助けてという悲鳴
朝の、強い日差しが目に痛い。頭までもが痛みを発してくるようだ。エディスは顔の前にやっていた手を下し、下を向く。
「神への供物、か」
手を握り締め、目を強くつむる。
「それって、供物じゃなくて生贄の間違えだろ」
ゆっくりと目を開け、眩しすぎる太陽を見上げる。自嘲しながら、エディスはホテルに入っていった。
カタカタと機械が情報を読み込む音がする。 「流石、ブラッド家の情報端末。動きが早いなー」
エディスは次々と読み込まれていくデータを見ながら、そう呟いた。
「機械だけは当主とその息子の趣味に偏りがちだが、それが合ってて良かったぜ……」
産業を行うには必要不可欠なそれを生み出し、販売し始めたのは現ブラッド家当主だ。
狡猾で、意地の悪い人間。どんな物でもリクエストすれば売ってる人間。とてつもなく頭が良く、古文書を解読し、商品の開発まで自分でする人間。色んなことを言われている人だったが、エディスはその人物に良い印象と悪い印象、どちらも持っていた。
「あの人と一緒にいさせた方がいいのか、奪った方がいいのか……どっちだろうな」
俺にはしたいことがある。なりたいものがある。だけど、それは全て波にのまれて、海の底に消えていってしまった。
「ん、これでよし」
機械の中からメモリーディスクを取り出す。そして、脳の形をした金属の塊にそれを差し込む。
出会った人の感情を覚えて使うことのできる、人工知能。俺は、これに全ての希望をかけている。そう、たとえあの女を裏切ることになったとしても。
「あなたは死んで」
俺は近い将来、死ななければいけないんだろう。この姿を掻き消す、本物のエディスさんが現れた時には、きっと。だって、俺はエディスさんの偽物だ。彼女の中から分裂して出てきた、塊だ。あんなに人に好かれるなんて、俺には到底できないことだし、彼女は生きていた。神様に近い存在として、生きてきていた。天上の人を前にしたら、どの人だって俺の存在を忘れてしまう。彼女しか好きにならない。
俺にある意思や感情なんて、あっても意味がなかった。ただ俺を切り刻むだけの冷たい世界には、そんなものは必要なかったんだ。何もかも、何もかも。
「生きたい」
なのに、どうして神様はエディスさんを選んでくれないんだ。どうして俺なんかを選んだんだ。エディスさんと同調、同化すればいいのに、俺を自分の懐に入れようとする。
「死にたくなんか、ない……っ!」
こんな、袖で拭いた涙なんか、流したって意味がない。この国を統べる人達には俺の声が、心が聞こえない。
俺のやってきた全ての事には、意味があるんだろうか。あったんだろうか。
ドンドンと何度もドアが叩かれた。そのドアの向こう側、大型の機械を作っている人の名前を、その軍人は呼び続けた。
「うるせえ」
しかし、不機嫌そうな顔をして出てきた部屋の主に睨み付けられた。
「何の用だ」
「電話! 女の子から!」
ゴーグルにマスクを付け、金屑だらけの姿で出てきたシュウに、同僚の軍人は怒鳴った。
「女ぁ?」
「女!!」
「俺に電話してくる女なんていねーけどな。人間違いじゃねえの?」
頭にタオル、白いTシャツと黒いパンツを着て、裸足にスリッパを履いただけの男。目つきもあまり良くなく、愛想も悪い。
「うるせーっさっさと行きやがれ!」
「何だよ、それ!」
キレんなよなーと言ってから走り出すシュウの背中を見ながら、その軍人はぽそりと呟いた。
「何であんなのがモテんだ……」
「仕方ないさ」
その両肩にポン、と手が置かれた。
「どうせ男は顔と財力なんだ」
「目つきの悪さも甘い物好きなのも良いらしいぜ」
近くの部屋から出てきたモテない男が目じりを拭いながらそう言った。
「電話代わりました」
誰か分からない女の子の電話にシュウは出た。
「シュウ・ブラッドです。どのようなご用件ですか?」
「いや、用件っていう程のことじゃないんだけど」
ん? とシュウはその声に疑問を感じた。女の子の声にしては少し低い。けど、男にするには高い。
「……お前、エディスか?」
「へ。あ、うん……そうだけど。やっぱ仕事中だったか? 悪ィ、忙しいんならいいんだ」
「あああああいい! いい! 大丈夫だ!」
思わず切られないために叫ぶと、エディスは少し引いた感じで、そうか……? と言った。
「で、どうした? そろそろ帰れそうなのか?」
「ああ、うん。それはーまあ」
歯切れの悪い相手にシュウは首を傾げる。一体どうしたんだ、コイツは。
「……なあ、シュウ。神様っていると思う?」
「神ぃ? いると思えばいるし、いないと思えばいないようなもんだろ。妖精とかお化けと同じような分類に当てはまるだろーし」
南で何か変な宗教でも流行ってんのか? と、シュウは少し不安になった。
「シュウ、お前はその箱が窮屈じゃないのか?」
「箱?」
よく分からない単語にシュウは眉をくもらせる。だが、すぐになんのことか理解し、苦笑した。
「大きな箱だからな、窮屈じゃねえよ」
「お前にとって、そこは大きいか」
父親か兄に甘える子どもの声にも聞こえるし、年上の女性からの重圧のかかった声にも聞こえる。
「ここから広げられる世界は大きいぞ、エディス」
「お前は、優しいな」
その言葉にシュウは妙な違和感を感じた。
「エディス、お前何を抱えてる」
また、コイツは何かを抱え始めた。それも、前に持っていたものよりも、はるかに重くて、
「何で、泣いてるんだ」
自分一人じゃ抱えきれないものをだ。
「わっ、かんな……」
「重くて持ちきれないのか」
鈍い音が受話器越しに聞こえてきた。それに次いで、エディスの泣き声が響いてきた。
「ずっと、ずっと、思ってたんだ」
誰も支えようと思わず、ひたすら頑張れと背中を押されてばかり、まだだまだだと歯を食いしばってきた。それが、こんな事になってしまったんだろう。
「俺は、俺のために生きてみたかった……!」
もう、コイツは限界だ。これ以上無理を重ね続ければ、確実に精神が崩壊する。だから早く助けてやらなきゃいけねえ。
「エディス……」
けど、俺にはコイツの抱えてることが分からねえ。サッパリ、見えてこない。
「何で都合の良い奴だけがあの人を愛すんだよ」
今の俺じゃあ、コイツは救えない。
ドゥルースの代わりだとか、他に適任がいなかっただとか、そんなのはどうだっていい。コイツは紛れもなく俺に助けを求めてきた。
「お前のことは、俺が愛している」
今はまだ救えない。
「だから、諦めんな」
けれど、支えにはなれるはずだ。
「俺はお前に惚れてる」
俺とお前は、切っても切れない絆を持つ仲だ。他の誰よりも、この言葉はお前に届く。
「早く、俺の所に帰ってこい。安心させてやるから」
「……」
受話器からは、返事がなかった。




