ただいま、乙女ゲームの世界にいるようです。
アニキとホモを連呼しておりますが、貶めるつもりは毛頭ありません。気軽に楽しんでいただけると幸いです。
◇
「宵の明星のような憂いを秘めたその瞳に、俺は恋焦がれている‥‥‥俺の天使、アニキ‥‥‥その麗しい唇で、俺の想いを受け取ってくれ」
「‥‥‥セルフィーラ様」
「可愛いアニキ」
ただいま、私は、上記の会話を聞き取れる距離におります。
可愛いヒロインちゃんのお名前は【アニキ】です。
「セルフィーラ様‥‥‥お気持ちは嬉しいのです‥‥‥本当に、本当に、嬉しいのですが‥‥‥でも、私はこのホモの陽巫女。ホモを‥‥‥救えないのに恋などできないのです」
「アニキ‥‥‥そんな悲しいことを呟く悪い唇は、塞いでもいいか?」
「セルフィっ‥‥‥んっ」
あ、ベロチューが始まりました。
ちなみに、私たちが生きているこの世界は【ホモ】と言います。
私は、厭らしい水音を背中に受けながら駆け出した。
(っだっ!!!)
途中、赤髪の教官に注意をされたが気にしないで駆ける。
(誰だよ!! ヒロインの名前を【アニキ】にしたヤツっ!! しかも、世界の名前が【ホモ】なんてっ‥‥‥正気の沙汰じゃない!!)
涙で世界が霞むが気にせずに部屋を目指す。
青色の髪の教官に注意されたが無視して駆ける。
自室の扉を勢いよく開けて、天蓋付の豪奢なベッドにダイブした。
「私だよ!! その正気じゃないのはぁあああああ!!!!!」
どうやら、プレイ時間25分の‥‥‥友達が貸してくれた乙女ゲームの世界に、私はいるようです。
◇
乙女ゲーム転生って、噂では知っていた。
ある特定の場所ではブームだというのも知っていた。
乙女ゲーム自体の流行も知っていた。
建築物とか無機物とか国とかいろいろな物が擬人化されて、対象になっているというのも知ってはいた。
ただ、あまり興味はなかった。
私はハンドクラフトが好きで、よくイベントに出てはいたけれど、それは自分が作ったミニチュアの食べ物や、漫画やアニメに出てくるグッズを再現するだけで、このキャラが好きという萌えによる参加ではなかった。
コスプレイヤーさんが私の作ったグッズを大喜びで買って、身に着けてくれるのは本当に嬉しかった。
件の友達と知り合ったのは、そんなサークル主と常連のコスプレイヤーという関係からだった。
私は地元の小さなイベントにしか参加しないから、友達もあまりいなくて、その友達‥‥‥言いにくいからセルフィーさんでいいか。さっきベロチューかましていたキャラのコスプレをよくしていたから。
そのセルフィーさんが、このゲームのグッズを作って欲しいと渡してきたのが、普段関わりを持たない乙女ゲームをやってみたきっかけだ。
惑星なのか、独立した国家なのか、大陸なのかわからないが、登場する世界とヒロインの名前だけをプレイヤーが決めることができる。
セルフィーさんが「ヒロインをアニキにして、世界の名前をホモにすると面白いよ」と言うので素直にその名前にしたら呆れられた。呆れるのであればそんなことは言わないで欲しかった。
出だしの延々と長い説明をセルフィーさんの解説を聞きながら熟し、ようやくゲーム本文(と、いう言い方でいいのだろうか? よくわからない)に入ったところで、セルフィーさんは会社の上司に呼び出されて、帰らなければならなくなった。
セルフィーさんの職場は繁華街に近いので、ついでに着いていくことにした。
よく行く手芸品店がセルフィーさんの職場の隣の隣と知って、二人で偶然に笑い合ったものだ。
そして、記憶はそこで途切れている。
気が付くと洋風なのかSF風なのかよくわからない世界にいて、ド派手な赤紫のウェーブのかかった髪になっていてまつ毛がバサバサになっていた。
なんじゃこりゃ。
と思いつつも違和感を感じながら衣装を身に着けて外に出る。
すると、周囲はセルフィーさんが貸してくれた攻略本で見た世界だった。
可愛いお嬢さんが、美形たちから『アニキ』と呼ばれて愛を囁かれ、ホモという世界の窮地を救うためにみんなが真剣に討論している。ホモを救うには、ホモを存続させるには、ホモの未来を考えれば‥‥‥別段、他人のホモセクシュアリティには興味はないけれど、ホモホモホモ連呼されるとちょっと堪える。スケッチブックを見るたびに微妙な気持ちになるのと一緒だ。
あんなに可愛いのにアニキ‥‥‥
こんなに綺麗な世界なのにホモ‥‥‥
アニキな人とホモな人には申し訳ないけれど‥‥‥
「‥‥‥っ、もっと、違う名前にしておけば、よ、かった‥‥‥」
セルフィーさんが好きだから始めてみただけで、ゲームの内容になんて興味があまりなかったから、名前だって適当に付けた。
キャラクターで知っているのはセルフィーさんがよくコスプレしているセルフィーラ様(なぜかセルフィーさんに様を絶対に付けろと強制されている)だけ。他は全部属性や髪の毛の色で呼んでいる程度だ。性別が男ということしか知らない。
どうしたら、いいんだろう‥‥‥
自分が知っているエンドなんて、引き籠りエンドだけだ。インパクトが強過ぎて忘れられなかった。二百日部屋の中で動かなければ、強制的に出身地に戻れるというエンドだ。
二百日って、心が広い組織だなと思ったものだ。
(引き籠ろうかな‥‥‥)
豪奢な金髪ロンゲさんも、黒髪サラサラ天使のわっか不愛想も、はちみつ色の金髪ふわふわ君も全く興味がない。
緑の短髪腹黒系も、水色色素薄い&生気も薄い系も、赤色と青色の寺門の両脇に立っていそうな揃いのマッチョ系教官も興味がない。
元の世界でちまちまとミニチュアご飯を作ったり、気になる漫画の装飾品やミニチュア武器を再現するような日常に戻りたい。
‥‥‥どうすれば、いいんだろう。
漫画や小説なら、だいたいの転生者はそのゲームのことに詳しくて、家名まで全部空で言えるマニアっぷりだ。
その記憶力はぜひ受験で発揮しろと言いたいところだが、今の自分からすれば自分のいる世界を知っているだけでも羨ましい。
細かいことは、翌日セルフィーさんが教えてくれることになっていた。
今日は自分の部屋だったが、次の日はセルフィーさんの部屋で続きをやる予定だった。初めて訪問するからドキドキしていた。セルフィーさんは今時珍しいコス衣装を自分で作るタイプの人だからミシンとかトルソーとかあるというので、それを見せてもらうのも楽しみだった。
それなのに‥‥‥それなのに、なんでこんなところにいるんだろう‥‥‥
俺は、なんでこんなところで女の格好をして、泣いているんだろう‥‥‥
◇
「孝史さん!?」
ふっと目に入った白の格子柄。ヒョウ柄のような奇妙な窪みのある天井に、自分がいるのがファンタジーのようなSFのような不思議な世界ではないということを知る。
視界の片隅に映るのは、泣き腫らした目をした小柄な女性。
「せ、る、ふぃー、さん?」
喉から声が思ったように出ない。
「詩央里です。孝史さん‥‥‥目が覚めてよかった」
彼女は俺の左手を取ると両手で包んで額に当てた。
冷たい気がする。
彼女の涙がボロボロと零れ落ちるのを呆っとしながら見つめていると、看護師が中に入ってきてテキパキと俺の体を調べていく。
「堤孝史さん、目が覚められたのですね。今、先生が来ますから少々お待ちください。ご自分が交通事故で入院されたのは、ご理解されていますか?」
その言葉に首を小さく左右に振る。痛みで眉を顰める。
「‥‥‥安静にしていてください。奥様を庇われた時に左足を骨折されています。それに体中に打撲痕がありますので、しばらくは動けないと思います」
奥様?
瞳を瞬かせると、嗚咽を零す詩央里がぎゅっと手を握ってきた。
「‥‥‥生きてて、よかった」
子供のように泣きじゃくる彼女を見て、俺はもう一度瞳を瞬かせた。
詩央里の会社に向かう途中、黄信号で無理矢理左折してきたトラックがガードレールにぶつかったのだ。俺は咄嗟に彼女を抱きかかえて無理に方向を変えたため、反応が遅れた‥‥‥ような、気がする。
「詩央里、さんは‥‥‥怪我、は?」
切れ切れに問い掛ければ、彼女はゆるゆるとその首を横に振った。
「よ、かった‥‥‥」
心底、安堵する。
もしかしたら、俺が彼女を守らなければ、あの恐怖の世界に彼女が流れ着いていたのかもしれない。そのことにぞっとする。
大好きなゲームの世界。大好きなキャラクター。
それだけなら、夢のような状態だろう。
でも、キャラクター全員に愛されるヒロインは【アニキ】と呼ばれ、【ホモ】という世界を救わなければいけない‥‥‥好きであればある程、辛いはずだ。
よく知らない俺でさえ心が折れそうになったのだから。
「無事で、よかった」
ゆったりと微笑むと、詩央里は顔を真っ赤にさせている。
どこか、具合が悪いのだろうか?
「先生がいらっしゃいました」
看護師の言葉に、俺は彼女の顔が赤いのを医師に伝えなければいけないと強く思う。彼女のことだから、体調が悪いのを隠しているのかもしれない。
俺は現在の心配事に心を支配され、あの不思議な世界のことをこれ以後、すっかりと忘れ去っていた。
◇
その後、俺と詩央里は紆余曲折の末、コミ結婚というものをした。コミ婚とも言うらしい。コミケで知り合ったわけじゃないから正確には違うのだろうが。
俺は、相変わらずでかい図体なのにちまちまとしたハンドクラフトが好きで、詩央里とはフリーマーケットなどに一緒に参加している。
詩央里は付き合い始めて半年程でコスプレは卒業した。別に構わなかったのだが、夢の中でセルフィーラがアニキに愛を囁いていて、それで急に冷めたと訳の分からないことを言って引退している。今はハンドクラフトに目覚めたとか言って俺の隣でちまちまと細い毛糸でコースターや髪飾りなどを作っている。
アニキという言葉に既視感を覚えて首を傾げるが、俺にはそういう趣味はないので気のせいにした。
時折、なんだか何かを忘れているような気分になるのだが、忘れるということは重要なことではないと考えて放置している。
大事なことなら、きっとそのうち思い出すだろう。
とりあえず、詩央里のお腹にいる子供のことを考える。
名前は、しっかり考えよう。
この子が大きくなって、誰かに愛を囁かれても恥ずかしくないような、真剣な場で呼ばれてもおかしくないような名前をちゃんと考えよう。
そう、詩央里に言えば、彼女も真面目な顔で賛同してくれた。
「詩央里」
名前を呼べば、隣の奥さんがにっこりと微笑んでくれる。
まるで乙女ゲームの結末のような今の状況に、俺はほんのちょっとだけ、背筋を震わせた。
おしまい




