愛しい人よ
すぅ、すぅ、と息をするのにあわせて胸が上下する。生きている証だ。その体の上に影が落ちる。するりと大きな手が喉元を撫で、熱い額に手をあてる。熱が消え去っていないことを知ると、サイドボードに置いていた水で布を濡らし、絞ってから額の上にのせる。
「お前の方は全く似ていないんだな、ハイデ」
頬を撫で、布団を掛けなおし、肩の辺りを柔らかく叩く。
「父親と似た姿をした自分を恨んだか? 髪をアイツと同じ色に染めて」
背の半ばまである金髪を手に掬い取り、指で擦ってみる。しかし、そんなことをしても元の森の色は見ることができない。
「今いないアイツの分まで、俺がちゃんと守るからな」
そう囁きかけた瞬間、ハイデがぐわっとギールにつかみかかった。
「貴方は」
ギラギラと何かに取り憑かれたような顔で自分にしがみ付いてくる子ども。
「貴方は、母の……エディス・ティーンスの居場所を知っているんですか!?」
自分の実の弟の手によって、自由に外を歩くことさえも出来なくなった、子ども。自分の目の前から消えた母を捜し求める子ども。
「知っているなら、教えてください」
自分と、自分の愛している人との、子ども。
「ハイデ」
何も知らない方が幸せか、それとも知ったほうが幸せか。幸福の内に授かった我が子にとって、どちらの方がいいのか、選択を迫られた父は硬く目を閉じた。
雨の音が頭に響く。雨は嫌いだ。気温が下がるし、戦闘がやりにくくなる。
なにより、
「今日はやっぱり犬か」
呪いが発動しちまうのが苦痛だ。
「いつ入ってきた」
「五分程前に」
ベッドでシーツの中に潜り込んでいた自分の顔を覗きこんでくるエディスにシュウは顔を顰めた。
「気配を消して入ってくるな」
「お前が寝てただけだろ」
捕らえどころのない知り合いに目覚めの悪い、と毒づきながら体を起こすと、見慣れないトランクが目に入り、首を傾げた。
「エディス、お前なにしに来た」
「ああ、しばらくここに泊めてもらえないか?」
「なんでだよ」
すらすらと言葉が口から出ていき、つい流してしまいそうになったが、シュウは踏みとどまり、は? と口と目を丸くさせた。
「俺の部屋に?」
「そう」
「泊まる?」
「そう」
なにも理解できない、という様子でシュウは、ベッドに腰掛けるエディスを指差す。
「お前が?」
「うん」
にぱっと無邪気な笑顔をされ、シュウは声を出せなくなってしまう。するとエディスが急に不安そうに眉を下げた。
「ダメか? 掃除と洗濯するし、料理も。言われればなんだって……!」
「お――おい! ちょっと待て、なんで急に出てきたんだよ。一体何があった。アイツらにはちゃんと言って出てきたのか?」
状況を少しでも知ろうと肩を掴んで問うと、エディスは首を横に振る。
「なにも言ってきてない」
「それじゃダメだろ……。後でまた大変なことになるぞ」
「分かってる。けど」
今はあの家にいたくないんだ、と出された弱音にシュウは息を短く吸った。
「勝てるはずなんかないって、俺が誰よりも分かってた。でも、どっかでもしかしたら、って思ってたのもあったんだ」
何が言いたいのかよく掴めず、シュウは無言で続きを促した。
「ギールが俺の方を好きになってくれるかもって」
「なに……言ってんだよ」
ず、と鼻をすするのに、シュウはひどくうろたえた。今目の前の人物の口から発された言葉の内容が信じられなかったのだ。
「アイツはお前が好きだろ。あんなに愛してるっつってたじゃねえか。つうか、お前ら付き合ってんじゃあ」
「そう、見えたのか」
視線を落とし、膝に置いた手を握り締める。
「ずっと昔に教えただろ。俺自身はエディスじゃないって」
「は? じゃあ」
「そ。アイツに愛してるって言ってもらえんのは俺じゃなくって本物のエディスさんの方だ」
ぺたん、と膨らみのない胸に手をつき、ツキンと痛みを堪える顔をする。
「俺は女じゃないから完璧なエディスにはなることができないのに、あんなに響く声で言いやがるもんだから、困っちまうんだよな」
いつかは自分の方を好きになってくれるんじゃないかと、期待してしまう。酷なことをしてくる男だ。
「お前、以外と馬鹿だから気付いてねえのかもしんねえけど、ギールが」
神様はそれに嘆き
白のお山にこもり
天使を待つことにしました
「ハートを探す魔物だ」
お姫様は赤のドレスを引きずって
カラカラ鳴らして引きずって
ガシャンと波打った
魔物はボロボロとなりながら
歩いて歩いてハートを探した
「んな、馬鹿な」
「ことがあるんだ」
「じゃあ、お前」
「そうだ。俺がアイツに惚れたりしちゃいけない」
俺の弱点になる、と前が身をぐしゃりと手の中で丸める。
「だから、なんとしてでもアイツを嫌いになんなきゃなんねえ」
ぐっと掴んだままの肩を引き寄せ、唇と唇をぶつけると、エディスはきょんと目を丸くさせた。
「だったら、アイツじゃなくて俺にしろ。俺ならお前を幸せにしてやれるから」
「シュウ……」
自分を見つめる潤んだ目がきゅっと吊り上がったかと思うと、腹に強い衝撃がき、シュウは背中からベッドの下へと落ちた。
「なにすんだ変態」
二回目だぞ、と口をゴシゴシと手の甲で拭かれ、少々悲しくなってくる。
「あのなあ、俺は別に幸せにしてほしいとか、思っちゃいねーんだよ。俺をそんな目で見てくんな」
逆に苦しーんだよ、という声がベッド下まで転がってき、シュウは言葉すら止められてしまう。
「アイツ以外の奴にそんなこと言われても嬉しかねーんだよっ」
かああ……と赤くなっていく顔を腕で隠すのに、シュウは自分の顔を赤くさせた。こんなん相手しててオチないでいられるアイツって凄え。口に出したら「オチるか馬鹿! 人の話聞いてなかったのかよ!?」と怒鳴られるであろうことをシュウは頭の中に浮かべていた。
「好きになっていいのか?」
「ダメに決まってる」
ぷるぷると小さく頭を振るのがまた可愛くてシュウはつい手を出してしまう。
「でも好きになっちゃったんだな」
「……うん、どうしよう」
「今は考えんな。今日だけ泊まってっていいから」
「ありがと」
友人でもないが恋人でもない。しかし、永遠を誓う夫婦よりも深く切れない繋がりはお互いを支配し、慰めにも似た形として寄り添っていた。