているように進み、途中で出会った魔族も難なく退けていく。今までの私の動きがどれだけ愚鈍だったかを思い知らされるようだ。
「ルリ、頼んでもいいか?」
「何?」
「ここから先は精神耐性が無いと少し前のあたしみたいに倒れると思う。補助魔法はあたしよりルリの方が上手いし、ルリとあたしに精神耐性向上の魔法をかけて欲しいんだ」
「分かった、任せて」
私は少しでも自分に出来る事があって良かったと思った。そして、普段は補助魔法をかけられるの嫌うミルが補助魔法が必要と言うほど相手とはどんな強さなのだろうと恐怖を覚える。私は丁寧にミルと自分に精神耐性向上の魔法をかけた。
「あとヘレナは隠れていたとしてもこれ以上連れて行くのは危険だと思う。落とし穴までの道ならヘレナ一人でも大丈夫だと思うし、先に外で待っていてもらえないか」
「分かった。ヘレナ、私達は大丈夫だから外で待っていて」
『……』
心配そうにこちらを見ながらも渋々とヘレナは元来た道を戻っていく。ヘレナの方も心配ではあるけど、魔族に出会っても隠れていれば消滅させられる事は無い筈だ。再びミルを先頭に歩き出すと、確かにどす黒いプレッシャーのようなものが増してきた。そしてその先に下りの階段が見えてくる。
「この下に悪魔がいるのかな?」
「あたしも感じた事の無い魔力だ、悪魔じゃないとしてもかなり危険な魔族が居るんだと思う」
ミルはゆっくりと階段を下り始め、私もそれに続く。下るに連れだんだんと押し戻されるような感覚が増していく。ミルが居なかったら足を動かす事も出来なかっただろう。前を歩くミルの背中からも緊張感のようなものが漂っていた。魔技で魔力が見える分、ミルの方が苦しいのだろうと想像出来る。引き返して別の道を探そうという言葉が出て来そうになり、何とか飲み込む。
「!?」
「ミル、どうかしたの?」
階段を下りきった時にミルの動きが止まったので何かあったかと確認する。
「いや、大丈夫だ。一つの強い魔力以外に魔族は周りにいないみたいだな」
「同じ魔族でも近寄り難いって事なのかな」
下りて来た階には他の地下より少し綺麗な石造りの回廊が現れた。でも、息苦しさは他の階の比較にならない。すぐに襲って来る様子は無く、ミルが強い魔力の方へとゆっくりと歩き出す。
「ここだ」
「凄い魔力。気を抜くと倒れそう」
「扉に魔法の仕掛けがあるな」
辿り着いた先は分厚い鉄の扉の部屋の前だった。私でさえどす黒いような魔力がそこから漏れ出ているのを感じる。扉の仕掛けはハリアルがかけたのだろうか。
「悪魔の召喚が失敗しても成功しても逃げ出さないように扉に仕掛けをかけておいたって事かな?」
「失敗というか、自分が死んだ時に被害が出ないようにしたんだろう」
「このまま開けないで誰か強力な魔女を連れて来た方がよく無い?」
「いや、この仕掛けも魔力の残量から長くもちそうに無い。もし逃げ出したら周りに多大な被害が出る事になる」
本能的に悪魔となんて戦いたくはない。ミルと2人でもうまく行く可能性は高く無い気がする。でもミルはもう覚悟を決めた顔をしていた。私がミルの気力を削いではいけない。
「分かった、2人でやろう。私の盾でどんな攻撃でも防いでみせる」
「じゃああたしがまた魔法で仕掛けを解くから、合図をしたら魔技で盾を張ってくれ」
「うん!」
ミルが扉に近付き解除を始める。私はミルに寄り添い、魔技をいつでも出せるように準備する。
「ルリっ!」
「了解!」
ミルの合図とともに魔技の『絶対の盾』を展開する。すると目の前の鉄の扉が勢いよくこちら側に飛んできて盾にぶつかる。そして扉の無くなった部屋からどす黒い魔力が流れ出し、次いでとてつもない何かが盾に連続してぶつかってくる。何事にも動じない筈の魔技の盾が押し返される感覚があり、身体が振動する。魔力に目が慣れてくるとその先のモノの輪郭が徐々に見えてくる。
「何なの、あれ……」
「悪魔と融合してるのか……」
グロテスクに蠢く複数の触手とその中心にあるグレーと緑が混ざったようなぶよぶよした肉片。盾を攻撃しているのはその触手たちだった。人間の数倍の大きさの奇怪な化け物。目を覆いたくなるような肉片の中央には肌色の人間の乳房と肩があり、その上には苦悶の表情を作る青髪の美しい女性の顔があった。彼女が魔女ハリアルなのだろう。召喚した悪魔に吸収されたという事か。
「まだ生きてるの?」
「魔力を見ると生きてはいるな。でも悪魔の養分でしかないかもしれない」
「ハリアルさん、私の声が聞こえますか?」
「……」
私の叫びに対してハリアルの顔が口をパクパクさせるが、声は聞こえなかった。発声器官がまともに動いてないのかもしれない。魔族と融合した人の助け方など知らない。そもそも助けられるのだろうか。
「ルリ、もう少しだけ我慢しててくれ。彼女と悪魔を分離出来るか魔力を探ってみる」
「分かった」
触手の動きが激しさを増し、扉のあった部屋の壁をも壊していく。触手は見た目より強度があり、生身の身体など簡単に破壊するだろう。私は精神がすり減っていくのを実感し、隣にミルがいる事を意識して何とか気を保っている。
「ルリ、残念だけど、無理そうだ。ハリアルが人間の姿を保ってるのは見えている部分だけで、全体の3割ぐらいだと思う。そこだけ切り取ってもハリアルはすぐに死ぬだろう」
「そんな……」
「あと、分かった事がある。大部分が悪魔になってはいるが、その意識はまだハリアルが支配している。彼女が悪魔を抑え込んでいるんだろう。だからハリアルの部分を破壊すれば悪魔ごと消滅する可能性が高い」
「破壊って、ハリアルを殺すってことでしょ。そんなこと……」
私はハリアルだったモノを見つめる。全体はとても気持ち悪く吐き気を催すが、ハリアルのままの白い肌や顔は美しく、まだ人間である事を感じさせる。と、彼女の物言わぬ口がある形を繰り返している事に気付いた。
「声は聞こえないけど、ハリアルが何かを伝えようとしているみたい。
『コ』『ロ』『シ』『テ』……『コロシテ』って言ってる?」
「召喚を失敗した彼女の願いなんだろう。完全な悪魔になったら倒せるか分からないけど、今の状態ならあたし達でどうにか出来るかもしれない」
ハリアルのノートの最後の記述を思い出す。失敗を消し去る事が彼女の願いなのだろう。悪魔に取り込まれても抵抗して苦痛の中生き続けたのもその為とも思える。ここに来た私達にはそれを叶えてあげる義務がある。
「やろう、ミル。私達の手でハリアルを解放しよう」
「分かった。と言ってもこの攻撃は結構厳しいな。タイミングを合わせて二人でやる必要がある」
「どうすればいい?」
盾を解除した瞬間に私達の身体が吹き飛ばされるのは目に見えている。いくらミルでも全ての触手ごと1撃で破壊するのは無理だろう。こちらのダメージも覚悟の上で二人で攻撃すれば届くかもしれないが、それもリスクが高い気がする。
「盾を解除した直後にあたしが触手は何とかする。その隙にルリがハリアルの胸の部分を狙って攻撃してくれ。コアとなる部分はまだそこにある。本当はあたしがやりたいけど、さすがに一人じゃ無理そうだ」
「いい、私がやる。ミルの方は準備出来てる?」
「ああ、ルリのタイミングで解除してくれ」
「分かった。
それじゃあ、解除っ!」
叫びつつ私は魔技を解除する。同時に複数の触手が私達に襲い掛かってくる。ミルは両手を上げると手から氷の魔法を複数撃ち出し、迫りくる触手を凍らせて勢いを削いでいく。とても私には出来ない芸当だ。触手達がミルの魔法に押されていき、本体への道が出来ていく。
「ルリ、今だ!」
「分かった!」
私は全力の光の槍の魔法を唱え、照準をハリアルの胸へと定める。瞬間、彼女の顔が笑ったような気がした。その笑顔が私の心に刺さる。私は魔法を撃ち出せなくなった。
「ルリ、何してるんだ、もたないぞ」
「ごめん、大丈夫!」
私は光の槍を放った。魔法の力は心の力でもある。動揺は魔法に現れる。ハリアルの胸へ向けて放った筈の槍は横に逸れ、ぶよぶよした悪魔の皮膚を貫いていた。それはダメージとなり黒い液体がこぼれ出たが、すぐに傷は塞がれていく。
「駄目だ、もう1撃放てっ!」
「うん、やる!」
すぐに魔法を放とうとするが、ロッドを持つ右手が震えているのに気付く。私は人を殺す事の覚悟が出来ていないのだ。が、横のミルが苦しそうな事にも気付く。触手が徐々に回復して勢いを増していく事も。私がやらなくちゃいけないんだ。
「ごめんなさい……え?」
私が魔法を唱えて放とうとした時、既にハリアルの胸は光の刃に貫かれていた。そして触手の動きが徐々に衰え、ハリアルだったモノが溶けていく。
「ミルがやったの?」
「いや、あたしじゃない。
おい、もう隠れてないで出て来いよ」
「別に隠れてなんかいないさ。それに君はわたしに気付いていただろう?きちんと順番待ちしてあげてたのに、あまりにもたもたしてたからつい手が出ただけだよ」
左側の通路の陰から長身の魔女が姿を現す。悪魔の魔力が凄まじかったからか、私は彼女の存在に気付けなかった。この階に降りた時のミルの反応は彼女に気付いたからかもしれない。
改めて長身の魔女を見ると、高身長であるミルよりも更に背が高く、短く刈った銀髪と鋭い目つきから男性にも見えるような美人だった。ただ、鎧越しでも分かるミルより大きい胸が彼女が女性である事を強く主張している。その魔女に似つかわしくない白銀色の鎧にどこか見覚えがあった。
「誰だ、あんたは」
ミルが私を守るように前に出て尋ねる。
「誰だ、とは失敬だな。まあいいさ。
わたしは神聖教団・矯正部隊所属、ナルーア・ドレッグだ。
『正義の雷』って呼び名なら分かるかな、変態魔女に天才魔女さん」
「あなた、私達の事を……。
教団の矯正部隊って対人専門の取り締まり集団?『正義の雷』という事は、隊長の』
「有名なのか?」
「ミルはそういうのも疎いのよね。有名というか、悪名高いというか……。
いえ、ごめんなさい、そういうつもりでは」
「別にいいよ、悪名でもそれが抑止力になるなら喜んで広まって欲しいと思ってるから。
しかし、最近名前を聞くお二人よりは有名なつもりだったんだけどねえ」
綺麗で堂々としている人だけど、どこかトゲを感じなくも無い。そんな話をしているうちにハリアルだったモノは解けてぐちゃぐちゃな泥の塊みたいになっていた。
「それで、正義の雷さんが何でわざわざこんな所に?」
「ナルと呼んでくれて構わないよ。
勿論仕事だよ。思わぬ先客がいたけど処理が出来て助かったよ。
と、こんなところで長話はどうかと思うな。酷い臭いだ、外に出ようじゃないか」
言われて嗅覚を麻痺させていた魔法の効果が薄れてきて、とてつもない刺激臭が辺りを満たしている事に気付く。ナルが歩き出したので私達はその後について行った。
「出口が分かるのか?」
「出口というか、わたしが入ってきたのが地下への正しい入り口で、君達が変わった入り方をしただけだと思うよ」
ナルの言う通り、回廊の先に隠し扉があり、そこに地上へ繋がる階段があった。謎かけを解いた際の階段とは別のもので、出口は館の庭の中だった。外はまだ明るく、周囲には朽ちた庭園が広がっている。もし最初に庭を調べていれば簡単に地下に辿り着けたかもしれない。
「仕事と言ってたけど、あたし達があたふたしてたのをずっと見学してたって訳か?」
「いやいや、わたしが来た時には既に君達が地下で何かやってる最中でね。まさか館側から入る人がいるとは思ってなかったよ。おかげでこちらの準備も計画も水の泡さ。勿論うまく行ったから責めはしないよ」
「ハリアルさんは既に神聖教団に追われてたって事ですか?」
「知っているのはわたしとごく一部の者だけさ。ハリアルが回帰教団に接触し、魔族を捕獲してるって情報が入って、すぐにわたしに処理が命じられたと」
先程も聞いたナルの処理という言葉がとても引っ掛かる。私は口を開かずにいられなかった。
「処理という言い方はどうなんでしょうか。確かにハリアルさんは罪を犯したかもしれませんが、彼女には彼女なりの理想があって研究してたんだと思います」
「罪人の言い分を聞く意味は無い。君達だって見ただろう、あの穢れた姿を。悪魔との融合なんて人として最低の行いだ。わたしの仕事はそうした『あってはならないもの』を存在ごと消し去る事。これは弔いではなく処理と呼ぶのが正確じゃないかい」
「ルリ、こいつはあたし達とは違う。相手をする必要なんてないぞ」
「その通り。あとはわたし達が『無かった』事にするので、君達は帰っていいよ。勿論今回の事は口外しないように。神聖教団と敵対したい訳じゃないだろう?」
私は納得がいかなかったが、ミルに手を引かれ、その場を立ち去ろうとする。と、外で待っていたヘレナが私達を見つけてこちらに寄ってきた。
「え?」
一瞬の出来事だった。私達の背後からナルがすり抜け、ヘレナに素早く近付いていく。そして腰の剣を抜き、ヘレナに斬りかかったのだ。私の身体は動かなかった。が、ナルの剣はヘレナには届かない。
「おい、何してんだ」
ミルが低い声を出し、ナルを睨む。一瞬でヘレナの前に移動したミルは魔法の盾でナルの剣を止めていた。ナルは剣を収め、鞘に戻す。
「ああ、使い魔でしたか。これは失礼。魔族の生き残りが襲ってきたのかと思ってね。
でも使い魔なんて使い捨てだろう、そんな怒る必要は」
「ヘレナは使い捨てなんかじゃ無いです。意志を持った一人の友人です!」
「ゴーストだって魔族だ、いつ言う事を聞かなくなるか分かったものじゃない。そもそも使い魔に意志なんて必要無いだろう。必要なのは命令に従ってその身を捧げられる有能さだ。
ジェス」
ナルが呼ぶと鷹の使い魔が飛んできて彼女の肩にとまった。ジェスというのが使い魔の名前なのだろう。そして再び命令すると飛んで行く。
「このジェスは4代目、いや5代目だったかな。みんな有能でわたしの為に尽くして、死んでくれたよ」
「あなたという人は……」
「行こう、時間の無駄だ」
ミルに手を強く引かれ、私は言葉を切られて歩き出す。横に浮かぶヘレナが震えている事が分かった。色んな感情が胸の中に沸くが、私の手を強く握るミルの怒りを感じ、押し黙る。私達は静かにハリアル屋敷を立ち去るのだった。




