恋人達のティータイム 思い出 譲司の事情
俺が案内したのは、店の中庭だった。
扉を開けた瞬間に香る、濃厚なバラの匂いに圧倒される。紫も思わず見とれていた。
店の入り口よりも多くのバラが植えられている。こちらの方が日当たりがいいせいか、盛りをとうに過ぎていっそう醜く散りかけていた。
中庭の真ん中にテーブルとイスが1組置かれている。
2人が席についた頃、タイミングよく店員がやってきた。紫はヌワラエリヤを俺はニルギリを頼んだ。
お茶が運ばれてくるまで、お互い一言もなかった。
ただ散るバラを見つめながら、遠い日の出来事に思いをはせていた。
「イギリスから日本に帰国した小学生の頃、ここにはよくきたよ。母がこの庭とここの紅茶が好きだったんだ……」
俺がゆっくりと話し始める。紫は話を遮る事なく、お茶を飲みながら聞いていた。
「最後にここにきたのは中学1年の時だった。母はここで言ったんだ。『私は離婚して国に帰るけど、譲司はお父さんと日本に残りなさい』ってね」
「……」
重い思い出を語っても、彼女は眉一つ動かすことはなかった。
「子供の目から見ても日本に帰国後両親の仲が悪くなっていたのは、薄々感ずいていたけど……俺に何も相談もなしにかってに決められて……」
もう割り切った過去だと思っていたけれど、口にだすとまだほろ苦い思い出だった。
「あの時はなんだか母親に捨てられたように思えた……それから母とは一度も会ってない。話によるともうイギリスで結婚して子供もいるらしい」
話終えて紫を見つめた。彼女は先ほどから伏し目がちに黙々と紅茶を飲んでいた。俺の話が終わると視線をあげて、まっすぐに見つめてくる。
まるで風のない水面のように、どこまでも澄み切って静かな瞳。そこには哀れみも共感もなく、ただ淡々と彼女は事実を受け入れていた。
中途半端に憐れみの目で見られたり、わかりもしないのにうわべだけ同意されるよりずっと良かった。こんな風に誰かに自分の過去を受け入れてもらった事などない。純粋に嬉しかった。
ハーフだとか王子だとか色々なレッテルを張られて、周りの人間とどこか見えない壁を感じていた。しかし紫とは初めからそんな壁などなかった。彼女といると俺はただの男でいられた。
だからこんなに惹かれるのかもしれない。
「どうしてそんな話を急に?」
「さっき紅茶を飲みかけて、手が止まっていただろう。あの時の君の表情を見たら思い出したんだ」
「嬉しさと悲しさと両方の懐かしい思い出?」
「ああ……」
それからまた沈黙がうまれた。すっかり冷めてしまった紅茶を口にしながら思った。俺は古傷をさらけ出してぶつけたが、それで何か紫を変えられたのだろうか?
俺の話に怯むことなく、ただ淡々と聞く彼女を見ていて、俺以上に底知れない闇が彼女の奥に眠っている気がした。
「私にとっても、バラと紅茶とケーキは、複雑な思い出なんです。二度と訪れる事のない幸せな過去の象徴だから」
紫は淡々とした表情を変えることなく、ポツリポツリと語り始めた。
2012年1月31日改訂
譲司の心理描写追加しました
紫への気持ちを自覚しはじめた最初の一歩かな?