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難攻不落彼女  作者: 斉凛
最終章
170/203

凍える男2

2月1日 am11:00 朝比奈


 先ほどと同じ様にベンチに座り、だるく重い体を背もたれに預ける。眠気がまとわりついて離れない。そういえばもう2日近く寝ていない。眠くなるはずだ。しかしうとうととするばかりで、眠りにつく事は出来なかった。一昨日から睡眠薬も抗うつ薬も飲んでいないから、薬の副作用で不眠がむごくなっているのかもしれない。

 このだるさは精神的な病気のせいなのか、風邪を引いたのかわからない。このまま死が訪れるのを待っているつもりだったのだが、余計な邪魔が入った。


「いつまで馬鹿みたいに、座っているつもりですか?」

「……」


「いつからここにいるんですか?ベンチの長時間占拠は他の方の迷惑ですよ」

「……」


 不愉快な笑みで挑発する嫌な女が隣にいる。田辺紫。わかっている、ただ嫌がらせしたいがためだけに、隣に座っているのだ。相手にするな、眉ひとつ動かしてたまるか。我慢大会の様な苦行が地味につらい。

 僕がろくに反応を返さないのが癪に障ったのか、田辺はいきなり僕の顔に手を伸ばしてきた。


「本当に馬鹿ですね。真冬にこんな吹きっ晒しのベンチに座り続けて、風邪ですか」


 悔しい事に、田辺の冷たい手が火照った額に心地よい。体調の悪さがばれてしまったら、今更意地を張っても仕方がない。


「いいんだよ。どうせ行く所なんてどこにもない。このままのたれ死ぬんだ」

「逃げ出したんですね。私もそうです。だからどこへもいけない」


 まさか田辺が同意するとは思わなかった。さっきの思いつめた表情、最近のマスコミの田辺紫バッシング、何かあったのだろうとは思ったが、こいつは何から逃げてきたのだろうか?

 この性悪女を狙う趣味の悪い馬鹿な後輩がいたはずだが、あいつは今どうしているのだろうか?連絡してやった方がいいのかもしれないが、今携帯の電源を入れればGPSで追跡されるかもしれない。たぶん今頃姉さんにも連絡が入ってる。あの人なら手段を選ばず追ってくるだろう。柾木、悪いがもうおまえの味方はしてやれないよ。

 熱と眠気で意識が朦朧とする中、幻聴かと疑うような声が聞こえてきた。



「どうせ逃げるなら一緒に逃げませんか?」


 突然の田辺の発言の真意がわからない。冗談にしては言葉の響きがやけに重い。


「悪い冗談だな」

「冗談じゃないですよ」


「何が魂胆だ?」

「簡単な事です。私お金ないんで遠出も泊まる事もできないんです。金づるになってください」


「誰がおまえなんかに貢ぐか」

「自分の力で動けないぐらいに弱ってるくせに。介護してあげますから、大人しく金だしてください」


「断る。僕はここでのたれ死ぬ。ほっとけ」

「ほっときません。お金出してくれないなら、病人がいるって駅員に言いましょうか?それとも警察に自殺志願者として通報しましょうか?」


 本当に容赦なく人の弱みを利用する女だ。僕は残された力を総動員して睨んだ。


「警察に関わって困るのはおまえもだろう」

「私はまだ逃げる体力はありますから。ここで軍資金がなくて身動きとれなければ、どうせ捕まるだけだし」


「誰に捕まるんだ?……ああ、とうとう犯罪でも犯したか。馬鹿なやつだな」

「私が警察に追われるような、間の抜けた事すると思います?やるなら完全犯罪ですよ」


 公衆の面前で堂々と宣言できるような事ではないと思うが……。しかし面倒な相手に捕まった。戦うだけの気力も体力もない分、こちらは不利だ。


「責任とって下さい」


 涙目でそんな事まで言いだし始めた。女の涙まで使って金を脅し取ろうとは!周りの通行人の視線が痛い。ああ、うざい。最高に嫌な女だ。何が悲しくてこんな嫌な女と一緒に逃げなきゃいけないんだ。


「責任とらなきゃいけない様な事は何もしてないだろう」

「さっき止めたじゃないですか。お金も行く所もないのに、死ぬ事さえ止められたら、どうしろって言うんですか」


「拾ったら最後まで面倒みろって言う事か?おまえは犬か猫か」

「要介護老人の介護犬になって差し上げましょうか?いいから早く金出してください。本気で泣きますよ」


 なりふり構わぬ全力の恐喝に、僕はもう抵抗する気力が尽きてきた。上条から逃げられるならそれでいいと思っていたのだから、もうどうとでもなれ。僕は自棄になっていた。


「わかった。金はだすから、惨めな物乞いは辞めろ」

「はいはい、負け犬の遠吠えですね。そうやって初めから大人しく頷いていればずっと楽だったのに」


 いちいち感に触る言い方しかできないやつだ。もうちょっと可愛げのある反応できないのか!……いや、可愛げのある田辺というのを想像しただけで気持ちが悪いな。

 かなり前向きな考え方をするなら、遠慮や気遣いをいっさいせずにこき使える生意気なパシリと思って我慢するか。


「それで、どこに行くんだ?」

「そうですね。遠ければ遠い方がいいですね。なんか嫌な予感がするんです。あの変態ストーカー馬鹿男なら、どこへでも追ってきそうな気がして」


 同じく、上条と姉さんが組んだなら、全力で追ってきそうな気がした。ちょっと遠くへ行ったどころじゃ簡単に捕まりそうだ。


「中国にでも行くか?英語が壊滅的なおまえも、中国語なら日常会話程度できるんだろう」

「無理。パスポートがありません」


「……使えねー」

「海外旅行が当たり前みたいに言わないでください。この資本主義のブタ!!」


「自分で稼いだ金使って何が悪い。悔しかったらとっとと稼げ」

「……悔しい……。印税さえ入ってくれば……。これは借りですからね、後で返しますから」


「利子付けて返せよ。トイチにしておいてやる」

「トイチって何ですか?」


「10日で1割の利子、つまり高利貸しだ。それぐらい覚えておけよ」

「悪徳金貸しめ。ベニスの商人みたいに、いつか痛い目にあいますよ」


 無駄口だけで体力が失われて行きそうで、もったいない気がしてきた。この女へのイライラや憎しみでいっぱいいっぱいで、下手に落ち込まずにすんでるのだけが救いだ。



「じゃあ、どこに行くんだ」

「逃亡といえば北に逃げるのが定番でしょうか」


「風邪引いている人間に、冬の北国に行けと言うのか?死ぬぞ。金づるがいなくなったら困るのはおまえだろう」

「本当に文句の多い病人ですね。今流行りの怪物患者モンスターペイシェントですね」


「おまえは医者じゃないだろう」

「臨時看護師になってさしあげましょうか?」


「断る」


 行き先一つ決めるだけでも相当に困難だった。ただでさえすぐ喧嘩になる相手な上に、お互い逃げたいという目的は一致していても、どこへ?という根本的な事が決まってないのだ。だからといって二人仲よく死のうという事には絶対ならない。まるで恋人同士の心中みたいな事、何が悲しくてこの女としなきゃならないんだ。それにこの女と一緒だと確実に地獄行きだろう。

 いっその事、どうにかして先に死んで、死体の処理をこの女に押し付けられないものか?


「今抜け駆けしようとか、考えませんでしたか?死ぬなら私の方が先ですからね」


 こういう感だけは妙に鋭い。似た者同士だから、考える事まで一緒なのか……。そう簡単に死なせてくれないようだ。


「言っておくが、そろそろ死のうと思わなくても、体力的に危ないぞ。先に死なれたくないなら、早く行き先決めろ」

「そんな状態じゃあ、長距離の移動は耐えられそうにありませんね。ここから楽に移動できそうな場所……」


 そこで田辺は押し黙って、神妙な顔をした。今の僕には、この女が黙っていてくれるだけで助かる。



「箱根はどうですか?品川から電車ありますよね」


 箱根と聞いて、思わず固く目を閉じた。本当なら上条と今頃温泉にでも行ってるはずだった。箱根はその候補地だ。そこに上条ではなく、田辺と行くのか?ずいぶんと皮肉な運命だ。

 しかしもうこれ以上考えるのも面倒だ。それもいいか……と投げ出した。僕は財布から万札を1枚とICカードを取り出して、田辺に渡した。


「チャージしてこい。小田原までの運賃があればいい。それと何か飲み物もついでに買ってこい」

「命令しないでください。それと戻ってくるまでの間に死んでたら、財布から有り金巻き上げた上で、死に顔に油性ペンでいたずら書きしますからね。覚悟して死んでください」


 子供じみた脅し文句だ。僕は返事をする事なく、またまどろみ始めた。この後ここから移動しなければいけない。今のうちに少し休んで体力を回復させなければ。


 田辺がいなくなって、すぐにひどく気分が落ち込んだ。憎まれ口でも叩ける人間がいる間は気を張っていられたが、一人になると途端に孤独感に襲われて、苦しくてたまらない。眠りたいのに、悲しさや苦しさが体中を駆け巡り、とても眠れそうになかった。

 吐く息が白くなるほど寒いのに、体は熱を持ち、妙な汗が噴き出す。

 余計な事なんて考えたくない。上条の顔を思い出して、少しだけ幸せな気分になれたが、それはつかの間の事だった。きっと今頃怒っているか、泣いているか……そう考えるとすぐに苦しくなる。

 自分が情けなくて、不甲斐なくて、どこまででも落ちて行きそうな気分を紛らわせるために、眠る事を諦めた。


 箱根について宿探しなんてしている余裕もない。先に予約をしておこう。PDAを取り出して、ネットから予約状況を確認する。この時期の箱根はオフシーズン。今予約しても今日の宿などいくらでもある。観光ではないのだから、どこだってよかったはずなのに、気がつけば上条と行こうと思っていたホテルのサイトを見ていた。

 田辺と行くためにこんなホテル、金の無駄だな。そう思いつつも、結局そのホテルに予約を入れていた。


 上条と旅行に行った気分になって目を閉じれば、さっきよりは少し楽な気分でまどろむ事が出来た。それはほんの束の間の幸福でしかすぎなかったのだが。

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