1.変態魔女は惰眠を貪る
――ミルエール・ナンシは夢を見ていた。
夕陽射すマギエル魔導学園の長い廊下。綺麗な淡い桃色の後ろ髪を見つけ、あたしは声をかけた。
「ルリ!
まさかルリまで宮廷魔女見習いを蹴るなんて思わなかったよ」
「――ミル?
うん、私は他にやりたい事があるから……。
それに推薦を断ったのはあなたも同じよね」
ルリことイルリネ・フルールがゆっくり振り返り答える。ミルはあたしの呼び名で、ここ数ヶ月でようやくルリからも呼ばれるようになって喜んでいた。あたしより頭一つ低い彼女は目の前に来るとあたしを見上げる形になる。やや垂れ目の大きな赤い瞳と上げた前髪から見えるおでこが本当に可愛らしい。彼女の存在が石造りの冷たい雰囲気の廊下を一気に華やかなものに変えてくれる。
彼女があたしのことを煩わしいと思っているのは十分分かっている。それでもあたしは構わずにはいられない。
「まあ、断ったのはそうだけど。
それで、覚えてるかな、あの時の約束。
最終試験はあたしが首席でルリが次席だっただろ。
お願いを今聞いてもらってもいいかな?」
「――確かにそんな約束したわね。
悔しいけど私が負けたのは事実。
いいわ、どんな下らないお願いでも一つだけ聞いてあげる」
ルリの言葉にあたしは心の中でガッツポーズを取る。4年間魔導学園に通い、色々あった。落ちこぼれだったあたしだけど最終的に主席で卒業する事になった。あたしが頑張れたのはルリが自分に勝ったら何でも一つお願いを聞いてくれると約束してくれたからだ。まあ、負けたら絶縁とまで言われていたけれど、結果オーライだ。
あたしは一呼吸置いてお願いを言う準備をする。
「ルリ、あたしと一緒にハンターをやらないか?
ルリと二人ならどんな事でも出来るって確信したんだ。
あたし達に怖い物なんて何も無い。
それにルリはあたしに隠してることがあるだろ?
あたしはその手伝いもしたい。
なあ、あたしとパーティーを組んでくれ」
あたしは一気に喋り切った。鼓動が速くなる。彼女に好かれているとは思っていない。それでもいい答えが返ってくると信じている。あたしは彼女の方を見れずに長い沈黙を、ただ下を向いて待った。
「――ごめんなさい。
それだけは出来ないの。
他のお願いだったら何でも聞くけど、それだけは駄目。
私はそれを1人でやらないといけないから……」
ルリの言葉に棘は無かった。本心から申し訳なさそうに言っていた。だからこそ何も言い返せなかった。真っ白になったあたしを置いてルリが去っていく。
あたしの卒業後の計画が音を立てて崩れていった。
********
眼を覚ます。最悪の目覚めだ。またあの夢を見てしまった。夢というか、半年前、卒業間近の出来事のプレイバックなのだけど。今は自宅のベッドの上で周りは見慣れた部屋だ。
何時なんだろう。近くに時計が見当たらないので窓のカーテンを開けると夕陽が刺していた。昨日寝たのが朝日が昇る頃だったので夕陽で間違いないはず。寝すぎたと思ったが、別に予定も無かったので、まあいいかとも思う。食料もまだ昨日の鍋の残りがある筈なので、買い出しも必要無いだろう。
もう一か月はこんな生活をしている。昼過ぎから夕方位に起きて、ダラダラと魔導ネットワークの情報を流し読みし、趣味の魔法研究を少し進め、魔導書を眠くなるまで読んでから寝る。魔女という立場上、ある程度は変人と思われているので村でも問題にはなってない(と思う)。お金を貰えば頼まれごとは受けるし、魔族からの村の防衛もやっている。まあ、防衛は結界とゴーレムでどうにでもなるので、あたしは家から出る必要すら無いんだけれど。
ベッドの上で身体を起こすと、いつもの部屋が目に入る。小さな村に構えたリビングと寝室だけの平屋の小さな家。見えるのは所狭しと並んだ魔導具と所々に山積みになっている本や魔導書。買った時は宝物のようにキラキラしていた。もちろん今だって価値が無いとは思わない。でも、この部屋には精彩が感じられなかった。
「何やってるんだろうな、あたし……」
口に出して言う。こんな筈じゃなかった。
魔法を生み出す為の魔力は感情の力に大きく左右されるので、男性よりも圧倒的に女性が優れている。なので魔法を使う者の殆どが女性だ。そして国から正式に魔法の使用を認められた女性を魔女と呼ぶ。魔女の中でも高度な魔女を教育するのが魔導学園で、その卒業生はいわばエリート魔女なのだ。
そんな魔導学園の中でもトップを誇るマギエル魔導学園をあたしは首席で卒業し、魔族を狩るハンターとして華麗にデビューしたのが約半年前だ。大物退治や大事件解決を成し遂げ、時の人として一時は名前が知れ渡ったりもした。
でも、お金が入ると贅沢が止まらなかった。今まで買えなかった魔導具や魔導書を片っ端から買い漁り、美味しい物を食べ回った。そして贅沢に飽きると今度は家から一切外に出なくなった。趣味の研究はほぼ室内で完結するからだ。出ても村内の店で食料や生活用品を買いに行き、周囲の森に研究の材料を取りに行く位。その頻度もどんどん下がり、ため込むようになってきた。
「あたしは何になりたかったんだっけなあ……」
魔導学園に入ったのは母の勧めからだった。人より多い魔力を持ち、特別な魔技(魔女が持つ個別の能力)を持っている事から魔女になるべきだと言われたのだ。曾祖母が大魔女だったのもあって、学園への推薦はすんなり通った。田舎だった実家に比べ、王都レイロードにあるマギエル魔導学園の周囲は都会で、刺激的で、楽しかった。魔法を褒められるのは嬉しかったし、魔法を磨く理由にもなった。何より可愛い女の子が多かった。あの頃があたしの全盛期だったのかもしれない。
「――ルリ、元気にやってるかな」
あたしは桃色の髪の小さな少女の姿を思い浮かべる。天才魔女ルリ。彼女が居なければ今の自分は存在しないだろう。魔力はあっても技術も知識も足りないあたしは落ちこぼれだった。そんな時に出会ったルリは小柄で大人しそうな少女だったのに、魔法の才能は凄かった。常人が考え付かない魔法を駆使し、判断力に優れ、知識も広かった。憧れであり、ライバルでもあり、生徒の中で人一倍可愛いと思っていた。
でも、結局あたしは彼女に選ばれなかったのだ。完敗だ。あんなに頑張ってもやっぱりあたしは彼女に届かなかったんだ。
「もうちょっと寝よ……」
夢で見たあの日の記憶を思いだし、辛い気持ちになって再びベッドに潜り込む。それなりに楽しく魔女を続けてはいるけれど、結局は現実逃避をしているだけだ。眠りはそれを忘れさせてくれる。また明日頑張ればいい……。
********
「起きなさい、この寝ぼすけ!」
何者かに布団を剥がされ意識が徐々に覚醒していく。寝ぼけまなこで見えたのはよく知った少女の顔だった。
「ユウか。おはよう……」
言ったあと上半身を起こし、大きなあくびをする。部屋のマジックランプには灯りが灯っていて、恐らく日はもう暮れているだろう。
「おはようじゃないわよ。何時だと思ってるの。
久しぶりに顔出したのに、呼んでも戸を叩いても返事が無いから勝手に上がらせてもらったわ。
って、まずはその恰好を何とかしなさい、はしたない」
ユウがまくしたてる。ユウことユウハ・サタサクは腐れ縁というか、悪友というか。魔導学園の寮の元ルームメイトで、気が合ったのもあり、最も気兼ねなく話せる友人だった。
言われて自分の身なりを確認すると確かに下着姿で寝ていたので服は着ていない。
「今更ユウに見られたって……」
渋々近くに投げ捨ててあったローブを羽織る。
「ほんと黙ってれば美人なのにねえ。長い銀髪にぱっちりお目目でなおかつナイスバディ。学園にいた頃は流行の最先端で固めて、町を歩けばみんな振り返ったってのにね」
「それを言ったらユウだってモテたじゃないか。何人の女の子を泣かした事か」
久しぶりに見るユウは相変わらずの美人だった。薄い緑の長髪をポニーテールで結び、細くキリっとした目と高い鼻は男女ともに魅了する。残念ながらあたしの好みのタイプでは無いんだけれど。
「わたしはミルと違って誰彼構わず声をかけたりしないの。あんたは節操がないから変態魔女って呼ばれてたんじゃない。それに男からはあんたの方がモテたでしょ」
「何度も言ってるけど男性は可愛く無いからノーサンキューよ。そこは意見が一致してる所でしょ」
ユウと気が合ったのは男性嫌いという点でもある。女性の好みはまるで合わなかったけれど。ただ男性嫌いの理由はあたしとユウとでは違うと思う。
「しかし、扉に鍵もかけてないし、不用心すぎるんじゃない?それに何よ、これ、この散らかり方。寮の時より酷いじゃない」
「鍵はかけてないけど、結界は張ってるから、悪意を持って家に侵入しようとしたら撃退されるよ」
「へ?ちょっと、わたしがいたずら心出してたら危なかったって事?それに子供がふざけて近付いてきたら危ないじゃない」
「ユウなら魔法のトラップぐらい回避出来るだろ。村人に対しては専用のゴーレムが作動するようになってるから大丈夫だよ」
「本当にあんたって人は……」
ユウは呆れてリビングの方に移動する。あたしも続いてリビングに向かう。ユウは手近にあった椅子に腰掛け、部屋にある物を物色し始めた。ユウとのやり取りは懐かしく、少しだけ気分が晴れてきた。あたしもテーブルの向かいに腰を下ろす。
「ほんと、趣味は悪いけど、相変わらず目は利くのよね。これなんて魔法無効化の魔導具でレアものじゃない?いくらしたのよ」
「可愛いものが好きなだけで趣味悪いとか言わないでよ。ああ、それは確かに高かったけど凄く可愛いでしょ。えーと、2000MGぐらいだったかな」
「2000?バカじゃないの?1年は遊んで暮らせる金額よ」
「いいじゃん、自分で稼いだお金なんだし」
確かに自分でも高かったかな、とは思っていたので痛い所を突かれている。一般的に流通してるGが500G位で食事1食分ぐらいで、魔女や魔法関連の店で流通しているMGは1MGが約1000Gの価値がある。なのでユウの言う事はその通りでしかない。
「それに積んである魔導書も高そうなものばかりだし、床に転がってる魔導具だって見た目は置いといて、どれも10MG以上の価値がありそうじゃない。半年でどんな生活したらこれだけ無駄遣い出来るのよ」
「ハンターは儲かるんだよ。それに王都でちょっとした仕事した時も大金貰えたし」
「期待の新星変態魔女ハンター大暴れ、って確かに話題になったわね。グリフォン退治にジャイアントの群れを追い払ったとか、色々聞いてるわよ。でもここしばらくあんたの話は出て来てないし、メッセージの返信も来ないからわざわざわたしが来たのよ」
「そっか、ごめん。メッセージ貯めたままだった」
魔女同士はメッセージの魔法を使って個人宛に伝言を送れる。送られたメッセージに対しては何らかの返信をするのがマナーになっていた。
「あんたが基本自堕落なのは知ってるから、こんな事じゃないかと思ったわよ。じゃあルリとも連絡取り合ってないの?」
ルリの名前を出されてあたしはドキっとする。なるべく避けたい話題だった。
「――送ったよ、グリフォン退治した時に一応。返事は無かったけど……」
「嘘?あんた達仲が良いとまでは言わないけど、そこまで険悪じゃなかったでしょ。あたしだってルリとは月一ぐらいで連絡取り合ってるのに」
ユウの言葉が胸に刺さる。ルリを誘った事はユウには話していないけれど、ルリがあたしのお気に入りだった事はよく知っている。ユウはマメだから色んな人と連絡取り合ってるだろうな、とは思ったが、まさかルリとも連絡取っていたなんて。
「あの、ルリは元気にしてそう?」
「そこはわたしも挨拶程度の情報しか知らないわ。けど、あんたとは違って目的をもってお金を貯めて、色々準備が出来たとは聞いてるわよ。前に噂で聞いたルリがやりたい事がもう少しで達成出来るんじゃないかしら」
「そっか……」
ルリが元気そうなだけで少し安心する。
「そんな顔するぐらいなら会いに行けばいいじゃない。わたし達魔女なんだから移動はどうだって出来るでしょ」
「そういう問題じゃないんだ。あたしはあの子が元気ならそれでいい」
あたしは自分に言い聞かせるように口に出す。
「他のみんなもそれぞれ頑張ってるわよ。わたしだって自分の店がもうすぐ持てるんだから」
「嘘!?おめでとう。夢が叶うじゃん」
「まだまだ最初の一歩よ。品揃えに売り上げに商品開発と、やる事は山のようにあるんだから。あんたが暇してるんなら手伝って欲しいぐらいよ」
ユウは元々大道具屋の娘で父親は各地に店舗を持っている。ユウはそれを手伝う為に魔女になり、自分の店を持つ事を目標としていた。
「うーん、あたしは買う方には興味あるけど、売るのはちょっとね。そういうちまちました作業より魔法でモンスター倒して稼ぐ方が性に合ってるし」
「まあそうよね。目はいいけど記憶力とか酷いしねえ。ただ、その目は是非とも欲しいんだけど」
「確かに色々見えるけど、そんなにいいもんじゃないよ、あたしの『眼』」
魔女には魔技という人それぞれ発現する特殊技能がある。魔技は基本的には魔法を強化したものだが、中には滅多に無い特殊なものが発現する場合がある。それがあたしの魔技『真性の瞳』だ。発動系の魔技とは異なり、これは常時あたしが使っているもので、魔力の流れが目に見えるというものだ。
魔力と呼ばれるものは常にこの世界に存在し、火や風や水の流れなどに顕著に現れる。また霊体のモンスターもそうした魔力の集合体のようなものだ。
魔女になり修行をすればそうした魔力は誰でも薄っすらとなら感じる事が出来るようになる。でも、あたしの場合は生まれた時からこの目で見えていて、見えている世界が他と違う事で周りの子供達に怖がられたりもした。また、人間の感情の色も魔力として現れるので敵意や悪意に対して敏感な子供でもあった。
「まあそこは分かってるけどさ。わたしの魔技『真偽の眼』は真贋の鑑定ぐらいにしか使えないから、少し羨ましく思っちゃうわけ」
「まあね、あたしが主席になれたのも一人でハンターが出来るのもこの目のおかげだとは分かってるし、有効活用はしてるからね」
そう言いつつも、今の自分があるのはそれだけではない事も思い出す。やっぱり学生時代のルリの存在が大きいということを。
「でもあんたもルリもラトみたいに宮廷魔女見習いになることが出来た訳でしょ。宮廷魔女なら安定した仕事で高収入なのに勿体ない」
「あたしが宮仕え出来ると思う?作法とか堅苦しいのは嫌いだし。ラトにはお似合いだと思うけど」
ラトことフラトーリ・セラグリスも魔導学園の同窓生で、あたしが苦手な人物の一人だった。ラトもあたしを嫌っているので関わり合いは少なかったけど、ルリをライバル視してて、ルリの友人の一人だった。あたし、ルリに次ぐ3番目の成績で学園を卒業し、宮廷魔女見習いに推薦で合格し、今は宮廷魔女見習いをしている筈だ。貴族の子であるラトには合ってると思うけど、あたしにはハンターよりいい仕事だとは正直思えない。
魔導学園を出た魔女は魔女として独立して生活するか、王国や店に仕えるなどそれぞれ生き方を決めていく。そんな中でも魔法を使って危険な魔族を狩って賞金を得るのがハンターだ。ハンターギルドからの依頼を受け魔族退治をし、報酬を受け取る仕組みが出来ている。
頭を使わずお金を稼げるのが性に合っていたので、あたしは卒業後自然とハンターになっていた。
「まあ確かにあんたじゃ3日で追い出されてたかもね。
ところでなんで最近ハンター活動してないの?って、金回りがいいのは分かったけど、それでもサボり過ぎじゃない?」
「いやー、ハンターギルドに行くと周りの目が怖くてさ。殺意マシマシで。勿論他のハンターに戦って負ける気なんてしないけど」
「って、そりゃパーティーも組まずに大物食いまくったらそうなる事ぐらい分かるでしょ。バカなのは相変わらずみたいね」
魔技で人の感情は薄っすら見えるのだが、特に悪意、殺意は強く感じてしまう。学生時代ならそういう人達とはなるべく離れればいいだけだったけれど、ギルドでは味方無しの敵だらけなので居場所が無くなってしまった。でも、もたもたと準備に時間ばかりかけて討伐に行かない方が悪いのではと思ってしまう。まあ、ユウの言う通りでもあるので、バカと言われれば反論出来ない。
「で、ユウはわざわざそのバカの顔を見に来ただけじゃ無いでしょ?なんの用?」
「そうだね、バカ話をずっとしてる訳にもいかないわね。
ナデッツの町の話は聞いてる?」
「ナデッツって昔一緒に買い物に行ったことのある、あの町?何も聞いて無いよ」
「モンスターの群れが町を囲んでるって。しかもアンデッド系が」
「アンデッドの群れ?ていう事は頭はリッチーかヴァンパイアかあ。でも魔導ネットワークじゃ流れて来なかったよ」
魔導ネットワークは魔女が見れる新聞のようなもので、世の事件や事故などの情報も流れてくる。あたしの記憶してる範囲ではアンデッドが暴れている事件はここしばらく無かった。
魔族の中でもアンデッドは基本的に場に支配され、個として活動する。それが群れて町などを襲う場合は雑魚アンデッドを支配する高位のアンデッドがいるという事だ。
「あんたが寝てたからだろうけど、今朝から流れてるわよ。で、誰も対処する魔女が名乗り出てこない状況」
「町にも魔女がいるだろし、ハンターもあれだけいるんだから誰か動くんじゃない?それにアンデッドなら教会から国に救助を求めるでしょ」
「あんたハンターなのにそういうところも分かってないんだよねえ。アンデッド系は対処が面倒で倒しても魔導具の素材にならないからハンターに人気無いの。で、国の救助は書類対応が出来るまで時間がかかる。今夜にもアンデッドが入ってきそうなのにそれじゃ間に合わないって事」
確かにそんな情報をどこかで聞いた事があった。あたしも幽霊事件で対応しなければアンデッドの対処法なんて教科書の一項目でしか無かったし。
「だからあたしに話を?って、ユウはそんなに正義感が強かったっけ?何か隠してない?」
疑い気味にユウの顔を覗き込む。感情の色は少し動揺してるけど、嘘をついているようには見えなかった。
「失礼な。わたしにだって少しは正義感がありますよ。それにあんたに嘘が付けないのは身に染みて分かってるわ。
まあ、勿論理由はある。ナデッツの町にもうちの商会の道具屋の支店があるの。そこから父さんに救援依頼の連絡が来て、わたしに話が回って来たわけ。そうなると断れないけど、わたしはそこまでアンデッド退治得意じゃないし、近くですぐ動けそうな知り合いもいなくてね」
「そういう事か。あたしなら暇そうにしてるし、安くこき使えそうだと」
「まあ言いたい事は分かるけど、人助け嫌いじゃ無いでしょ?片付ければ町からも報奨金が出るだろうし、うちからも好きな道具一つ持って行っていいから、どう?」
無駄遣いし過ぎてお金が減ってきていたし、好きな道具一つはとても魅力的だ。まあ、それ以前に困っていて、他に動く魔女がいないなら、回答は決まっていた。
「いいよ。ちょっと身体は鈍ってるけど、アンデッド程度ならどうにでもなるでしょ」
「さすが、話が分かる。普通はそこまで自信満々に言えないけど、ミルが言うのは本当だからなあ」
長い付き合いであたしの事を分かってくれているのは嬉しい。早速アンデッド狩りの準備に入る。
「そうだ、あたし朝から何も食べてなかった……」
準備をしていて空腹を感じてようやく気が付いた。
「そんな事だろうと思ってたわよ。ほら、手土産に持ってきたから早く食べて」
ユウがテーブルの空いてるスペースにバスケットを置く。中を見るとサンドイッチが並んでいた。
「最近スープと固いパンしか食べてなかったからありがたい」
テーブルの上の研究道具を端に寄せ、魔法の冷蔵庫に入れていた果物のジュースをコップに入れ、早速サンドイッチをいただく。うん、美味しい。それと同時に懐かしさも感じる。寮にいた頃、小腹が空くとユウがよく作ってくれたからだ。薄切りのパンにハムと野菜を挟んだだけなのだが、調味料の使い方がうまいのか、とても美味しい。他にも甘いジャムや卵を使ったものなどバリエーションにも富んでいた。
「ユウは本当に女子力高いよな。毎日作ってもらいたいぐらいだ」
「これぐらい誰でも出来るって。あんただってやれば出来るのにやらないだけでしょ。わたしは駄目女の面倒見るのは勘弁だからね」
確かに一人暮らしを始めた頃は料理に凝ったりもして、高級調味料や食材を買って作ってみたりもした。けれど、かかる手間に対して満足度が思ったよりも低かったので店で買うか、簡単なスープを作る位しかしなくなったのだ。
「じゃあ行きますか」
食事を終え、準備も出来たので立ち上がる。
「あれ、ロッドは?」
「ああ、今はこれ」
あたしは右手の中指に嵌めたリングをユウに見せる。魔女が魔法を使う際、基本的に道具は必要としない。が、魔力を集中する為の術具があると魔法が安定するので殆どの魔女は術具を使用する。術具の形は長い杖のワンド、短い杖のロッド、剣などの実用性のある武器などが主流である。それとは別にあたしのしているリングや腕に嵌めるブレスレットを使う者もいる。ただし魔力は手の平に集まるのでリングを使用する者は少ない。
あたしも昔はロッドを使っていたが、持ち運ぶ手間が面倒になってリングに変えていた。このリングもそれなりに値段が張った物だが、その分ロッドと遜色ない使い方が出来る。
「へー、結構ちゃんとしたリングね、それ。でも、相変わらず軽装よね。ローブと最低限の道具の入ったポーチだけとか」
「魔導具を身に付けると魔力の流れが変わって面倒なんだよ。シールドぐらい自分で張れるし、本当は裸で戦いたいぐらい」
「まあそれをやったら本当に変態魔女って感じよね。生身でそれだけ自信があるんだから羨ましいぐらいだけど」
魔導具は本当に便利な物が多く、魔法を発動出来る物や自動で攻撃を防いでくれたり、特定の攻撃の耐性を上げてくれたりで身に付けて損する物ではない。ただし、あたしの場合は身に付けると魔技のせいでその部分の魔力が視界に入って鬱陶しいのだ。ローブも物理攻撃耐性が入ったものだけど、本当はただの布切れの方がいい。デザインが気に入ってるのでローブだけは我慢して着ている状態だ。
「それで町へはゲートで行くのか?」
家を出て戸締りをしながら確認する。留守用のゴーレムを起動し、念の為、村の周囲に警戒用の小型ゴーレムも飛ばしておく。外に出ると真っ暗で、星や月が輝いていた。季節は夏だが、夜の野外は少し肌寒く感じるようになってきた。
「いや、共通ゲートは緊急対応で閉じられてる。近くの町のゲート経由でもいいけど、箒で直接行っても大して変わらないから箒で行きましょう」
ゲートとは魔女が魔法で移動出来る魔法陣の事で、場所を把握していればどこからでも一瞬で移動出来る。もちろん誰でも使えるわけではなく、何らかの資格が必要だが、共通ゲートと呼ばれるものなら魔女の資格があれば誰でも使用出来る。まあ他にも制約等いろいろあったりする。
「箒か。最近使ってないけど、動くかな」
ユウは家の外に立てかけてあった折り畳み式の箒を展開している。あたしも家の裏の倉庫から箒を引っ張り出してくる。
「あ、それ最新式の箒じゃん。屋根付きの。本当に散財してるなあ」
「可愛いでしょ」
「デザイン自体はいいけど、色がピンクなのはどうかと思うわ」
店で見て可愛かったので衝動買いしたが、確かに乗るのにピンクなのはあたしに合わなかった、と少し後悔はしている。けど、可愛いからいいんだ。
箒と言っても大昔の掃除道具の箒とは呼び名が一緒なだけで、どんどん軽量化、乗りやすさ、安全性など形が変わっていき、今は縦に長いフレームを使っている事以外箒を思わせる部分は皆無だ。あたしのは最新式らしく、屋根もあり、自分で魔法を使わなくても風雨に対応出来る優れものである。まあ、2,3回しか乗ってなかったけど。
「じゃああたしは場所をよく分からないから先導して貰っていい?スピードはそっちの最速でいいから」
「分かったわ。って、自慢かよ。まあわたしはそんなに箒使わないからこれで十分よ」
ユウが自分のグリーンの箒に座り宙に浮く。あたしもそれに続いてピンクの箒を浮かせる。そして二人の箒は猛スピードで夜空を飛んでいくのだった。
********
2時間ほど飛行し、ユウの箒が減速したのでそれに合わせてあたしも速度を落とす。前方には町と思われる灯りが見えていた。
「少し遅かったみたいね。町の様子がおかしい。ねえ、どんな感じ?」
「ちょっと待って……」
ユウに言われてあたしは遠くに見えるナデッツの町に目を凝らす。星空の下、あたしが見るのは実際の町の様子ではなく、町の中の魔力の流れだ。アンデッドの瘴気から生まれる紫色のような魔力が溢れ、それとは逆に人間が出す明るい魔力は殆ど見えない。
「もう町にアンデッドが入り込んでる。町に魔女はそんなにいないんだよね?」
「多分2,3人ぐらい。町に入り込んだんじゃ教会辺りに住人を集めてる筈。もうちょっと近付いたら結界を探して」
「分かった」
二人して箒を町へと向かわせる。ユウの言った通り教会とおぼしき建物に結界が張られ、その周囲で戦っている魔女の魔力が感じられた。
「居たよ、こっち」
「うん」
今度はあたしが先導して教会へと向かう。近付くと教会の入り口で戦う3人の魔女の姿が見えた。二人は年配で、一人があたし達ぐらいの若い魔女のようだ。周囲にいるのは人の死体が変化したグールで、動きは遅いがしぶとく、魔法で無ければ倒せないアンデッドの魔族だ。
「ユウ!」
「分かってる」
とりあえず教会の近くにいたグール30匹ぐらいを空からあたしとユウの魔法で倒していく。アンデッドは火炎系の魔法に弱いので、密集している場所に火球を撃ち込み、ひとまず一掃出来た。
「ありがとうございます、国の要請で来て下さったのでしょうか?」
箒を降りて教会の前まで行くと年配で立派なローブを着た魔女が話しかけてくる。
「いえ、わたし達はサタサク商会の者です。襲われていると連絡を受け、近くにおりましたので救援に参りました」
ユウが対応してくれるので話は簡潔に済みそうだ。
「そうですか、ありがとうございます。町の住民の殆どは教会に避難出来たのですが、まだ取り残された人がいるんです。この数ですとわたくし達が教会を離れる訳にもいかず困っておりました」
「朝まではまだまだ時間があります。空から見えたと思いますが、あの数です、我々ではどうにも対処出来ません。追加の救援はいつ頃来ますでしょうか?」
年配の魔女に続いて若い魔女も心配そうな顔で聞いてきた。アンデッドは日光に弱いので朝まで耐えられればいいのは確かだ。が、防戦一方はあたしの趣味じゃない。そこでユウがあたしの顔を見たので頷く。
「救援はすぐには来ないでしょう。ですが、わたし達で対処しますので教会の守備と逃げて来た人達の保護をお願いします」
「え?お二人で対処するのはさすがに無理があるのではないでしょうか」
「あたしは変態魔女のミルエールです。名前ぐらいは聞いた事あるでしょ?」
あたしはそう言ってウィンクし、アンデッドがいる方へと進み出す。悪名だろうがなんだろうが、無駄な会話をするぐらいならいくらでも利用する。
「そういう事なんでご心配なく」
ユウの申し訳なさそうな声が後ろから聞こえた。
「で、どうするの?わたしがそこまで戦闘得意じゃないってのは知ってるでしょ。町の人が残ってるんじゃ下手に燃やしたりも出来ないわよ」
「大丈夫、もう見えてるから」
あたしの瞳には既に取り残された人とアンデッドのおおよその位置が見えている。正直面倒だが、大口叩いたからにはやるしかない。
「行くよ」
あたしは両手を左右に広げ二つの巨大な火球を作り出す。
「はっ!!」
そしてそれを細分化し、路地にいるグール達へと放った。小さくなった火球は建物や障害物を避け、正確にグールへとぶつかり、消滅させていく。
「いつ見ても気持ち悪い魔法を使うわね。さすが変態魔女」
本来火球は直進しかしないし、同時に放てるのも両手から一つずつだ。それを水の魔法や風の魔法を使って無理矢理分割し、誘導させている。といってもこの方法を教えてくれたのはルリだ。魔力は大きくても制御が下手なあたしにいつも色々教えてくれたのはルリだった。
「これぐらいは朝飯前だよ。と、本命が来たね」
「え?町の人?もしかしてゴーストに憑りつかれてる?」
「そういう事。分離はあたしがやるから、解放された人をグールから逃すのをよろしく」
「分かった、任せて」
路地から出て来たのは取り残されたと思われる町人達。が、みな目に精気は無く、グールのように動いている。これは人の怨念が変化した霊体のアンデッド、ゴーストが人間に憑りついた状態だ。普通に攻撃したら人間の方にダメージがいき、そのまま人間が死ぬとグールになってしまう。だから特別な対応が必要なのだ。
「ユウ、目を閉じて!」
そう叫んでからあたしは頭上に閃光の魔法を放つ。町の上部から太陽にも似た閃光が放たれ、周囲を照らした。すると普通の人間には見えないが、あたしには周りの町人から憑りついたゴーストが堪らず抜け出したのが見える。
「そこ!」
再び人間に憑りつく前にあたしは先ほどと同じように火球を放ちゴーストを浄化していく。この方法も学園での幽霊事件でルリから教わったものだ。戦う度に今のあたしの魔法知識がルリから得た物だと実感してしまう。
同じ方法でグールやゴーストを次々と倒していく。逃げ遅れた人間をユウが連れて行ったので、残ったのはグールの処理だけとなった頃だった。
「わたくしの可愛い僕が次々と消されてると思ったら、美味しそうな魔女が邪魔していたのね……」
「隠れていたのはヴァンパイアの嬢ちゃんだったか」
あたしの前に空から舞い降りたのは見た目10代前半の少女姿のヴァンパイアだった。長い金髪に紅い瞳が輝き、見た目はとても綺麗だ。しかし鋭い牙と蝙蝠のようなマント、そして纏っているどす黒い魔力があたしにはとても醜く見える。魔法で姿を隠していた事は薄々気付いていたけど、下手に刺激して町人に被害が出たら不味いので放置していたのだ。
「折角教会に集めてゆっくり味わう予定でしたのに。邪魔してくれたお礼はたっぷりさせて貰いますわ」
「アンデッド風情が偉そうな口叩かないの!」
あたしは火球を力任せにヴァンパイアに叩き付ける。が、魔法はヴァンパイアに近付くとみるみる威力を落としていく。
「多少は力のある魔女みたいですが、アンデッドの王であるわたくしには効かないんですのよ」
そしてヴァンパイアの姿が消えたかと思うと、目の前に現れ、鋭い爪が振り下ろされた。あたしは瞬時に魔法で後方へ飛び退ける。避けられたかと思ったけど、ローブの一部が切り裂かれていた。魔法のかかったローブを着てきてよかったと少しだけ思う。
「逃げるだけではわたくしには勝てませんわよ」
「逃げる?まさか」
魔法が効きにくいヴァンパイアは一般的に魔女の天敵である。ヴァンパイア退治をするのは魔法の武器を使うマジックナイトやマジックファイター、生命系の魔法を得意とするプリーストと呼ばれる種類の魔女の役目とされていた。
でも、あたしは普通の魔女じゃない。この目が普通の魔女には見えない部分を映し出してくれるからだ。
「な、何よこれ。どうして燃えてるの」
ヴァンパイアの少女は突然身体が燃え出した事に狼狽している。あたしが仕掛けた発火の魔法が発動したのだ。
ヴァンパイアが魔法を防ぐ魔力にも隙間はある。最初の一撃はそれを見極める為。そして襲ってきた時にその細い隙間に発火の魔法を置いてから移動したのだ。発火の魔法はヴァンパイアを内側から燃やしていく。
「こんな事が出来る人間なんて……。そんな、まさか。お前は我が一族を滅ぼした大魔女……」
「違うよ。あたしはあたし、そんな大層なものじゃない。でも、嬢ちゃんぐらいならあたしで十分」
あたしはその名前が出る前に口を挟み、発火の魔法の火力を上げた。
「ぐ、ぐぁあ……。こんな小娘にわたくしが……」
ヴァンパイアの姿が少女から本性の獣のような姿に戻っていく。
「あたしは可愛いものは好きだけど、醜いものは嫌いなの。じゃあね」
そうしてヴァンパイアは塵と化した。敵を倒したのに胸の中にモヤモヤしたものが浮かび上がる。アンデッドと会話なんてするんじゃなかった。
「ミル大丈夫?流石にヴァンパイア相手に一人じゃ厳しかったんじゃない?」
背後からユウがやってきた。この分だとグールの処理もあらかた終わったのだろう。
「全然。これ位なら鈍った身体の準備運動にもならなかったよ」
「そっか。まあそうだよね」
暗闇の中のユウの顔は少しだけ安心したように見えた。
『ピリリリッ、ピリリリッ』
そんな時あたしの術具のリングから鈴のような音が鳴る。緊急連絡魔法≪コール≫の呼び出し音だ。ユウに何かあった時に使うかもと用心して、いつもオフにしている通知をオンにしていたのだ。
「誰から?」
ユウに言われて意識をリングに寄せる。コールの連絡主の情報は魔法に応答する前に読み取る事が出来る。
「えーと、え?ラト?なんで?」
コールの連絡主は王都で宮廷魔女見習いをしている筈のラトからだった。学生時代は友人というほどの関係ではなく、むしろ嫌われて、半ば無視されているような関係だったから急な連絡には驚く。しかも時間は真夜中だ。あたしは通話をユウにも聞こえるように通常の会話モードにして、ラトからのコールに応えた。
「はい、ミルエールです。何か急用でも?」
あたしは恐る恐るコール先のラトに確認する。
『ご無沙汰しておりますわ。わたくし、フラトーリ・セラグリスです。夜分突然の連絡で本当に申し訳ございません』
聞こえる声は間違いなくラトのものだった。
「いや、起きてたし、丁度働いてたし、問題無いよ。でもラトがあたしに連絡なんてどんな風の吹き回し?」
『わたくしだって、好き好んで貴方なんかに連絡を……。いえ、ごめんなさい。どうしても貴方にお願いしたい事がありまして。イルリネの事ですわ』
「えっ?ルリ?ルリがどうかしたのか?」
突然ルリの名前が出たのであたしは取り乱してしまう。
『わたくしも連絡を受けたばかりで詳細は把握しておりません。ただ、イルリネが火竜退治に挑んで、大変な状態だと聞きまして。わたくしはすぐに動けない身の為、しょうがなく貴方に……』
「火竜?なんでそんな事に……」
火竜は強大なドラゴン種の中でも最上級とされるうちの1体だ。あたしは頭の中が混乱し、後に続くラトの言葉が殆ど耳に入って来なかったのだった……。