白銀の少年の歌う独善の願いを
戦いの跡を浴場で落とし、水をタオルで拭う。前を見ると、鏡にエディスさんと同じ顔が映っていた。
「戦え、なかった……」
湯気で曇った鏡に手を当てると、冷たい感触が伝わってくる。手を通して、冷たさが体の中に入ってくるような感じを、エディスは覚えた。
「俺が、戦わなきゃいけなかったのに」
どうして、戦えなかった。戦わなければいけないのに、なにもしないで、ただ突っ立っていることしかできなかった。あげくの果て、人に助けられたりして、情けない。口ばっかりだ。いつも、いつも、そうだ。エディス・ディスパニ・エンパイアという奴は、いつもそう。口ばかりで、実際には動けない、意気地なし。
「エディス」
ドアがノックされ、エディスは慌てて洗面所の鍵を解き、開いた。
「シュウ、どうした?」
髪を少し濡らし、首に白いタオルをかけたシュウが、立っていた。ドアノブを握ったまま訊くと、シュウは気まり悪そうな顔になる。
「あ、シトラスが……全員の治療が終わったってさ」
「そうか。容体は?」
治癒能力を使って直したのになにを、と言われそうなことを、エディスは口走っていた。なにかが分かっていたのかもしれない。
「アイツ……反軍の魔法使いだけ、どうしても治らなかったらしい」
「背中と、手?」
シュウは首を縦に動かした。
「魔法の剣に触った部分は、どうしても跡が残るらしい。え、と……ドゥルース? が、自分の魔力と中和させて、回復は一応させたんだけど」
「分かった、もういい。俺は建物を修理しに行ってくる。悪いけど、皆を……話し合いに参加できる体力の残ってる奴だけでいいから、リビングに集めておいてくれ」
「ああ」
今は、いつも以上に人に顔を向けて話すことができない。早足でシュウの横を通り過ぎ、玄関に隠しておいたL.A-21を取ってから三階へ向かう。
一番突き当りの部屋に真っ直ぐに向かい、ドアを開ける。本が散らばった、今の自分を表しているような部屋に、L.A-21を横たわらせた。
ドアを閉め、隣りの部屋へと向かう。自分の隣が安全だといって用意した、ハイデの部屋。ドアを開けると、見るも無残な姿となった室内が現れる。焼けてしまったハイデの屋敷も、壊れたベランダから見える。
【万物をつかさどる】
なにからも目を逸らしたくて、エディスは詠唱を始めた。
眠っている彼の手をとる。自分のものよりも小さい手を撫でる。ゆるく握っている手を解くと、歪に引き攣っている掌が見え、ドゥルースは眉をぎゅっと寄せた。
「ルシリア……ッ」
両手で握り、手を額に当てる。
「泣いてはるん?」
苦笑じみた声に、ドゥルースは頭を縦に動かす。すると、ルシリアは小さく笑った。
「お揃いや」
ルシリアはもう片方の手をのせてくる。掌のごわりとした肌の感触が痛々しい程に優しい。
「なにが?」
「背中」
顔を上げると、ルシリアは「アンタにもあるやろ?」と笑いかけてきた。
「大分、魔力回復したさかい、もう平気や、。涙拭いたるから、起こしてーな」
「まだ寝てなさい」
「……これから話し合うんやろ?」
「俺が出ておく」
柔らかいベッドの上に手を置き、頭を撫でる。枕の横に置いておいた青いチョーカーを手に取り、ルシリアに見せる。
「今日はつけないでおこうか?」
小首を傾げて訊くと、ルシリアはつけて、と言った。それを受けて、ドゥルースはルシリアの後頭部を持ち上げてチョーカーを通し、前で軽い音をさせて留める。
そうすると、部屋の中の魔力密度が一気に下がる。ルシリアは息をついて、目を閉じる。彼は、魔力の量が異常に多いために、適合する魔法が禁術しかあてはまらない。ドゥルースと同じ、魔力異常者だ。魔力異常者は滅多なことでは現れず、その存在を知る者はあまりいない。
「明日、起きたら話すよ」
清潔な布団をかけ直すと、ルシリアははい、と返事をした。
「……俺は、いつでもどこでもついていきますよって」
部屋の電気を消してドアノブを掴んだドゥルースは、ルシリアにそう声をかけられた。
「せやから、あんまり悩まんで。やりたいようにやってくれはったらええです」
「……ありがとう、ルシリア」
「おい、アイツはどうだ」
「アイツとは?」
シュウが入ると、自分の弟が冷やかな目線を送ってきた。「アイツはアイツだ」などといえる雰囲気ではなく、
「エドワード」
と言い直した。
「魔法による精神攻撃、リスティーさんによる腹部への強打。肉体治療はできましたし、惑わせの魔法とやらの効果もそんなにはなかったので、平気です。明日にもなれば起きれるでしょう」
「そ、そうか」
「それよりも、室内には入ってこないで下さいよ」
「なにもしねーよ」
ベッドの横に椅子を置き、見守る弟に、シュウは辟易とした顔をする。
「彼は他人が自分の領域に入ることを苦手としています。侵入しないで頂けますか」
「エディスのこと、そんなに怒ってんのか」
「後、僕が嫌なんです。彼の寝顔を人に見せたくない」
シトラスは度肝を抜かれたような兄の顔を見て、硬い表情を崩した。
「ここから先は下で話しましょう。美味しいコーヒーを淹れますよ」
「コーヒーか」
「ホットミルクにしましょうか?」
「そうしてくれ」
部屋を出て、連れ添って廊下を進んでいく。隣を歩く弟に、シュウは目を瞬かせる。
「背、伸びたか?」
「それなりには伸びましたよ。あなたは相変わらずですね」
トゲトゲとした物言いに、内心面白くないと思いながらもシュウはそうか、と返す。
「相変わらず、人の気持ちを考えない……ひどい人だ」
その言葉にシュウは立ち止まり、弟を見つめた。
「どういうことだ」
弟は足を止め、兄の方を振り向く。口に皮肉げな微笑を携えている。
「どうもこうも、そのままの通りですよ」
それきり、説明不要というように階段を一人で下りていった。