僕はずっと夢を見ていたかったんだ。
昨日まで僕はごく普通のいじめられっ子ライフを満喫していた。ただ、嬲られゲームに逃げ込むだけの簡単なお仕事をこなす日々だったが、僕はようやく今になってこの普通の生活にありがたみを見出し始めていた。
「どう、しよう……」
僕はあの後、家に逃げ帰ったのだ。
後ろの少年たちは追いかけて来なかった。さすがにいじめっ子といえども、殺人鬼を追い回すほど肝が据わっているわけじゃないだろうしな。
リストバンド型端末は白い拳銃を手放すと、いつも通りのスタートアップ画面を正常に映し出した。
僕は未だにベッドの上から起き上がることができない。リンチの後もいつもこうだったが今回の原因は一味違う。本当に取り返しのつかないことをしてしまったのだ。
「はぁぁぁぁ……」
人殺し。
その単語が浮かんできて僕は頭を抱えた。
どうしようもない。これで僕の人生は終わりだ。あとは刑務所の中で一生を終えることしかできないだろう。
他にもやりたいことはたくさんあった。
友達を作ってみたかった。
女の子と楽しく遊びたかった。
バンドとか組んで青春してみたかった。
そんな些細な夢がいとも簡単に打ち砕かれた。死んでまで僕の邪魔をするいじめっ子を僕は本当に憎たらしかった。
「ちっくしょぉ……」
僕はそのまま長い間同じ体勢でいた。
血の付いた服は家に帰って脱いでからさっさと近くの河原で燃やした。
灰を川に流すのは自然をいじめてるみたいで申し訳なかったがこの際気にしていられなかった。
目撃者はたくさんいる。本当はそんな些細な証拠隠滅は意味をなさないことくらい分かっていた。
でも、不安でそれをせずにはいられなかったんだ。
不安はまだ心の中で蔓延っている。
本当に何もかもが台無しになる不安だ。いじめられている時は感じなかった漠然とした灰色が僕を襲う。
だから僕はその恐怖から逃げるようにリストバンド型端末に手をかけた。
フルダイブ型のゲームだ。
リアルタイムに動きが反映されるため難易度は高いと言われるこのゲームだが、リアルで体を動かせる奴にとっては特に難しさを感じることはない。
かくいう僕も運動だけは出来た。
だからこのゲームも得意なものの一つだというわけだ。
僕はそのままリストバンドの上のスタートと書かれた文字をタッチした。
すると僕の意識は、ここではない別の場所へと送り出されて行った。もちろん現実逃避だとはわかっていたさ。
目の前に広がる雄大な景色にいつもながら息を飲む。
やはり僕の居場所はここにしかない。そう確信して僕はギルドへと急ぐ。
中世をモチーフにした典型的な異世界ファンタジーだが、投入されている技術のレベルが段違いだった。
意識をそのまま電脳世界へと送り込むのだ。
脳波の検出など必要はない。だからリストバンド端末でフルダイブなんて荒技を成し遂げられる。
技術のブレイクスルーが起こったのだそうだ。
CFと呼ばれる力が認識を電脳世界と繋ぐらしい。
僕は詳しく知らないがノーベル賞ものの発見だそうだ。そのおかげで完全に異世界の身体と意思が同期するようになったらしい。
確かに目の前の景色は本物にしか見えない。
僕はそんな煉瓦造りの街並みを駆けて行き、やがて一つの大きな建物へとたどり着いた。
冒険者ギルド。僕が一日10時間以上いるこの世界で最もよく利用する施設だ。
「ミリスさん」
僕はいつも通り右から二番目の女性に話しかけた。
「はーい、オクラさんですね。本日は緊急ミッションが発令されていますよー」
そう言って笑顔を僕に振りまく彼女はAIだ。
なんでも効率的に人間らしい動きをさせるための学習アルゴリズムが開発されたそうで、ミリスさんは本物の人間顔負けのコミュ力を有している。
「緊急ミッション?なにそれ、初めて聞くな」
僕は首をかしげながら彼女に手渡された紙を受け取る。
内容は大量発生した闇の魔物を倒せ、というものだった。
「緊急時事態なんてそうそう起こりませんからね。だからこその緊急クエストなんですが……」
「ふーん。なるほどね」
僕はその紙を精読していく。
読めば読むほどその内容は不思議なものだった。
「魔物のランクっていつもなら書いてたはずだったよな……。ってかそれどころか魔物の名前すら書かれてないだなんて……」
僕は心の中で運営の奴らサボりやがったなと呟いてからミリスさんにミッションを受ける旨を伝えてギルドの外へ出た。
いつも通りの平和な街並み。
そして、いつも通りの穏やかな日差し。
「僕の居場所はやっぱここだよな」
そう言うと僕は伸びをしてミッション開始地点へと向かった。
闇の魔物。
どうってことはなかった。
普通のプレイヤーなら確かに苦戦を強いられるかもしれないし場合によっては殺られるかもしれない。
だが、正直言って僕の敵ではなかったのだ。
「でーりゃっ!!!」
僕はそんな掛け声と共に目の前の魔物を一刀両断していく。
僕の武器は刀だ。
そしてリアルで昔習っていた格闘術を組み合わせて魔物の行動プログラムを嘲笑うかのように首を刎ねて行った。
「すごいねぇ、君!」
僕が狩りをしている中、女の子の声が聞こえた。
「まぁ、伊達にこのゲームをやり込んでるわけじゃないからね。君、名前は?」
彼女には目もくれず僕は目の前の魔物たちに集中していた。
「私?私は岬 ユキ。君は?」
僕は魔物の上を飛び越えて真横のポジションを確保した。
「僕は高槻、じゃなくて……?あれ、君本名で登録してるのか!?」
僕はそのまま魔物の胴体と首をお別れさせてから声の方へ振り向いた。
「そうだよ、タ、カ、ツ、キ、くん?」
しまった、と思った。
本名から特定して全ての個人情報を晒されるなんてイタズラが横行している世の中だ。不用意に苗字なんて言ったら相手の作業を助長しかねない。
「晒しは勘弁してくれよ、岬さん」
僕はそう言うとその場を離れようとした。
「待ってよ!私、このゲームを始めてから日が浅いの!手伝ってよ!」
という悲鳴のような声を聞いて流石に離れるわけにはいかなくなった。
「足手まといが増えても僕が損しかしないじゃないか?」
「じゃあ、なんでもします!なんでもしますからぁ!」
「全然嬉しくないね!たかがゲーム内でできることなんて知れてるし!」
その言葉が契機になった。
「ゲーム内でできないようなことをしようとしてたの!?」
そう、攻守逆転である。
「い、いや、ちが、違う!?だからそんな軽蔑の眼差しで僕を見ないでくれ!」
もうその時には僕が交渉で優位に立っていたことなど忘れてしまっていた。とにかくこの場を取り繕わなくてはならない。
「うわー、タカツキくんってそんな人だったの?マジ引くわー」
「僕はそんな下卑た人間じゃないぞ!」
「あっそー?へー、ならさー。見せてほしいなー、あなたの誠意っていうのがどういうものなのか、ねぇ?」
今思えば完全に舐め腐っている態度を取っていた岬と名乗るこの少女だったのだが何せ僕は焦っていた。
だから言ってしまった。
「分かった、手伝います!よろこんでお手伝いさせていただきます!!!」
その言葉に岬さんは唇の端をひん曲げてこう言った。
「その言葉を待ってたよぉ、タカツキくん?」
「ねぇねぇ、タカツキくーん、あのおっきな熊みたいなモンスターなんでどう!?」
そう言って岬さんが指をさしたのは大型の明らかに強そうな魔物だった。
「あのね、岬さん?世の中初心者が手を出しちゃいけないものってあるんだよ?それから僕のここでの名前はオクラだからな!」
「えー、ネクラの間違いなんじゃないの?」
「う、うるさい、ってか僕は今までネクラな態度なんて一つも取ってないじゃないか!?なんでばれたんだよ!?……あっ」
口が滑った。
そして、隣を見ると予想通りニヤニヤと性格の悪い笑みを浮かべる岬さんがいた。
「へー、タカツキくんって根暗なんだー。へー」
「や、やめろ!ゲーム内でその手の話はご法度だろ!」
「えー、別にいいじゃーん。タカツキくんってエムっぽいし」
「何割とナチュラルに失礼なイメージ押し付けてくれてんだよ!」
「もー、タカツキくん、あんまりムキになってると図星みたいだよー?」
「誰のせいだと……、あ……」
喋るのに夢中になっていた俺は後ろから近く影に気がつかなかった。
「何、その絶望的な目はー?」
「あの、岬さん?落ち着いて。できるだけ落ち着いて、僕の方に近づいてくるんだ」
「何ー、もしかして私に気があるのー?えへへー、私って美人だからー」
「アバターって割とどうにでもなるよね」
「う、うるさい!私のアバターは本人に忠実なんだよ!」
「そうかい、じゃあそう願っとくよ……じゃなくてほんとお願いだから、ゆっくりとこっちへ来るんだ」
「えー、なんでー、教えてくれてもいいじゃん、何ー?ドッキリー?」
今お前の後ろではドッキリでは済まされないような光景が広がっているということを言いたい気持ちを我慢して僕はできるだけ笑顔で岬さんに声をかけた。
「仕方ないなー、優しい優しい私が」
『グォォォォォオオオオオオオオオオオ!!!』
「キャアアアアアアアアアア!!!!???」
遅かった。
真後ろに熊さんがよだれを垂らして近寄って来ていたのだ。
「くっそ、死ぬなよ!!?」
僕はそのまま自分の能力を解放した。
認識力とスピードにほとんどのステータスを割り振り、武器によって威力不足を補うスタイルの僕に追いつけるものは多分この世界にはいない。
認識は十倍。スピードは八倍だ。
景色が途端にスローモーションに変わる。
その中で自分だけがほぼ通常通りに動けるため、敵からしたら反則的なまでに早い速度で動いて見えるはずだ。
手を伸ばし、岬さんを抱き込むと同時に真後ろへと脚力を爆発させた。
「間に合えっ……!!!」
熊のクロー攻撃は岬さんの当たり判定ラインの外側ギリギリを掠めた。
「グゥォォォォ!!!!!」
そのまま僕たちは地面に転がり込むが、熊さんは待ってはくれないらしい。
僕は必死で彼女の体を抱きかかえるとそのまま彼女ごと猛烈にダッシュした。
装備を持つためだけに筋力にステータスを振っておいたのが功を奏した。
軽い装備にしてスピードと認識に極振りしていたら多分終わっていた。
「岬さん。このまま逃げるぞ!!!」
「ひゃぁぁぁぁあああっ!!?なにこれ、なにこれぇぇぇぇ!!!???」
まぁ、当然の反応と言えるだろう。
百メートルを十秒ちょっとで走る僕のスピードが八倍になるのだ。八百メートルを10秒で走ることができる計算だ。秒速なら八十メートル。時速に直すとえーと、だいたい300キロくらい?
まぁ、新幹線に乗るようなスピードだ。
運営は多分アホだ。
「突っ込むぞ!」
「ひぃぃぃぃぃいいいいいいい!!!???」
そのまま僕たちはワープゾーンへと入った。
遠くに見える熊さんは僕たちを諦めると、手近にいた男性冒険者を殺した。
「バカじゃないの、ネクラくん!」
「僕はオクラだし、命の恩人になんでそういうこというかな?」
「正直ゲームなんだから別に一回くらい死んでもなんでもないじゃん!」
正論だ。
確かにその通りなのだ。
でも。
「僕はゲームであろうと人が死ぬのは……」
頭が吹き飛んだ……。
血だらけで動かなくなった……。
僕の手でその命を奪われた……。
「ど、どうしたの……?顔色がすごく悪いよ……」
あの肉塊が。
頭から離れない。
そして、僕を何度も何度も責め立てる。
上半分がなくなった、下顎しかないその顔で。
人殺し、人殺し。
「や、やめろ……」
「ちょ、ほんと急にどうしたの……?」
人殺し、人殺し、人殺し、ヒトゴロシ、ヒトゴロシ……
Caution
呼吸、脈拍の異常を感知しました。
5秒後にログアウトをします。
「やめろ、やめろ、やめてくれ……」
「ちょっと、タカツキくん!?」
バヅン!!!
接続が、完全に途絶えた。