月に向かって咲く向日葵
「おはようございまーす」
「はい、おはよーう」
横柄な態度で入室してきたエディスは、窓の前に設置されている大きな執務机の上へ大量の書類を置く。
「お、おい……」
部屋の主は目を丸くさせたが、エディスは机の上いっぱいに置いていく。問答無用、といった様子だ。
「なに、今日は手伝ってくれないの?」
「俺は報告書あるんで」
頬杖をついて、苦笑いを浮かべる上司の顔を見ずに、エディスはよろしくお願いしますと書類を前に押し出す。ついに肘をつく場所もなくなったミシアは、だらしない顔でエディスちゃーんと言う。
「なんですか」
「南は楽しかったー?」
「ええ。最終日で楽しさが失せましたが」
ツンケンした様子のエディスは、やっとミシアと目を合わせた。エディスは顔を皮肉げに歪めて、
「南で魔女に会いましたよ」
と言った。
「魔物じゃなくて?」
相変わらず表情の読めない素振りで笑うミシアに、まあ怪力の魔物もいたなと返す。
「じゃあ、もう隣に行くから」
最後に熱いコーヒーを一杯、手元に置く。ミシアはそれに目を向けた後、エディスを見る。
「書類にシミをつけないでくださいね」
母譲りの顔で、眉を見せて口の端を上げた笑みを見せる。母は絶対にミシアに対してしなかっただろう笑みだ。母が好きだというのなら、なにかしらの反応が見られるのではと思った。だが、ミシアはマグカップを手にとり、匂いを嗅いでいるだけだった。
そのまま自分にあてがわれた隣室へ移動しようとしたが、ミシアに呼び止められた。エディスはわざとらしくため息を吐いてから、振り向く。
「なんだ」
「いあ、実は南に行っている間に一人、新入りがきてね」
「この時期は入隊試験はしていないはずだぞ」
ミシアはきまりが悪そうな顔で、誤魔化すように笑って後頭部に手を当てる。
「だから、国王からの推薦」
「国王からって、珍しいな」
「エディス以来だよ」
それがどうしたんだ、と思っていたエディスは、部屋のドアノブを掴んだ。
「その子をお前の部下にしたから、よろしくな」
「はあ!?」
「そろそろ部下の一人や二人持ってもいい頃だろ?」
「まだ早いって! お前……面倒くさがりも程ほどにしろよ!?」
まあまあもう来てるから、とおぞましいウインク付きで言われたエディスは、掴んでいたドアノブを回して、開いた。
「不束者ですが、宜しくお願いします」
床に三つ指をつき、深々と頭を下げる。その頭髪の色は、金。王族や貴族以外では生まれることが稀な色に、その人物の階級が見えた。
「シルク・ティーンスと申します」
顔を上げた少女に、エディスは気を失うかと思った。
「ずっと、好きでした」
こういう台詞を可愛い女の子から聞いてみたい男はこの世に何万人いるんだろう。
エディスは、国王の血を継ぐ可愛い第二王女を目の前にしいて、汗水だらだら、体は硬直していた。
「こ、困り……ます」
と言うのが精一杯だった。自分を追って軍に入ったというこの規格外の王女は、よりにもよって、自分が好きになったというのだから、困るしかない。
「え、なんでだ。身分の違いか? 気にしなくていいぞ。好みの問題なら……お前の好みになるために努力するから、なんでも言ってくれ」
身分の違いや、好みだけが問題じゃない。この少女と自分は、血がつながっているのだ。少数の人間しか知らないが、確かにそうなのだ。
「い、いえ……そうではなく」
なんと言えば諦めてもらえるのか、サッパリ検討がつかなかった。思い付きもしない。恋愛らしい恋愛など、したこともないのだ。
「今は仕事が大事でして、女性とお付き合いをしている時間はないんです」
報告書の紙を見せる。だが、シルクは頷き、笑った。
「ん、そうか。なら私は待つぞ! いつまでもな!」
「い、いや……待たれても」
「月日が経てば、変わるかもしれないだろっ」
好きな人が別にいると言ったら、もしかしたら解放してもらえるかもしれない。だが、自覚している好きな人など、いないのだ。トリエランディア大将に、あの魔物に好意を抱いているんじゃないかとよく分からない指摘を受けたことはある。だが、自分の中ではそんなことはないと思っている。相手が男だったから、信じたくないだけかもしれないが。
「あなたも、恋愛をするために軍に入ったわけではないでしょう。仕事してください」
姫君が軍人になるなど、前代未聞の事態だ。
「ああ、勿論仕事もするぞ! お前の役に立とうと思って来たんだからな!」
「迷惑です」
口からため息のような声が漏れ出る。シルクは驚きに目を見開き、表情のないエディスを見つめてきた。
エディスは万年筆で滑らかな字を書き続ける。紙の上の字を追い続けていたため、エディスにはシルクがどのような表情を顔に浮かべているのか、よく分からなかった。
「俺は、あなたに来てもらいたくはなかった」
万年筆を紙の横に置き、顔を上げる。そうして、やっとシルクと目線を合わせた。
「こんな世界を、見てほしくない」
ぴょんぴょんと元気よく跳ねる金髪が頬にかかっている。薄桃色の唇を薄く開き、わずかに潤んだ青色の目は驚きに揺れていた。この少女も、エディスが守りたいものの一つだ。自分の知らないところで、笑って過ごしていてほしかった妹。こんな所で、こんな出会い方をしたくはなかった。
「だけど」
シルクは手を強く握りしめる。短く切った爪が、手のひらに当たった。
「だけど私はっ、エディスに会いたかった!」
強く足を踏み出し、恋をした男の前に寄っていく。結んだ拳をほどき、腕をエディスの首に回した。
「こうしてみたかったんだ」
柔らかい腕に抱かれたエディスは、眉根を寄せる。ゆるく天然パーマの入った金髪が横顔に当たる。
「寂しい顔をいつもしているから、傍にいてやりたいって思ったんだよ」
きつく目をつむると、シルクの髪から陽の匂いがしてき、やはりいけないことだと、エディスの中の罪悪感がいっそう増す。
「ご心配をおかけしてしまってすみません。ですが、私は平気です」
優しい思い出も、楽しい思い出も、自分にはなにもない。だから、寂しいと思う感情もない。こうして、いてはいけない所にいる妹に心配されるようなことは、なにもない。もう、自分はあの小さな子どもではないのだから。
「だけど、私はい続けるぞ。平気かどうか決めるのは、私だからな」
「困ります」
「困ればいい!」
両肩を力を入れて掴まれた。近距離から意思の強い目で見つめられるエディスは、たじろぐ。シルクはもう一度、エディスに言い聞かせるように困ればいいと言った。
「相手になにかの感情を持つことが、関係の始まりだ!」
「なら、困りません」
そう瞬間的に答えたエディスに、シルクは獣のような呻き声を上げる。頭を抱えたシルクに、エディスは微かに口に笑みを浮かべた。それを気づかれないように、手で隠す。
「お前は私と関係を持ちたくないのか!?」
「いえ、もう持ってしまっています。なので、そうではないですよ」
「持ってる……のか?」
「はい」
頭を縦に振ると、シルクはそろそろとエディスを見てきた。
「それは、なんだ?」
「なんだと思いますか?」
目を閉じ、口の端を上げた笑みを零すと、シルクはまた唸る。騒がしい妹の姿を見て、エディスは隠して笑う。
「分かった、エディス! 友達になろう! なんでもまずはそこからだ!」
拳を強く握って言葉をかけてくる妹。その必死さに、エディスは眉尻と目元を下げる。
「友達ですか」
「そうだ。それも嫌か?」
「……いいえ、友達なら」
甘いと思いつつも、許してしまう。するとシルクは、やったー! と叫んで、エディスの後ろに回り、背中に抱き着いてきた。
「なら敬語はなしだ! シルクって名前で呼んでくれっ」
「公式の場所以外でなら」
うんっと大きく頷いたシルクの頭を撫でてやる。すると、ごろごろと懐いてくる。仕方ないなと思いつつもエディスは、撫でていた手を緩く握り、
「とりあえず、仕事しろ」
と頭を叩いた。




