赤紫の悪魔と真実の願いを
「よくヒールで走ることができるな……」
「大丈夫?」
最初から全速力でないとついていくことができない。額から顎までを伝う汗を手の甲で拭いながら、肘に手をつく。すると、カロルがハンドタオルを差し出してきた。
「リスティーの居場所ならいつでも分かるから。ゆっくり行こうよ」
背負っていたリュックサックを下し、その中からペットボトルを取り出したカロルは、それもドゥルースに差し出してきた。
「ありがとう」
受け取り、蓋を開けて中の水をあおるようにして飲む。
「君は?」
全く汗をかいていなどころか、息を乱してもいないカロルをドゥルースは見上げた。
「僕はカロル。リスティーが作ったアンドロイドだよ」
「アンドロイド……!?」
うん、と頷くカロルを、ドゥルースは凝視した。にっこりと、あまりにも人間らしすぎる笑顔をするカロルに、どうしても首を傾けてしまう。
「感情記憶媒体を持った、世界でたった一つのアンドロイドなんだ」
くるりと一回転をしたカロルは、ピースサインまでしてくる。
「そ、そうなんだ……」
茫然と見上げるドゥルースに、凄いでしょっと自慢げな顔までする。
「じゃ、そろそろ行こうか」
「ああ、そうだね」
手を握って、自分をリスティーの元に連れて行こうとするアンドロイド。
「ずっとずっと、待たせてごめんね」
その姿に、一番大切な人の姿が重なり、ドゥルースは涙ぐんだ。そうして、勝手に許されたような気分に浸っていた。
「どいつもこいつも、本っ当にふざけんじゃないわよ!」
リスティーの怒鳴り声が聞こえ、ドゥルースはやっとついた、と息を漏らした。駅からエディスの家がある高級~中級住宅街の近くまでは約三十分程ある。その間、自分に合わせてくれてはいたが、疲れを知らないアンドロイドの後ろを走り続けていたドゥルースは疲れていた。
「リスティー、落ち着くッスよ!」
「ジェー君は黙ってて!」
眠たげな顔をしている少年がなだめようとしていたが、効果はないようだ。
「リスティー! 来たよー!」
手を大きく振るカロルの後ろから囲いの中に入る。すると、異様な光景が目に入ってきた。仁王立ちするリスティーと、その前に正座する二人の男。そして、その横で苦笑する二人の少年。
「エ、エディー……」
声をかけられたエディスは振り向いた。だが、今までに見たことのないような表情をしている。無だった。無垢ではなく、そこには何もなかった。
「アンタも軍平気開発部の人間なら、人の作った武器を粗雑に扱わないの!」
怒鳴るリスティーの横で、エディスとドゥルースは見つめ合う。
「エディス・ディスパニ・エンパイア」
やがて、ドゥルースの方がエディスに向かって歩き始めた。胡乱げな様子でそれを見つめるエディスは、なんだ、と呟く。ドゥルースは、銀色の髪の少年を見下ろした。
「なにか、違うとは思っていたんだ。けれど、それは君が成長したからなんだと思っていた。……そんな簡単なことじゃなかったんだね」 昔、どこまでも澄んでいたように見えていた目。だが、その青い目は、澄んでいたわけではなかった。濁ったものが奥に落ちていった、上辺だけの美しさだ。
「君は、俺との過去を切り離したんだろう?」
伸ばしても取らなかった手。嫌だと喚く口。それらは、数年の内に変わったんじゃない。人自体が、違ってしまっていた。
「そうだ」
もう、あの小さな子どもは、この銀色の少年の中には存在していない。俺の、俺が何年もかけて捜した少年は、その本人の手によって殺されてしまった。
「けれど、アンタと暮らした日々の記憶はある」
ドゥルースの喉の奥で、言い表せない感情が湧きあがる。
「感情の伴わない記憶なんて、ただの記録でしかないだろ!!」
喉が痛む程の声で叫び、左頬を打つ。誰かの息を呑むが聞こえたが、気にせずもう片方の頬も裏手で打とうとした。
「なら、来るかどうかも分からないアンタを泣いて待てって言うのか! あん時の俺は、アンタと一緒に死にたかったのに。それさえさせてくれなかったくせに!」
だが、その手をエディスは叩き返した。
「あの日来た反軍の奴らは俺が殺した! その後、フィンティア家を隅から隅まで探したけれど、お前はどこにもいなかった! お前は一体なにを守るために俺を一人にしたんだよ……!」
「俺は……っ」
ドゥルースは、エディスから身を反らした。
「俺は、すぐに家を出てエディーの後を追ったんだ」
「守りたかったのは、自分か」
「違う!」
「なら、どうして自分が反軍の長だと偽るようなことをした。お前はなにがしたくて、軍の敵になった。反軍をつぶすためだけなら、軍に入った方がやりやすかったんじゃないか。家の再興をなぜしようとしなかった?」
「全て、全て壊したかったんだ。エディーと一緒にいるために」
「俺といるために?」
エディスは嘲笑った。それを、信じられないという風な顔をして見ていたドゥルースは、そうだ……と力なく頭を動かす。
「なら、どうして俺に自分のやったことを押し付けたんだ」
「自分のやったこと?」
「リスティーの親父さんを殺したことに決まってるだろ。お前は、あの時には俺を見つけてたんだろ。わざわざそっくりなマントを着てくれていたしな」
フレイアム家の近くで肩をぶつけた、黒いマントの男。エディスには、あれが偶然だとは思っていなかった。
「お前はリスティーの親父さんを殺して、その罪をなすりつけた。反軍と戦闘がある度に俺が出てくる理由が今の今まで分からなかった、知らなかったなんて馬鹿げたこと、言わないよな?」
あれは、故意だ。リスティーの言ったように、次の反軍の長になりたい奴のしわざかとも考えたが、それ以上にミシアの手の者がやったことなのではないかとエディスは考えていた。
「俺は、君をはめるつもりなんて」
「俺も、お前を忘れたいわけじゃない」
許す、許さないという言葉は思い浮かんでこなかった。ただ、どうしてあの優しいドゥルースが人を殺さなければいけないのか、どこに行ってしまったのかが分からなかった。喉に刺さった魚の骨のように、それがずっとエディスの心に突っかかっていた。
「自分に罪を押し付けるような奴でも、愛していたかったんだ」
細く滑らかな左手で、エディスはドゥルースの輪郭をなぞった。
「俺の中の夕陽は、褪せさせたくなかった」
その手が、首に移動する。ただあてられているだけの手が、いつ力を込めるのかと、傍にいるカロルはひやりとする。
「けど、テメエの罪くらい、テメエで持てよ。俺はずっといるわけじゃねえんだから」
「けれど、それでも」
エディスの頬を、ドゥルースが撫でる。その手に目をやったエディスに、ドゥルースは眉を下げて口に笑みを浮かべさせた。
「俺は、君の味方だ」
自分の首にあてられているエディスの手をとって、甲に唇を当てる。エディスは目を大きく開いて、たじろいだ。
「し、知ってるよ。……そんなことくらい」
かつて、自分の弟になった人物に訊かれて、答えたことがある。憎しみはどんな気持ちかと。憎しみは愛と同じ、人に焦がれる気持ちだとその時の俺は言った。
誰よりも人を憎んでいるのは、きっと俺だ。なにもかもが憎くて憎くて仕方がない。こんな風に生きることにならなければ、普通の人生を送れれば。……いや、生まれていなければ、苦しむことも、憎むこともなかった。
幸せそうに、自分勝手に、人に愛していると言えるような奴が、憎い。
重い。内臓が引きずり下されるかと思うくらいに、重い。愛してると、憎い。二つの相反する想いを抱えて生きていくなんてことは重い。
「許す、許さないもない。愛してるから、いいんだ」
けれど、この人は。俺の弱さを愛してくれるこの人は、たとえ重くても愛していたい。憎い時もある。それでも空を見れば夕焼けは息をのむくらいに綺麗で、その度に憎い気持ちが流れていった。
「俺の中に残った記憶がいうんだ。アンタを愛してるって。好きで好きでしょうがないって。だから、だから……っ、いいんだ!」
青い瞳が揺れる。今にも目から零れそうな涙を、ドゥルースは指で拭う。少年のあだ名を囁きながら、細い体を抱きしめた。すると、その背中になにかがあたってきた。ドゥルースが何かと思って後ろを見ると、金髪が見える。
「……え、っと」
顔を上げたカロルは、目を吊り上げて頬を膨らませている。そっちばっかりズルい――そんな声が聞こえてきそうな顔だった。
「いいじゃない、どっちもエディスなんだから」
その様子を見ていたリスティーが、いとも簡単なことのように言い切る。
「記録は感情を伴うわ。なんの感情もない記憶は脳に記録されない。それに、機械にだって心が宿るのよ」
腰に手を当て、顎をツンと上向けたリスティーを見て、エディスは少し噴きだした。呆然としているドゥルースの腕の中から出て、リスティーのところまで走っていく。そのままの勢いでリスティーを抱きしめると、カロルがあっと声を出した。
「あー、やっぱお前いいなあ。大好きだ」
「ありがとう。あたしもヘンテコなアンタが大好きよ」
リスティーは、エディスを受け止めて笑った。
「ところでエディス」
「なんだ?」
肩を掴まれたエディスはほぼ目線の変わらないリスティーの顔を見る。
「勿論、こっちにいる間は泊めてくれるのよね?」
「それは無理だ」
「アンタ、ただであたしに抱きついたっての!?」
「料金いるのかよ!」
掴む場所を胸倉に変えたリスティーは、アンタが呼び出したんでしょうがとエディスを睨んだ。
「いいじゃない、地を這う者も一緒に住んでるんでしょう?」
「アイツはしばらくメンテナンスでいねえし、外見が幼児だろうが。お前とは違う」
「いーじゃない! アンタたちの中で誰かあたしを襲うような度胸のある奴いないでしょ?」
それはそうだが――という言葉が喉元まで出かけたが、エディスは首を横に振った。
「いるの!?」
「いない!」
「ならいいじゃない! それに、アーマーちゃんも今日からこっちにお泊りでしょ?」
「え!?」
「車じゃなくて汽車で向かいますって電話があったの。エド君と一緒なら豪華なんだろうなー。羨ましい」
顔の横で手を組むリスティーに、そういえば行きも汽車だったな、と昨日出ていったエドワードの様子を思い浮かべた。
「アーマーは汽車が苦手じゃなかったか? ゆっくり移動する馬車なら平気だと前に言っていたはずだが……」
「大丈夫か?」
とアーマーの兄代わりでもしたいのか、シルベリアとシュウが口々に言う。
「エドは酔うようなモンに乗せたりしねーから、大丈夫だ」
随分とここ一年辺りで成長したらしい少年への信頼を見せるエディスに、シュウは眉をさらに寄せた。それを横で見ていたシルベリアは、さりげなく、強かにシュウの左足を踏んづける。 「いってー! 何すんだ!」
「あんまり眉間に皺を寄せると、戻らなくなるぞ」
おまけのように、眉間を指で伸ばしてやる。シュウは顔が近い! とシルベリアの体を押した。
そのやりとりに失笑したリスティーは、自分と同じように二人の方を見ているエディスの腕を引いた。
エディスが振り返ると、
「もう二度と失くさないでよ」
そう言って、胸にL.A-21を押し付けた。
「悪い」
「じゃなくて」
受け取ったエディスにリスティーは顔を近づけ、少し下から見上げる。
「ありがとう」
「ん、よろしいっ!」
満足したらしいリスティーは、ぐっと腕を引っ張って伸びをした。そして、帰りましょうとエディスに笑いかけた。
「そうだな。……二人共、帰るぞ。お前らも泊まるだろ?」
「いや、俺は」
「アホか、お前んとこの階の廊下はなくなったっつってんだろ」
シュウは、げっと嫌そうな声をだし、頭を小刻みに動かす。
「じゃあ、行くぞ」
リスティーの後ろを付いていくカロルに腕を引っ張られたドゥルースが歩きだす。ジェネアスに背中を押されたシュウとジェネアスが騒ぎながらその後ろを付いていく。その様子を見守りながら、エディスは腕に抱えたL.A-21を柔らかい笑みで見下ろした。
「おかえり、グレイアス」