恋人達のティータイム 思い出 紫の事情
「祖父母が紅茶専門店をやっていて、幼い私は両親に連れられてよく遊びに行ってました」
まるで人事の様に淡々と彼女は昔語りを始めた。
「祖母が好きなバラの鉢植えが窓際に飾られて、祖父はいつも美味しい紅茶とケーキ用意して迎えてくれました。家族5人揃ってのティータイムは私が一番好きな時間だった」
だった。すべては過去でいまだに消化できない思い出なのだ。
紫はそこで少し肩を震わせた。何かを言おうと口をあけて閉じる。そんな事を何度か繰り返した後、紫は深呼吸をしてやっと話を再開した。
「私が小6であの携帯を買ってもらった頃、父の『親友』という人がやってきました。その人は父に借金の連帯保証人になってほしいと頼んだんです」
俺は思わず息を飲んだ。その先に待ち受けるだろう事を思うだけで胸が痛んだ。
「借金はすぐ返せる宛がある、迷惑は絶対かけないなどと言われ、人のいい父は連帯保証人になってしまったんです……でも契約成立直後『自称親友』は姿を消しました。父に借金を押し付けて」
カップを口にあてて、初めて空な事に気がついた。冷静に受けとめる覚悟だったのに、自分はだいぶ動揺しているようだ。
「両親は貯金もすべて投げ打ち、祖父母も店を売って返済に当てました。それでもまだ借金は残ったんです。……借金の取り立て屋が家に押しかけてきて、すぐに近所にもしられるようになりました」
思わずそれ以上言わなくていいと言ってしまいたくなった。彼女にとって思いだしたくない過去だろうから。しかし紫は俺の言葉に口を挟まず最後まで聞いてくれた。俺も彼女の話を受け入れよう。
「学校の友達もみんないなくなって、何もわからないくせに、『貧乏人』と罵っていじめるバカな同級生しか近寄らなくなりました。でも私にはそんな事にショックを受けてる余裕なんてなかった。取り立て屋の嫌がらせの方がいじめの何倍も恐ろしかったから……」
大学で様々ないじめを受けながらも、平気な顔で学校に通う紫に驚いていた。しかし地獄を経験した彼女にとって、本当にたいした事ではなかったのだ。
「しばらく私達親子は我慢したんですけど、精神的に耐えられなくなって両親は夜逃げを決めました。でも子供の私は連れて行けないからって祖父母に預けられました。それが私が中学1年の頃……」
そこで言葉を区切った紫は、一呼吸置いて、絞り出すように告げた。
「それから一度も両親から連絡はありません」
6年近くも経過して、連絡がない。その事実に背筋が凍る思いがした。
「何度かこちらから電話しようと思いましたけど、できませんでした……」
そこで言葉をくぎった彼女は、堪えるように唇を噛み締めた。
淡々とした……というより壊れた人形のように無表情のまま、頬を雫がこぼれ落ちた。
「電話しても出なかったら?すでに使われていなかったら?……もし……すでに……この世にいなかったら……」
それから長い長い沈黙があった。日が傾きかけ、夕焼けが中庭を照らすようになるほど時間がたった。
潤んだ彼女の瞳が渇き、少し冷静さを取り戻すために、それだけ時間がかかったのだ。
「私は友達なんて信じない。家族以外の人間なんて信用できない」
強く言い切った彼女は、揺らぐことなくまっすぐに俺を見つめた。
「人を信用できない人間に友人や恋人が作れますか?」
「……」
「私の事はもう忘れてください」
最後まで俺は何一つ言う事はできなかった。
嘘と作り笑いにまみれた彼女ではなく、最後は彼女の本音が俺の恋心の息の根を止めたのだ。
恋愛バトルは譲司を再起不能に追いやって終了した。
第1章 柾木譲司編の前半終了です
ここで一度恋愛バトルは終了し、駆け引きではない二人の関係が始まります
引き続きご覧いただけると嬉しいです