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難攻不落彼女  作者: 斉凛
第8章 柾木譲司編3
144/203

離別

 紫の事を考えたくなかったが、翌日には『初蕾』が発売された。『田辺紫』がどんな人物か注目されていた。しかしマスコミの騒ぎ方から、葛城との仲を暴露する内容ではなかったようだ。


 俺も結局発売日に買った。本の帯には『今、一番会いたい人がいる』と言う思わせぶりな言葉が大きく書かれている。

 『初蕾』は『田辺紫』の回想録だった。両親の借金問題で家庭崩壊した過去。そこから人を信じられなくなった過程。

 葛城との出会いや手紙のやり取りで心を開きかけるも、信じ切れずに苦悩する姿。大衆が目にする本で、どこまで彼女が本音を語っているのかはわからない。しかし俺の信じていた紫の姿がそこにはあった。


 そして本の最後には行方知れずの両親の安否を気遣い、生きているなら帰ってきてほしいという願いが書かれていた。

 『今、一番会いたい人がいる』というキャッチコピーは葛城ではなく、両親の事だったのかとわかった。


 紫がこの本を売る事に固執した理由がわかる。多くの人間に読んでもらい、その中で両親に紫の気持ちが伝わる事を祈っている。

 どこにいるかわからない両親を探しに行くより、自分が目立つ所にいて呼びかけようとしているのだ。



 金のためだと言った彼女の言葉は嘘だった。それは俺や葛城を切り捨て、孤独になるためだ。もしこんなことを知ってしまったら俺達が苦しむと思ったんじゃないか、という彼女なりの気遣いだったのだろうか?

 例えどんな理由があったとしても、葛城を利用し、売名行為を行ったのは事実だ。しかし理由がこんな理由では同情心が湧いてしまう。彼女への未練がどうしても断ち切れなくなってしまう。



 俺は紫を忘れると決めたはずなのに、この本を読んでさらに迷ってしまった。彼女への想いがまだ俺の中でくすぶっていたようだ。

 数日後沢森から連絡があった。


『葛城先生、『初蕾』を読んで少し立ち直ったみたいだ。優しい方だから彼女の境遇に同情したんだろう』

『そうですか。よかったです』


『私は同情する気ないけどな。本当に『源氏の徒然日記』の印税を渡すなって言いたいくらいだ』

『『源氏の徒然日記』の印税ってまだ田辺さんにわたってないんですか? 発売したの去年の夏ですけど』


『本の印税って作家にわたるの遅いんだよ。どれだけ売れたかある程度確定してからだから』

『じゃあ今まで中沢出版から田辺さんに支払われた金額ってどれくらいなんですか?』


『連載の時の原稿料は、新人だしひと月2~3万って所ぐらいかな。書籍化にあたって契約料とかなかったし』


 それでは紫の手に入った額は50万もないだろう。引っ越しやお婆さんの治療費をだしたりとても出来る額じゃない。


『本を出す時、出版前に事前にお金もらったりできる場合あるんですか?』

『よっぽど売れる見込みがあれば、契約料という事で事前に払われるかもしれないね』


 俺はそこで一つの可能性に思い当った。紫はお婆さんの治療費を捻出するために、『初蕾』の出版を決意したのではないだろうか?


 俺は幸吉さんに治療費の額や、お婆さんの倒れた時期を確認した。するとやはり原稿料だけでは足りる額ではなく、倒れた時期も昨年の4月中旬だったそうだ。葛城が対談で紫に会ったのはその直後だ。

 契約料をもらうにはある程度売れる見込みが必要だ。そのために葛城を利用した。

 確かに金のためにあの本を書いたともいえる。しかしそれは追いつめられたがゆえの行動だったのか。


 しかし『源氏の徒然日記』の連載や書籍化はその前から決まっていた。彼女の計画はその前から始まっていたはずだ。では、お婆さんが倒れた事で計画を変更した?

 紫に聞いてみたいと思った。しかしあれほどきっぱりと決別したばかりに、会いに行く事は躊躇われた。



 俺が迷っている内に、時間は過ぎて行った。そして2月1日の明け方、紫から突然の連絡が訪れた。携帯の着信表示を見た時、間違いではないかと疑った。しかし確かに紫からの電話だった。


『どうしたの? 田辺さん』

『先輩。聞きたい事があるんです』


 紫のその声は、変に浮かれているような、呂律が回っていないような、おかしなものだった。もしかして酔ってる? 酔っぱらって勢いで俺に電話してきたとか?


『永遠の輝きってなんですか?』

『は? 何言ってるの?』


『9文字なんですけど』

『エンゲージリングとか?』


『ああそうか……。英語なんですね。『こんやくゆびわ』だと文字数あわないなと思ったんですよ。やっと解けたクロスワードパズル』


 クロスワードパズルの答えが聞きたいがために、わざわざ電話してきたというのか? この前あれだけ怒って、絶縁状を叩きつけられた相手に? 信じられずに呆れてしまった。


『でもバカですよね。この世に永遠なんてあるわけないのに。それを形にして相手を縛りつけようなんて』

『目に見えないものだから形が欲しいんじゃないかな?』


『そうですね。目に見えないからわかりやすい形が欲しくなる。家族なら安心なんて保障どこにもないのに……』


 浮かれたような声から一転、彼女の声が涙交じりの弱々しいものに変わった。このめまぐるしい情緒不安定さはおかしい。何かあったのか?


『田辺さん。どうしたの? 何かあったの?』

『……父から連絡がありました。両親とも生きてはいたみたいですね』


 皮肉げな話し方は、感動の再会とはいかなかったようだ。何があったのか? しかし深く聞いて追いつめてはいけないような、危うさが今の紫にはあった。


『話したくないなら無理に話さなくても……』

『先輩。以前私言いましたよね。家族以外の人間なんて信用できないって。今思えば甘かったなって思います。家族だからって信用できるわけなかったんです』


 紫の声が一度途絶えて、重い沈黙が訪れた。電話越しに聞こえる紫の呼吸は、震えていてすすり泣いているようにも聞こえた。言葉こそいつもの紫らしい毒のあるものだが、それもやけになって強がっているだけの様に聞こえる。

 今紫を一人にしておく事は非常にまずい気がした。


『田辺さん。今どこにいるの? 家? 今からそこに行くから待ってて……』

『この世に信用できる人間なんて存在しません』


 彼女は暗い声でそう言うと電話を一方的に切った。俺はすぐにかけなおそうとしたが、紫の電話は電源が切られたようでつながらなかった。



 俺は夢中で家を駆けだした。始発が走り始めたまだ薄暗い中。今の時間なら車が一番早い。制限時速ぎりぎりの速度でとばして、紫のマンションについた。

 オートロックの前で何度もチャイムを鳴らしたが、応答はなく家の中にまだいるのかわからなかった。


 管理人室に管理人がいたので、慌てて駆け込む。


「すみません。田辺紫さんの友人なんですが、さっき電話の途中で様子がおかしくなって、心配で見にきたんですが、部屋に入れてもらう事できませんか?」

「田辺さんは昨日の晩から帰ってきてませんよ」



 では先ほどの電話はどこからかけてきたのか? 紫は今どこにいるのか?

 その後沢森に協力してもらって捜索したが、手がかり一つ残されていなかった。沢森から庚洋社にも連絡を取ってもらったが、庚洋社もまた紫と連絡が取れなくなって困っていたようだ。



 こうして田辺紫は突然失踪した。彼女が思いつめて、早まったことをしていないように、祈るばかりだ。



第8部終了

続きが気になる所でこの章は終わります

次は上条彩花編2となり、その後この話の続きになります

お待たせしてすみません

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