白銀の少年と虐殺の約束を
「エディス様お帰りなさい!」
ふりふりのフリルがついたエプロン。柔らかそうな髪。真っ直ぐこっちに来るのは可愛いお嫁さんでもなく、また、メイドでもなかった。
「ああ、ただいま。シトラス」
「はい。お帰りなさいませ」
にこっと笑ったのは、男だ。ふわふわと柔らかそうな緑髪にくりっとした黒色の瞳が印象的な青年。
「おや? お客様ですか?」
「ああ。明日の仕事を一緒にやることになった、ギールだ」
「初めまして」
にっこりとギールが笑うと、シトラスも笑った。
「シトラス・ブラッドと申します。ギールさん、初めまして」
にこっと微笑む顔は、少しエディスよりも幼い印象を与える。
「え、ブラッド?」
「はい。ブラッドです」
くすりとシトラスが笑う。
「ブラッド家の、次男?」
「ええ。でも、今はエディス様の忠実な家政夫ですのでご安心を」
そうシトラスはくすりと笑みを浮かべた。
「そうなんだ」
すいっとギールはエディスの手を取る。
「エディス、俺はどこにいればいい?」
「どこでも、使えばいい」
「って言われてもねえ。……んー、じゃあ、まあ、リビングのソファーでも借りようかな」
言うと、エディスにむっとした顔をされた。
「ちゃんと寝ろ」
「うーん、でもねえ」
「すぐに用意致しますね」
さっとシトラスが二人を避けるように近くの部屋に入って行こうとする。
「あ、シトラスッ」
「はい。なんでしょうか」
シトラスが笑顔のまま、振り返る。
「い、いや、何でもない」
「そうですか」
ぎゅっと、エディスが唇を噛んだ。ギールは、それを緑色の瞳で見つめていた。
翌日――
『第一突撃班は所定位置にて待機せよ――繰り返す、第一――』
何気ない町。子供が公園や野原で遊ぶ、どこにでもあるような町。それが、ただ軍に刃向かうものだから、王に牙を向けるから。そんな理由で破壊される。どうして、人間はそんなに愚かしいものなのだろう。
「エディス、俺らはどうすんの?」
「んー? あー、俺らは他の奴らとは別行動させてもらうよ」
けろっとした顔で言うエディス。
「それはいいの?」
「いい。だって指揮取ってんのはアグリツっつー大佐みてえだし。俺は別行動させてもらう。まぁ、ヤバくなったら助けてやらない事も無いけどな」
「ふーん。で、俺はエディーに付いていっていいのかな?」
「一緒に来たかったら来い。守ってやる」
にやりと笑うエディス。
「ま、こっちのが安全だと思うけどな」
「よし、行くか」
「もうか? まだあっちは作戦開始してないぞ?」
「同時攻撃なんかするか。別行動って言っただろ」
「あれ、おとりにするんだ」
苦笑いをするギール。
「わ、悪かったな!」
かあっとエディスの顔が赤くなった。
「まあ、いいんじゃない。ほら、行こう」
「お、押すな!」
黒板を爪で引っかくような音が先ほどから永遠耳に入ってくる。
「ねえ、まだ? 頭、おかしくなりそうなんだけど……」
「まだだ! この音が嫌なのは分かるが我慢してくれ! この道がコンクリートなのを恨んでくれよ……俺だって辛いんだよ!」
紋章を描き始めて2時間。町全体を回らなければならないのでかなりの時間と体力がいる。さらに、たまーに襲い掛かってくる町人がいるので倍の時間になる。これでもかなりの速度で走っているはずだ。
「後もう少しのはずだ」
エディスも息が上がっている。
「そろそろあいつらに避難命令を出した方がいいか?」
「そうだな、俺が言うよ」
カチャっとエディスの腰にかけてあるトランシーバーを手にとって報告する。トランシーバーの向こうからは嫌そうな声が聞こえた。結局は手柄を取られる、などという馬鹿げた考え方をしているのだろう。
「よし、繋がった! いくぞー!!」
【聖天のラグリドリス
曇天のドゥーラグオウス
涙天のシューラアッガーシャン
雷天のイシュトギルス
今この紋章を描きし者にその力を渡し、その力を振るえ!
我 紋章術師エディス・ディスパニ・エンパイアの名の元に
暴走せよ 荒れ狂え 天の魔人達よ!】
カッと眩し過ぎる光に、エディスは思わず目をつぶる。その間に、一つの街が跡形も無く消えていくことを頭の中で何度も反芻させながら――。
目を開けた時、街は跡形もなく消えていた。草の一本すらない。ギールはその光景に、魔法の威力に、息を呑んだ。
「任務完了だ」
「お疲れ、エディー」
「だからエディーって呼ぶなよ!」
と二人がとぼけたことを言い合った瞬間、その声は聞こえた。
「あれえ? みんなどこ……?」
それは、エディス達から少し離れた場所に立ていた少女の口から離れた言葉だった。エディスは、腰の剣に手を回すことを、躊躇った。
村人一人たりとも逃すな。女子供ももちろんだ!というミシアの声が頭の中で響く。
だが、エディスは動けなかった。子どもを目の前にして、なにもできなくなっていた。だが、子どもはエディスを見つけ、無垢な目で見上げてきた。
「お兄ちゃん、だあれ?」
「お、俺は……」
答えるのを躊躇っていた時、エディスの横を通った者が、血に塗れた剣で少女の首を切り落とした。
その者は、目の前の惨状を見て白い肌をさらに白くさせたエディスの肩を叩き、耳元で囁きかける。
「困りますな、しっかりしてもらわねば。……反軍殺しの異名がある貴殿に躊躇われては、他の者も人殺しに躊躇ってしまい命を落としてしまう」
アグリツ大佐は、フンと鼻を鳴らして後方で待たせている部下の元へと歩いていく。部下は、エディスを顔をしかめて見ていた。
「エディー、大丈夫?」
ギールが肩を叩くと、エディスは血の気のない顔で振り向き、 「ああ、大丈夫だ」
と言った。
だが、肩を小刻みに揺らしており、どう見ても大丈夫ではない様子だ。
「エディー」
ギールは、エディスの肩を掴み、自分の胸に押し付ける。
「泣いていいよ。誰も見てないからさ」
そう優しく声をかけると、こうエディスは言い返してきた。
「泣くなんてこと、とうの昔にやめた」と。
「そ、っか」
背伸びをして、弱さを見せない少年を、ギールはずっと胸の中に抱いていた。