似たもの同士だった
シュウが目を開けてすぐ最初に、冬間近の冷たい風が自分の全身を吹き付ける感触に気付いた。視界に入るのは、真っ青な晴れ空を覆おうとしている暗い夜空だ。
「起きたか?」
すぐ近くからエディスの声が聞こえ、シュウは飛び起きた。
「お前……!」
エディスはシュウに背を向け、屋上の柵に腕を置き、下の様子を窺っている。シュウは周りにも目を向けてから、おそるおそる訊ねる。
「お前だけか?」
「俺だけだ」
エディスは顔だけを向け、安心したような微妙なような複雑な表情になったシュウに頷いてみせた。それから、厳しい表情に変える。
「お前のことなんか、俺にわかるか」
投げ出すように言われた言葉にシュウは目を丸くした。
「これまでお前は誰のためになにをしてきたんだよ。あれも嫌これも嫌って思いながら親父とかの言うことを丸のみにして生きてきただけじゃないのか」
「それは、お前だってそうだろ」
「俺は、自分の頭で考えてここまで来た。エディスさんは俺に生きろとしか言ってねえんだよ」
エディスは地上を見るのをやめ、なんだよそれ、と右目の上辺りに手を当てるシュウに体を向ける。
「俺は、王に取り返しのつかないことをやってきた。そのことをお前は恨んでんのか?」
「具体的な内容までは知らねえ。お前の変な台詞で城ん中に出入りしてんかな? とは思ってたけど」
「変な台詞?」
「おいで、エドワード。見てたなら助けてくれりゃいいのに、冷てえなあ」
冷たいと言いながらもさほど気にしていなさそうなエディスから、シュウは目を離す。
「世間的によく考えれば、お前は被害者なんだろうな。けれど、俺はそうは思わない。お前は加害者だ。都合の悪いことは知らん顔して、周りの奴の言うことを馬鹿正直にその通りに実行して、ブラッド家の甘い汁を吸い続けてきた」
「別に、俺だってやりたくやったんじゃねーよ」
「じゃあ、なんでやり続けた。なんでもうやりたくないの一言が口に出せなかった」
どうしようもなかったんだ、と下を向いて呟くシュウを見ながら腕を組み、柵に体を預けた。
「王って言ったけど、親父になにか頭おかしくなるようなもんでも使ってんのか?」
「だから、それは親父がやれっつったからだって言ってんだろ!」
コンクリートの床を拳で殴ったシュウの苛立った様子に、エディスは眉をしかめる。
「ガタガタうるせえ。実行したのはテメエだろ」
「お前は、だから俺を嫌って、恨んでんのかよ」
「恨まれてないと思う方がおかしいだろ」
息を吐いて短くなった髪に擦るように首に手を当てた。目も閉じたが、再び金属の鳴る音がして、目を開ける。立ち上がったために、自分よりも高くなったシュウの顔に目を向ける。
「殺せって命令でも出てんのか?」
「……動けないようにして、捕獲しろとは言われてる」
「あー、捕まえたいか?」
軍から支給されていて扱い慣れている拳銃を向けてきている男に、エディスは苦笑いを浮かべた。
「俺だって、お前を恨んでる」
「エディスだからだろ」
「そうだよ! お前が、エディスだから……頭のおかしい王が、お前とシルベリアを、間違えたからだ!」
腕を振り回し、子どものようにわめきたてるシュウに、
「お前がブラッドの命令を聞かなければ、そうはならなかった」
エディスはそれでもキッパリ言い切った。
「シルベリアを苦しめてきたのは、お前自身だ!!」
「ち、が……」
「違わない。お前が王を狂わせたんだ」
いい加減認める、前を向けという気持ちをのせ、強い調子でシュウに言葉をかけていく。
「俺とお前は似ている。だからこそ、俺はお前に託したんだ。レイアーラ姉さんの方が王としての素質を備えてる。けれど、この国では普通は通じない」
すうーっとシュウの黒い目から涙が流れた。声も出さず、自分が泣いていることにも気がついているからどうか分からないシュウに、エディスは足を踏み出す。
「お前じゃなきゃいけないんだ」
「……そんなに言うなら、」
シュウは後退しつつも、ズボンのポケットから細いビンを取り出し、エディスに向かって投げた。
「それを飲んでみろよ」
エディスは片手で受け取り、それを見て顔をしかめる。
「な」
「なにも訊かずに、飲め。俺を信じてるんだろ」
手の中にある緑色の液体が入っているビンを見つめたエディスは、息を吐いた。コルクを抜き取り、一気に口の中に流し入れ、飲み込んだ。
「飲んだぞ」
空になったビンを投げると、シュウは宙に浮いたそれを銃で撃ちぬいた。
「おい!?」
もう一丁取り出し、両手打ちをしてくるシュウに、エディスは舌打ちをして足を前に踏み出す。
【護り神 我のまっ】
防御壁を作ろうとしたが、途中で言葉が途切れた。エディスは思わず口に手を当て、よろめくように足を動かした。
「え……?」
溢れ出たものは指の間から零れ落ち、屋上の黒い床に隠れる。なんで、という言葉までは出せなかった。
「魔力拒否症」
胸の奥から次々と出てくる咳に、エディスが背を丸めた頃になってから、シュウが呟いた。
「それがお前の魔力異常だ」
よろめき、床に手をついてしゃがみこんだエディスは、口から手を離した。べっとりと血がついた白い手袋を抜き取り、握り締める。
「あの液体は」
口を血で濡らしたエディスは、顔を上げる。
「さっきの液体は、この間ジェネアスってやつがあの魔物に使ったやつの改良版だ。能力でも魔力でも、もう二度とお前は癒されない」
見上げたシュウは片眉をしかめ、口の端を吊り上げていた。
「強い魔力を持った奴に近寄ったくらいで死にかけてたんだ。今も簡単な魔法を使おうとしてそれだ。それじゃあ」
今度はシュウが口に手を当てる。血ではなく、笑みを隠すために。
「魔物には近づくこともできないな」
エディスは口を薄く開いたまま、震える手をついていた。だが、手を伸ばして短く切った髪に触れると、それでいい、と呟いた。 「え?」
「俺は、優しさを求めてアイツを追ってたんじゃない。抱きしめられたり、柔らかく耳触りだけ良い言葉を貰えなくてもいい。アイツになら傷つけられたって構わないんだ」
その言葉に、シュウは目をうろつかせ、爪を噛んだ。
「なんで、そんな。そこまで」
「俺がアイツを愛してるからだ。愛してるから傍にいてやりたいし、守ってやりたい。苦しみも悲しみも背負ってやりたい。柔らかく、包み込んでやりたい」
愛、とシュウが呟いたのに、エディスは頷いた。
「お前にも、ずっと傍で、お前を笑わせようと、一緒に笑って生きてきてくれた奴がいるだろ!」
そう叫ぶと、シュウは息を呑んだ。
「俺のために王になれって言ってるんじゃない。お前は、お前のために王になるんだ」
「だから、」
シュウは顔を下に向け、
「それが分からないって言ってんだろ。なんで、俺が……俺は」
とまどいながらもそう言う。
「お前は俺と違って、優しいから」
軍服の裾で血を拭ったエディスは、そっと目を閉じる。
「周りの奴の顔を見て動いて、そんなに辛いなら顔も合わさなきゃいいのに俺の話まで聞いてくれて、生真面目に答えを考えて、憎んでるのをおくびにも出さずに笑いかける奴だから、お前がいいんだ」
靴音を響かせないように、ゆっくりと一歩一歩進んでいく。
「お前がいると、皆が明るくなる。安心して、前を向いて歩いていける」
シュウの前まで来たエディスは、手を伸ばして彼を抱きしめた。
「疲れたな、苦しかったな。よく頑張ったな。もう大丈夫だから」
抱きしめられたシュウは、エディスを抱きしめ返す。大丈夫、大丈夫だと背中をぽんぽんと叩き、撫でてやると、シュウは嗚咽を零して泣きだした。
「苦しかったな、嫌だったな」
うんうんと頷いたシュウは、大声を上げて泣く。
「ごめんな、助けられなくて。ずっと一人で戦わせて、ごめん」
うん、と子どものように大粒の涙を手で拭うシュウに、よしよしと頭を撫で、抱きしめる。
「エディス」
「んー?」
「お前はまた違うって言うかもしれないけど、俺はやっぱりお前が好きだ」
エディスはそう言われると、目を細めて笑った。
「俺もお前を愛しているよ」
「愛?」
「そー、愛。愛してる、だよ」
わずかに頬を赤らめたシュウだったが、またこのパターンかと顔を曇らせる。
「エドやシトラスのことも愛してる。ドゥーも、リスティーも、ギールも。皆を愛している。お前らへの心が足を引きずらせて、前へ進めなくなる」
「それは……」
本心なのか、弱い自分を誑かせようとする、悪い心なのか。どちらか判断しきれなくなったシュウは、訊ねようとして、やめた。
「愛してたんだ。ごめん」
ごめん、と繰り返したエディスの背を、シュウも抱きしめる。
「エディス、俺――」
シュウがなにかをエディスに伝えようとした時、耳障りの良くない音が聞こえてきた。エディスはそれにすぐに反応にし、地面を足で踏みつける。
【護り神よ かっ】
ぐっと胸からせり上がってくるものを飲み込み、
【護り神よ 彼を護れ!】
魔法を使用した。