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難攻不落彼女  作者: 斉凛
最終章
168/203

毒姫1

 紫


 茨姫という物語がある。私はあれに出てくる馬鹿な王子が嫌いだ。姫は魔女の呪いで眠っているのではない。自らの意志で城に閉じこもっているのだ。

 今で言う引きこもりだ。だが引きこもりの何が悪い。誰かに迷惑をかけているわけではない。一人の世界を楽しみ、永遠に終わらない、怠惰な眠りに浸っているだけだ。


 そんな事もわからない馬鹿な王子は、茨で体中傷だらけになって、勝手に寝室まで押しかけて


「あなたを助けにきました」


 なんて寝言をほざく。私なら「頼んでねーし。おとといきやがれ!」そう言って城の窓から突き落とすだろう。



 ああ……あの馬鹿王子、柾木先輩によく似てる。一人ぼっちじゃ可哀想……なーんて勝手な事言って、人の平穏な生活に土足で乗り込んでくる。

 大きなお世話だ。ほっとけ!と言ったところで話が通じない。いくら罵ろうが、傷つけようが、心を何度へし折っても、しぶとく復活する。

 ゴキブリ並みの生命力に虫酸が走る。



 そう思ってた。始めの頃は。


 それがいつからだろう?次やってきたらどうイジメてやろうかなどと思うようになってしまったのは……。

 何度その傲慢な鼻をへし折ろうが、しぶとく立ち直ってやってくるあの男が、気づけばそばにいるのがあたりまえになってしまった。どうして油断してしまったのだろう。どんなひどい仕打ちも耐えて、永遠に私のそばにいると幻想を抱くなんて。



 あのバカと出会う前から、エッセイストとして名を売って、両親に呼び掛ける計画を立てていた。時間はかかるかもしれない。茨の道を進む覚悟だってあったはず。なのに気がつけば、あのバカ王子がそばでバカみたいに笑ってると安心した。計画を辞めてしまおうかとまで思っていた。


 しかし去年の春、おばあちゃんの具合が悪くなった。いつも優しく微笑んでたおばあちゃん。病気になってもいつものひまわりの様な笑顔をしていて、それがかえって心が苦しい。そんなおばあちゃんが、ほんの少しだけその笑顔を曇らせて呟いた事がある。


「息子に会えずにこの世を去るのが心残りね」


 おばあちゃんに早くお父さんを会わせてあげたい。それに治療費もかかる。お金がいるのと時間がなくなって、手段を選んでいる場合ではなくなった。そして私は最終手段をとった。

 本当は葛城を利用したくはなかった。葛城には二度と会わずに、そっといい思い出化してしまっておきたかった。しかしそんな余裕もなくなった。短期間に、簡単にお金を手に入れて、有名になるには葛城を利用するのが近道だったからだ。


 わかっていても幾度となく迷った。葛城を傷つけるし、柾木先輩もきっと私に失望する。わかっていたはずなのに、私は甘かった。どれほどひどい事をしようとも、あのバカは私のそばにいるとどこか油断していた。

 柾木先輩が私を忘れると言った時、想像以上にショックが大きかった。先輩が帰って一人取り残された時、思わず涙が出るほど。もう私には家族しかいない。それでいい、予定どおりじゃないか。そう言い聞かせても涙が止まらなかった。



 そして本が発売されて数日後、1月31日の夜だった。私の携帯に父からの電話がかかってきた。ずっと長年待ち望んで、多くの人を傷つけて、多くの物を失って、やっと手に入れたはずの最後の希望。

 しかしその電話は私の最後の望みを断ち切って、絶望の海へ突き落した。


 父との7年ぶりの電話が終わった後、私は座りこんでしばらく茫然としていた。もう私には何一つ残されていない。柾木をバカだ、バカだと散々言ってきたが、一番バカなのは私じゃないか。家族にこだわって、追い求めてきた結果がこれだ。

 こんなバカな結果を手に入れるために、葛城や柾木を傷つけたのか?最後に会った時の苦しそうな表情の柾木を思い出して、私のも苦しくなった。いつもバカみたいに笑顔を浮かべていた男が、どれほど振りほどいてもしつこく付きまとってきた男が、苦しみながら別れを告げたあの表情。


 何度も、何度も携帯のアドレスを見て悩んだ。今更何を言うつもりだ?利用して、裏切って、傷つけて、また前みたいになんて虫がよすぎる。それでも最後に一度だけ声が聞きたかった。

 電話一つかける勇気もない弱い私は、お酒の勢いを借りることにした。コンビニで軽いお酒を買って公園でいっきに飲む。

 悲しい時、つらい時、お酒に逃げる人の気持ちがわかった。こんなに絶望的な状況が、笑えてしかたなくなってきた。


 酔いがさめる前にと、明け方の公園で柾木に電話した。電話する前は謝まろうと思っていた。許してもらえるとは思っていなかった。ただ謝って自分の気がすめばいいという、都合のいいわがままだ。しかし柾木の声が前と同じく優しかったから、私を心配する声に、罪悪感が込み上げてくる。

 この男は私が謝れば許してくれるだろう。でもそれで許されてしまったら、自分で自分が許せない。



 だから逃げ出した。柾木を突き放して、どこへ逃げるのかもわからず街をさまよった。電車に乗って、通勤ラッシュに押され、辿り着いたのが品川駅だった。

 なぜこんな時にこの場所なのか。我ながらバカだと思うが、昔両親と箱根旅行に行った時、この駅で駅弁を買って、電車に乗っていった。楽しかった過去の思い出が残る場所。今ならわかる。過去を美化して、現実から目をそらして、美しい思い出に酔っていただけだ。

 でも今の私にはその美化された思い出の欠片しか残っていない。だから私の居られる居場所はここしかなかったのだ。ここからどこにもいかれない。


 お金も引っ越しと治療費で使ってしまって、ほとんど手元に残っていない。バックの中に入っていたのは1冊の本。本には特に思い入れはない。ただその本にかけられたブックカバーとしおりを見るだけで、苦しくてでもあの時の嬉しかった気持ちがよみがえる。

 不器用なのに無理して作ったから、不格好で持ち歩くのが恥ずかしいようなブックカバー。しかしその世界でただ一つ、私のために作られたそれは、今の私にはまぶしすぎた。どうして私はあの時過去を諦めなかったんだろう。あの人の手をとって未来を選んでいたら、今こんな絶望を味わう事もなかったのに。



 一人でいいなんて嘘だ。今本当の一人になって、世界は絶望的に暗く苦痛に満ちた地獄のように感じる。どこへも行けない私は、駅の中をうろうろと歩きまわり、死の誘惑に誘われるように、ホームへと吸い込まれていった。

 人間関係から逃げ、社会から逃げ、今生きる事からも逃げようとしている。私は一度も本気で戦ってこなかった。だから罰を受けたんだ。でももういい、生きる事を辞めてしまえばこの苦しみも、孤独も何も感じなくなる。


 一歩また一歩と足を進めていく。もう少しでこの苦しみから解放される。すべては終わるのだ。今の私には足元しか見えていない。あとどれくらいで辿り着けるのか?


 そう思っていた時に、突然手首をつかまれて引きとめられた。私をこの世に留めようとする人間がまだいる、その事実に驚いた。私なんかを誰が?その時頭をよぎったのは柾木先輩の顔だった。バカみたいな笑顔でまた私を助けにきた?と期待を膨らませて見上げた。


 自分を引きとめた人間が思わぬ人物で、思わず舌打ちしてしまった。ちっ、こいつかよ。なぜよりにもよってこんな時に、この男と会わなければいけないのだ。


「僕の目の前で死ぬな。死ぬなら余所でやれ」

「人助けしたつもりですか?大きなお世話です。死に神が迎えにきたかと思いましたよ、朝比奈先輩」


 朝比奈らしくない親切心など、余計な御世話だ。私は敵意をこめて嘲笑った。しかし私の反撃を、気にも留めてないように、あっさり無視して朝比奈はベンチの方へ歩いて行った。

 なんなんだ、人を引きとめておいて、あっさり帰っていって。私は不機嫌になって、朝比奈の座ったベンチの隣に腰かけた。


「どこかいけよ。なんでここに座るんだ」

「ここは公共の施設なんですから、私が座ってもいいじゃないですか。嫌なら先輩がどこか行ったらどうです」


 朝比奈は不愉快そうに眉をひそめた。私はそれを見て自然と笑みがこぼれた。

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