朝比奈裕一の場合 プロローグ
柾木譲司編でも登場した、朝比奈の物語です。
腹黒たらしの恋物語をお楽しみください。
話は譲司と紫が出会う前年の初夏まで遡る。
当時文学部4年だった朝比奈は、卒論と院試の準備で忙しい日々を送っていた。授業の合間に隠れて昼寝をするのが密かな息抜きだった。
僕は警戒心が人一倍強い。一目に触れそう所では絶対寝ない。
隠れていても、学校だと誰かに見られるかもしれない、と思うと深く眠る事もできずに、普段はうたた寝する程度だった。
だがその日は絶対人が来ないであろう場所だったので、油断してだいぶ熟睡していたようだ。
床にバックを置いて枕にし、眼鏡はつけたまま、上着を頭にかけて珍しく深く眠りについていた。だから夢の世界にいた僕を、現実に引き戻す者がいるなど想像もしていなかった。
そう僕は油断していたのだ。
「あ~さ~ひ~な! なんてところで寝てるのよ」
そう大声で叫びながら、彼女は上着を勢いよくむしりとった。突然叩き起こされ、寝ぼけていた僕は、普段なら絶対しないようなミスをした。
「……いい眺め……」
床に寝転がってる僕の真横で、美女が仁王立ちで立っている。彼女は今日膝丈のフレアスカートを履いていて、僕の視点から中がよく見えた。
ほど良く脂肪と筋肉のついた、すらりと伸びた長い脚は、見とれるぐらいに綺麗だった。しかし本音を口に出してはいけない相手の前でまずい事を言ってしまった。
僕の視線と言葉で気づいた彼女は顔を真っ赤にした。
しかしそこから先が彼女が普通の女の子ではない所だった。
「きゃー! 変態」
そう言って、彼女は足を振り上げ、思いっきり僕の腹を踏みつけた。
「ゲホッ」
思わず腹を抱えて起き上がる僕。彼女もしゃがみこみ、僕から奪った上着で足を覆った。
僕の顔近くに彼女の顔があった。はっきり言って美人だ。
長いまつげに縁取られたくっきりとした二重の瞳は、意思の強さを表すように輝いている。ふっくらとしていて形の良い唇は、口紅を塗らなくてもいいような綺麗なピンク色。美しい顔立ち以上に、健康的で内側から活力がにじみ出ているような彼女の力強さが、彼女の魅力を一層際立てている。
出る所は出て、引っ込む所は引っ込んでいる、抜群のスタイルと魅力的な脚線美。頭もよく優等生だ。大学内でもその美貌から高嶺の花として有名だった。
そんな彼女は経済学部4年で、僕とは学部が違うのに、4年間不思議な腐れ縁で繋がっている。
色んな女の子に手を出してきた僕だが、彼女に手を出そうと思った事は一度もない。
第1に彼女には隙がなさすぎる。
僕は客観的に見て、特別かっこいいわけではなかった。そんな僕がモテるのは、僕が今時の草食系男子風を装った、肉食男子だからだ。
僕は姉や妹に囲まれ、小さな頃から女の子がいる事が当たり前な環境に育ったせいか、女の子に警戒心を持たせずに親しくなるのは得意だった。
普通の女友達はたくさんいて「朝比奈っていいひとで終わるタイプだよね~」などとよく言われる。
しかし僕はいいひとで終わる男ではない。
女の子だってたまには弱る時もある。失恋した、友達と喧嘩した、バイトで失敗したなどささいな事でも落ち込むものだ。
それを僕は見逃さない、弱った彼女達を慰める振りをして近づき、そこにつけこむ。
たいていの女の子はこれで美味くいくのだ。
しかし目の前の彼女には隙がなかった。僕は勝ち目がない勝負はしない。
それに……。
彼女は僕が見ている事に気づいたようだ。
「顔近い! 何見てるのよ。このたらし!」
そう言いながら、僕の頬に肘鉄がとんだ。
第2に、そう彼女はひどく暴力的で危険だった。