白銀の少年の嘆く握手の願いを
「じゃあ、明日の朝九時に迎えに行くからな」
「はい!」
片手を上げて元気よく返事をするシルクの頭をミシアは撫でる。周りの護衛もそれをにこやかに見守っている。わんぱく姫の久しぶりの帰還だ。皆心なしか嬉しそうに見える。
「それじゃあ、おやすみなさい」
「はいはい」
なぜか身を屈めるミシアにエディスとシトラスは首を傾げた。だが、シルクがその肩に手を置き、ミシアの頬に口づけた。続けてミシアの左側に立っているシトラスの頬にもする。
「エディス! おやすみ!」
「……なんで手を掴むんだよ」
シトラスと逆側に立っているエディスの前まで走って戻ったシルクは、笑顔で手を握った。
「逃げそうだから」
「おかしいだろ、この状況」
「だって、エディスともしたいんだ」
断ろうとぐずぐず言っても聞かなさそうなシルクに、エディスはため息を吐く。
「好きにしろ」
眉間に皺を寄せて言うが、シルクは嬉しそうにはーいっ! と返事をし、エディスの右頬にキスをした。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
ほれ、もう行けと頭を撫でてやると素直に門の中に入っていく。手を大きく振り、
「また明日なー!」
という少女にミシアとエディスは手を振り返した。
だが、口をぽっかりと開けて頬を押さえているシトラスだけはそのままだった。ミシアとエディスはシトラスの様子を見て、ふっと声をかける。
「惚れたか?」
ぽーっと上の空のままであるシトラスの手を引いて帰ってきたミシアは鞄から鍵を取り出した。エディスは家というよりも屋敷という大きさの建物を見上げ、呟く。
「大きいな」
「姿ばっかりだ」
鍵を使って扉を開けたミシアは、まずシトラスの背中をゆっくり押して中に入らせた。次に手を引いてエディスと一緒に入る。
「し、失礼し」
緊張した面持ちで言おうとしたエディスの口に、ミシアの指がそっと触れる。見上げると、優しく笑って首を振られた。
「自分の家だと思えって」
「……分かった、けど」
じゃあなにを言えばいいんだよ、と気難しい顔になってしまったエディスに、ミシアは苦笑する。撫で心地のいい頭を、怪我に響かないように撫でる。
「ただいま、だ」
「……ただいま」
言い慣れない言葉をたどたどしく、なぞるように言うエディス。
「おかえり」
その肩に手を当て、引き寄せるようにして入っていく。シンと迫るように静まり返っている屋敷の中をエディスは見回した。
「アンタ、家族は?」
「いるよ」
玄関から廊下にはいってすぐ右側にある引き戸を開け、中に入る。電気を点けても薄暗い部屋の中には、透明な箱が中央に置かれていた。むわっとする花の濃い香がエディスたちを包み込んでくる。様々な種類の花に囲まれた透明な箱に寄って初めて、それが棺であることに気が付いた。
おいでおいでと呼ばれたエディスは、棺の近くに座る。
「可愛い人だな」
「嫁だ」
中に入っていた女性は、可憐と例えるのが一番似合うような人だった。色白のほっそりとした体に純白のドレスを着ている。薄い金色の髪はゆるく巻かれており、全体を淡く光らせるかのように包み込んでいた。少女めいた雰囲気の女性を見つめるミシアの横顔をそっと窺う。
子供に似た残酷さを持つ男だと忘れてしまう程、柔らかで温かな微笑みだった。優しさを一つに固めたらこんな表情になるんじゃないだろうか。
「奥さんは、なにで……?」
「事故だ」
事故、と心の中で繰り返すと、ミシアが自分の方を向く。なにも悪いことはしていないのだが、心臓が跳ねた。
「無理につっこんできた馬車にはねられてな」
さーっと体温が失われていく。ミシアは事故と言ってはいるが、本心ではそう思っていないのではないだろうか。そんな不安が頭の中をよぎる。
エディスが口を開けようとした時、パサリと布の落ちる小さな音がした。バッと振り向くと、戸口に熊のぬいぐるみを抱えた幼女が立っていた。
「娘さんか?」
棺の中にいる女性と同じゆるく巻かれた薄い金髪に血が透けるような白い肌をしている。パッチリとした目の、可愛い幼女だ。表情のなさと着ている赤いワンピースも相俟って、まるでビスクドールのようだ。
「いや、パートナーだ」
「パートナー」
ミシアと一緒に戦場で行動するパートナー。だが、エディスは思わず首を傾げてしまった。この少女を戦場で見かけたことなどなかったからだ。
「けど、俺もコイツも一緒に行動したりはしない」
見上げると、ミシアはなんでもないような顔をしている。
「全対象能力者なんだ。切羽詰ってるトコにいつも貸してるからな。お前が独立したら一緒に戦えるかもしれないな」
そうだったのか、と先に教えておいてほしかった上司の仕事面での隠し事をこんなところで知ったエディスは幼女と向き合った。
「初めまして。俺は」
す、と床の上を滑るようにして幼女が自分の前まで歩いてくる。近づけば近づく程、棺の中の女性とよく似ていることが分かる。
この人はきっと、ミシアの娘に違いない。けれど、パートナーだと紹介された以上、過去のことを訊くことは許されない。能力者は軍に入ったその瞬間、人間ではなく兵器として扱われるようになる。人間だった頃のことを訊くのは禁止だということが決まっている。
抱えている熊のぬいぐるみから腕を離した女性は、エディスをじっと見上げてくる。ギクッと背が強張りかけるが、必死に耐える。
「はじめまして。私は地を這う者よ。よろしくね」
幼女は妖艶ともいえる微笑を向け、手を伸ばしてきた。
横のミシアが楽しそうにニヤニヤと笑っている様子が気配から感じ取られ、エディスは奥歯を噛む。
赤いワンピースから出た左手は白い手袋をはめている。だが、自分に向けられている右手は素手のままだ。おそらく、先程戸口でした小さな音は、手袋が落ちる音だったのだろう。
地を這う者の能力は手に触れることで攻撃をするものだろう。そうエディスは予測を立てた。
「准将にはいつもお世話になっています。俺はエディスと言います。宜しくお願いします」
なので、あらかじめ手の周りに薄く、気付かれないように魔力のシールドを張ってから握ってみる。
すると、地を這う者は小さな手で握り返してき、あら? と口に左手を当てた。
「おかしいわね、爆発しないわ」
ヒッと心臓は悲鳴を上げたが、顔は笑顔のまま、柔和な声を出すことに務める。
「そんなにヤワではないので、触っても大丈夫ですよ」
「……そう」
じいっと兎のような目で見つめられ、小動物や子どもなどの小さいものに弱いエディスは頬の力を緩めてしまう。中身がいくつなのかは分からないが、外見がとにかく可愛い。
「お前、気に入ったわ」
お前呼ばわりされてもなんら気にならない。左手でズボンを握られ、部屋から出るように促される。熊のぬいぐるみを拾い、地を這う者についていく。
くっくと笑い声を出しながら追ってくるミシアも、いつもなら腹立たしく感じただろうが、今は女性の趣味がとてもいい――性格も良さそうな奥さんだったし――と褒めたいくらいだ。
「ケーキがあるの。食べましょう」
連れられてきたのは、リビングだった。淡いクリーム色と白で統一されている、上品なデザインだ。座ってと促された白い革のソファーに腰かける。そこへミシアがシトラスを連れてやってきた。ようやく正気を取り戻したらしいシトラスは、眉を下げてエディスに笑って見せる。
ミシアはエディスとテーブルを挟んだ向かいのソファーに座り、シトラスに自分の隣を勧めた。
シトラスが席にかけると、地を這う者が銀製の大きなおぼんを手に戻ってきた。危なげない手つきと足取りだったが、体格の小さな彼女が持つにしては大きいそれの存在がエディスは気になってしまう。
ミシアやシトラスのように和やかに、もしくは当然のようにソファーにかけて待ってなどいられない。給仕される側ではなく、する側の精神が強いエディスは立ち上がり、近寄っていく。
「俺、持ちますよ」
「普通に喋ってみて」
なにもそんなこと今言わなくてもとエディスは思ったが、
「俺、持つぞ」
言い直してみた。すると、彼女はこっくりと頷いて、エディスにおぼんを渡すために腕を上げる。四人分のケーキとカップ、ティーポットがのったおぼんはやはり重い。よく持てていたなと感心してしまう程だ。自分を見上げてくる地を這う者ににっと笑い、ミシアたちに配っていく。配り終え、おぼんを返しに行った後も立ったままだった地を這う者の脇の下に手をくぐらせ、ソファーの上にのせる。
「ありがとう」
一瞬、勝手に自分の隣に座らせることにしたのは不味かったかと危惧したが、ふんわりとした笑顔にそれも吹っ飛ばされた。 「ううん」
だが、頭を振ったエディスににじり寄ってきた地を這う者が、猫のように腕をくぐってきて、ぎょっと目を開く。
「お、おい……!?」
静止する間もなくエディスの膝にちょっこり座った彼女は、満足げに笑っている。その笑顔に逆らうことができず、許してしまう。
あーんと口を大きく開いてきたので、自分の前に置いたケーキを小さく切って口の中に入れてみた。もぐもぐと噛んでから、地を這う者は美味しいっと懐いてくる。
地を這う者はケーキをぱくぱくと食べ、紅茶も飲んで満足したと思われたが、体を伸ばして本来自分用に置かれていたケーキを持ってくる。そして、フォークを握った。
「あーん」
エディスにケーキを刺したフォークを向けてくる。適当に切られたそれは、小さめの口であるエディスには少々大きい。クリームやスポンジが口についてしまうだろうというのが想像できた。
「あーんって言ってるでしょう」
だが、キツイ口調で咎めるように言われては敵わない。大人しく口を開けると、むぎゅっと口の中にケーキが詰め込まれた。苦しいと思いながらも口の中を整理していると、地を這う者に白いハンカチで口を拭われる。
子どものようで恥ずかしい、と顔が赤くなってくる。誰か止めてくれと思ったが、味方になってくれるような人物はこの場にはいない。ミシアもシトラスも澄ました顔で座っている。
全て食べ終えた頃には、エディスは午前中の仕事を終えたくらいの疲れを感じていた。
「ちい、それくらいにしてやれ」
ミシアが止めようとしたが、地を這う者はえーっと非難の声を上げて抗議する。
「コイツなら後三日はここにいるし、仕事馬鹿だから軍に行けばいつでも会える」
と言われた地を這う者はもう、と大人びた口調で言った後、ぴょんと膝から下りた。
「それじゃあ、私はもう寝るわ。おやすみなさい」
エディスの頬にちう、と軽いキスをし、ミシアの頬にも同じようにした地を這う者は、赤いワンピースと金髪をひるがえして歩いていく。リビングと玄関へ繋がる廊下の間にある階段を上っていった。
「これ、アンタんちの習慣だったのか」
「そ。かーわいいだろー? うちの嫁が始めた」
「ノロケかよ」
でれっとした顔をするミシアに、エディスは呆れてしまう。
「さてと、一緒に風呂でも入るか!」
「は?」
ミシアはテーブルの上に手をつき、ぽかんと見上げるエディスの顎を掬い取った。
「パパと一緒にお風呂はーいろっ」
「断る」
「ままっ、そー言わずに!」
寄ってきてエディスを立たせたミシアは、背中を押すようにして歩き始める。それにエディスはおい! と慌てた。
「片付けは!?」
「後でやるやる」
「俺が今やっとくからお前ら先に入ってろよ!」
遠慮するなーとミシアはエディスを担ぐ。
「ミ、ミシアッ。本当にやめろって」
軍服の上着を脱がされ、中に着ている赤いランニングシャツもすぽんと頭から抜かれた。バンザーイとか、そんな甘くて優しいものはない。
「や、いや、ちょ……マジで勘弁!」
背後から脇の下に腕を突っ込まれ、半ば抱き抱えられている状態でズボンのジッパーに手をかけられる。
「シトラス! お前見てねー……で」
体をねじり、ミシア越しに見ると、シトラスは恥じらうように顔を手で覆っていた。
「おい! なに恥ずかしがってんだよ!」
「だって、エディスやらしい」
「やらしいことしてんのはミシアだろーが!」
結構な声量で怒鳴るエディスの、ミシアの体の隙間から見える足の細さや、腕の白さを見――
「エディスの体が色っぽいんです……」
と体をくねらせる部下に、エディスはがくりと力を失った。




