たすけて
「今日の検査は終了だ」
そう言って放り投げられる。ベッドの脚に額が当たったが、それすら気にしていられなかった。引きちぎれた四肢はまだくっついていない。
魔物の再生速度は速い。人間の二倍は上回っているとされている。どれくらいの傷なら、どれくらいで治るのかを試す実験だった。そんなもの、今まで散々魔物でやってきただろうに、わざわざ俺でまでする必要があるのか、と思わないでもない。だが、研究者がしたいというのなら、仕方がない。
ぐったりと床に横たわったエディスは、目を閉じた。掃除はされているので、このまま寝てしまっても誰もなにも言わないだろう。
まどろみの中、エディスは縋るものを記憶の中から探した。だが、考えても考えても、そんなに良いものをエディスは持っていない。自分のような者が縋っていいものなど、なに一つないのだ。
「死んじゃダメだ、死んじゃあ……」
泣くことはなく、動かない腕で自身を守ることもできないエディスは、そのまま意識をなくした。
「エディス、エディス! おい、生きてるか!?」
何度も声をかけられ、頬をはられることによってエディスは意識を取り戻した。焦点の合わない目で暗い世界を見つめていると、もう一度自分のものではない名で呼ばれる。頬に手が添えられ、顔を動かされた。目線を上げてみると、どうやら見えないが、誰かいるらしい。
「誰だ」
問いかけると、相手がふっと笑ったのか空気が震えた。
「ミシアだ」
「ミシア」
ミシアはエディスの体を膝にのせるようにしていた。強く抱き締められても、エディスの心は動かない。
「良かった……!」
「うん、俺も良かった。つながって」
感極まったようにミシアが涙混じりの声でそう言ったのにも、無感動に無事つながったらしい手を握り、脚の爪先を動かすことで確認をするだけだった。
エディスはふっとミシアの顔があるだろうと思われるところへと顔を向ける。
「なんで」
どうしてミシアがここにいるんだろう、とエディスはぼんやりとした頭で考える。ミシアは上司だが、それ以上に自分の敵ではなかっただろうか。おかしなくらい優しかったけれど、自分は彼から傷つけられなければいけないはずだ。
「仕事か」
ミシアはまた微かに笑った。末端が冷えていた体の中心にその氷のような冷たさが迫ってくる。
「そうだ」
「そっか」
ああ、悲しいものが自分を支配してしまう。熱いものは全て奪い取られて、消えて、遠ざかってしまった。自分の全ては今、なくなってしまったのだ。
「俺はなにをすればいい?」
「いいから、先に医療部に行くぞ」
「ここがそうじゃないのか?」
「違う」
肩を貸してもらって立ち上がり、室内から出る。久しぶりに目に入ってくる日差しがあまりにも眩しく、エディスは目を閉じた。
「お前の部下が来て、助けてくれって言うから来たんだよ」
部下……あの二人だろうかとエディスは思い当たる人物の顔を浮かべる。どうしてまた、そんなことを。
「俺なんか放っておけばいいのに」
「そんなことを言うなよ。アイツら本気で心配してたんだからな」
「なんで……」
そうして、こんな自分を心配してくれるのか。そんな優しい人なんて、いらない。怖くなる。そんな人たちはどこか別の所で幸せにしていてほしい。自分なんかに関わるとロクでもないことにしかならないのだから。
「これに懲りたら無茶はするなよ」
「無茶?」
「シトラスを助けたいからって、この方法はないだろ。事情聞かされて驚いたぞ。急に配属から外されるしな」
「シトラス?」
先程から短い単語を呟き返すだけのエディスの様子にも気づかず、ミシアはさらさらと落ちる砂のように言葉を落としてしまう。
「だから、シトラスの代わりだとか言って、自分が魔物なことを上にバラしたんだろ? で、シトラスは助けてやってくれーって。お前がそんなことするなんて意外だったぞ」
「俺が、代わり」
そんなこと言ったことない。任務に帰ってきたら急にこんなことになって、俺は。
「安心しろ。もうシトラスは軍を辞めれたから。お前のおかげだ、良かったな」
今まで前例がないんだぞと明るく笑うミシアに対して、エディスはさーっと血の気のない顔をさらに青白くさせた。ふと見てしまった外は今日も澄んだ青い、青い色をしている。
「エディス!」
そこに、背後から声がかかった。がくがくと体を震わせているエディスを、体調が悪いんだろうと決めつけたミシアは、胴に腕を回しただけで、振り返らせる。
「元気だったか?」
青空の下、窓から差し込んでくる光を身に受けて立っていたのはシュウだった。爽やかとも言い表せる笑顔を浮かべて近寄ってくる。
「こんな無茶しやがって! 心配したんだぞ」
ははっとミシアと笑い合うシュウからエディスは逃げたかった。どうして自分の前にこんなに明るい調子で来れる、笑えるんだ。
「シトラスが言ってたぞ」
口角の上がった口が笑っている。けれど、目の奥は笑っていない。
「どうも、僕のためにありがとうございます。ってな」
「あ、あう、あぁ……っ」
両手を握りしめ、身に襲いかかる恐怖に耐えようとする。どうして、どうしてという声が頭の中で反芻する。
自分に魔物の力が半分入っていることを知っている人は三人しかいない。兄のハイデが自分を売るようなことをするはずがないし、もう一人はすでに北に行ってしまっていて、ここにはいない。となると、上に忠告したのは残りの一人だけしかいないのだ。
「俺からも礼を言うよ。弟を助けてくれてありがとう」
そう――目の前にいるこの男しかありえないのだ。
「あ、あああ……」
それなのに、こんななんでもない風に接してくるシュウが、エディスには恐ろしくて仕方がない。シュウが手を伸ばしてくるのを見たエディスは、飛びずさるようにミシアの腕から逃げ出した。
「エディス?」
不思議そうに見るミシアも敵にしか見えない。エディスは横髪を両手でつかむと、背を丸め、叫んだ。
「う、わあああああッ!」
「エディス、待て! エディス!?」
エディスは二人から逃げようと、背中を向けて走りだす。制止の声も聞かず、そのまま建物の外へと出た。半袖の白くて薄い手術着のまま駆けだしたエディスは自分を抱きしめるかのように腕に手を当てる。その姿を通りかかった人は呆然と見ていた。
裸足のまま走り続けたエディスは、いつの間にか墓地に来ていた。エディスはふらふらと中へ入り、そして、それを見つけた。
シルク・ティーンスと名前の彫られた、白い墓石を。静かに白い光を帯びて佇む薄い石の前に、エディスはずるずると座り込む。
「うっ、ううう……」
獣の唸り声に似た声を出しながら、体を折り曲げて白い石の板に額をつける。花の置かれていない石は冷たく、エディスをさらに冷やした。
「シルクッ、シルク……! 会いたい。お前に会いたいよ!」
涙はとめどなく流れ、板の上に落ちる。硬く握りしめた拳を板の上に置いた。
「もうどうしたらいいのか分からないんだ。あれは本当に俺の母さんと父さんだったのかも知らない。俺はなにもっ、なにも知らないんだよ!! こんなのはもう嫌だ、嫌なんだ……」
悲痛な想いは誰にも聞かれることなく、石板に滲み込んでいく。
「助けて。助けてよ母さん! 父さん!」
悪夢のような世界はもう嫌だ。どうして死ねとまで思った相手が、シルクを助けようともせずただ黙って死ぬのを見ていただけの奴を助けなくちゃいけないんだ。どうしてそんな奴の身代わりにならなくちゃいけない。そんなこと、願ったことも実行した覚えもない。
それとも、自分の記憶が間違っていて、周りが言っていることが合っているのだろうか。分からない、過去でさえ信じられない。
「お願い、助けて。怖いよ、僕、ずっと……っ」
ずっと前から逃げ出したかった。人を憎んだりしたくない、殺したくない。けれど、世界はそれを許してはくれない。もっと憎め、もっと殺せと語りかけてくる。そんな地獄となんら大差のない世界にいるのが怖かった。
甘えられる人のいない世界で、エディスは幼い子どものように泣きじゃくる。その頭を撫でる手も、冷えた体を抱きしめる腕もないことを知りながら。
「怖いよぉ……!」




