その4 光の中へ
堺さんは夕食後、鎮静剤をたっぷり処方されたようで、身じろぎもせず、点滴に繋がれて静かな寝息を立てていた。
「あの、母はいつからこんななんでしょうか。ここに入れるまでは、わたしから見て普通だったんです」
あのとき、老母が検査につれて行かれてから、ゆりこさんはおろおろとわたしに聞いてきた。
「夜中は……、最初から叫んでいらっしゃいました。ご自分がどこにい…かわか…なくなるようで。お家では違ったんですか」
「そんなことはありませんでした。どちらかというと物静かで、ちょっと記憶があいまいなところはありましたが、まさか急にこんな……」
この刺激のない白い部屋には、確かに白昼夢に持って行かれそうな不思議な空気があった。ただわたしはその空気は、それほど嫌ではなかった。何も押し付けない、ただ何かを呼び覚まそうとする、静かな世界。
「ほんとにご迷惑おかけしました。今夜から夜間だけ、鎮静剤を入れた点滴をしてもらいますので」
「あの、わたしのためだったらいいんで…すよ。同室のひとに遠慮して鎮静剤なんて、そんなことで寿命を縮めた…らたいへんですから」
「夜だけですから。本人も落ち着いて眠れないと弱っちゃいますし、喉の渇きがわからないようでよく脱水になるんです」
静寂と暗闇の夜。望んでいたはずなのに、横になるのが怖い。わたしは身を起して自分を囲むカーテンを見つめていた。
眠るとあの夢を見る。
低空飛行のB29の爆音から始まる、あの夢を。いや、夢と呼んでいいのかどうか。
もう、薄々わかってる。
多分わたしの病気は、真菌症でも、ベーチェット病でもない。
口が痛い、口中が燃え盛る火のようだ。痛い、痛い、痛い、いたい……
わたしは、ほうぼう調べてたどり着いた、一番しっくりくる病状のメモをもう一度確認した。
塹壕熱口内炎。
通常突発し,倦怠感または発熱を伴うことがある。主な症状発現は,急性疼痛を伴う歯肉出血,唾液分泌過剰,強く臭う息(口臭)である。特徴的な潰瘍形成が歯間乳頭や歯肉縁に認められ,これらは特徴的に打ち抜き像を呈し,灰色の偽膜によって覆われる。頬粘膜や扁桃上の同様な病変はまれである。 嚥下や会話は疼痛を伴う。
戦争中はこれがために食物が取れず、命を落とすものが多かった。日本では沖縄戦の塹壕内で多発した……
……あえて考えないようにしていた。
静かな夜は、わたしが目をそむけている方向から、夢から歩み出た何かがやって来る気がする。
……さっさと死んでくれと。
ある人に、繰り返し頼まれたことがある。
もうたくさん、うんざりよ! わけのわからないことばかり言って。
そんなに生きるのが不安なら、死ねばいいじゃない。あんたの言うことはさっぱり分からない。
……お母さん、わたしはただ、どうしたらいいかわからないの。生きることも死ぬこともできなくて……
だから何。なに不自由なく育てたのに、この世が生き地獄だみたいな話ばかり聞かされても、わたしにどうしようがあるの。あんたみたいなわけのわからない子じゃなくて、健康で明るい子がほしかった。そんなにつらいなら死になさいよ、それが嫌ならきちがい病院へでもどこへでも行きなさいよ!うんざりだわ、どうぞ死んでちょうだい。
そのころわたしは中学生だった。今ほどメンタルヘルス系が偏見なく語られた時代ではなく、自分の症状に名をつけることもできず、ただ次々とターゲットをかえる恐怖症と神経症の波に次々襲われて、身動きができなくなっていた。病院へ行けといいながら、精神病のレッテルを極端に恐れる母は、受診を許してはくれなかった。
辛い時は我慢せず家族に相談しましょうと、ものの本は言う。その結果がこれだった。
わたしは涙をためた目で母をにらみ、そして言った。
……わたしは大人になっても、お母さんみたいにはならない。
ちゃんと子どもの言い分を聞く、いいお母さんになる。
母は、ただ、もの凄い、としか形容できない形相の笑いを唇に浮かべて、言い放った。
やれるものならやってごらんなさい。なれるものならなってみなさい。
あんたみたいな子どもが産まれたら、
誰だっていいお母さんなんかやってられやしないんだから!
辛いのは、はるか昔、母に豊かに愛された記憶がわたしにあることだった。
わたしは母に溺愛されていた。優しい子守歌、抱きしめる手、わたしにつけられた様々な愛称、それらでわたしを呼ぶ声、まだはっきりとした自我が芽生える前のわたしを、母は宝もののように愛してくれていた。そしてわたしも、両親に大事にされている自分が自慢だった。自分をこの上なく幸せな子どもだと信じて疑わなかった。
その記憶の残骸が、母の苦しみと重なってわたしを責め続ける。
どうしてあのままでいられなかったのか。
どうしてあのままで……
あんたを産んだせいで、あんたがいる限り、わたしは不幸なのよ。わたしだって幸せになる権利はあるはずなのに!
痛い、痛い、痛い、いたい……
誰かが乱暴にわたしの腕を掴む。
「殺して下さい、もう、いい」
「そんなこと言わないでください」
うめき声と膿と血の匂い。暗闇の中に光る眼、眼、痩せこけたからだの兵隊さんたち。
「これ以上生きていても、みんなの迷惑になるだけだ……」
「頑張りましょう、頑張って家に帰りましょう」
細い手首を握りかえして懸命に声をかける。
「家は、もう、ない」
泣こうにも涙も出ない。喉が渇く、口が痛い。
「そんなこと言って困らせるんじゃない。そのお嬢さんだって熱があるんだ。そうだろう」
背後から声がかかる。
「わたしはいいんです」下を向いたまま答えた。
「口から血が出てるよ」
「わたしは、いいんです」
「帰りたいのは、みんな同じだ……」
アンマー!
もう一度顔が見たい。みんな苦しいのは同じ、わたしだけ泣いちゃいけない、でも顔が見たい。帰りたい、帰りたい。痛い、熱い……
頬を撫でられる感覚で目を覚ました。顔のすぐ上に、大きなこぶをつけた老女の顔がある。
「!」
近すぎて夢か現実かわからず、ただ茶色に澄んだ瞳を見つめた。
乾いた白い頬、無数の細いしわ。……堺さん。
手にした桃色の小さなタオルで、わたしの額を拭いている。
確か今夜はたくさんの鎮静剤を……
その腕からは血が滴り、点滴の管を引き抜いた跡がはっきりとわかった。
「あついの?」
「………」
「痛いのね?」
「………」
「どこに帰りたいの?お母さんのところ?」
何か言おうとした唇を、タオルが撫でた。
「血が出ているわ。痛いわね、我慢強いのね」
「あの……」
「泣いていいのよ、辛いなら」
「……」
「頑張ったのよね、一人で。辛かったわね。偉かったのね……」
ゆっくりと、細い両腕がわたしの頭を抱き、なにか白粉のような香りのする薄い、温かい胸に抱え込んだ。
突然、わたしの知らない涙が、両の目からあふれ出た。
その時の感情を何と表現できるだろう。
あの日、ひめゆり記念館で塹壕の模型の前に立った時、稲妻のように背中を何かが走り抜け、この瞳を借りるようにして涙が走り出たときの、戦慄にも似たあの感覚。
帰りたかった。ずっと帰りたかった。もう一度会いたかった、大好きなひと。
サトウキビ畑と、真っ青な空。低い石垣に囲まれ、鮮やかなブーゲンビリアに彩られた家のイメージが頭の中で弾ける。
自分の手に信じられないほどの力が込められていくのがわかる。両手の指を開き、細い背中にしがみつく。喉の奥から、誰かの声が絞り出る。
『おかあさん、おかあさん!おかあさん!!』
「よくがんばった。母さんが悪かった。ああ悪かった、悪かったねえ……」
アンマー、アンマー。
ワンガワッサタサ、ワンガワッサタサア……
堺さんに抱きしめられて泣きじゃくるわたしを最初に見たとき、夜勤の看護婦さんは、わけのわからない会話に面食らったという。
「何をしてるんですか? 堺さん、一体なにがあったの?」
そのあたりの会話の記憶はあいまいで、ただ、会いたかった、わたしも会いたかった、母さんを許しておくれ、頑張ったね、よくやったねえ、という声にならない会話が、ひとつの音楽のように、温かい雨の記憶のように残っているばかりだ。
泣き、叫び、抱きしめられ、抱きついているわたしの体から、何かが溶けだし、堺さんの細い体に流れ込み、そしてひと呼吸ごとに重かった体が軽くなって行く。
堺さんはその後も意味不明の言葉を叫び続け、看護婦さんがわたしを引き剥がそうとすると激しく抵抗した。わたしはただ、それ以上彼女が抵抗すると鎮静剤を打たれてしまうのが怖かった。どうか静かになって、それ以上薬を打たないで。
当直医が呼ばれ、また点滴が繋ぎ直されたが、堺さんはすごい勢いで引き抜いてしまう。
「なんで鎮静剤が効かなかったんだろう。追加するしかないかな。すいませんね海藤さん、あとちょっとの辛抱ですから」
茫然とするわたしに声をかけて、お医者は堺さんの細い腕に注射を打った。
「あの、もうそれ以上お薬を打たないで上げてください。体のほうが……」
誰も返事はしてくれなかった。薬は効かない。そのまま彼女はストレッチャーで運び出され、
そして二度と、部屋に戻ってはこなかった。
ひとりの病室で、わたしと、わたしの知らない誰かが、透明な涙を流し続けていた。
翌朝、一気に体温は37度台まで下がった。
杏嬢は驚いて二度体温を測り直した。
「よかったですねえ!とにかく体力が回復すれば、お口もよくなりますよ」
「そうですね……」
熱が下がったのは至極当然のことのように思われた。そしてわたしはもう、自分に治療の必要のないことがわかっていた。
堺さんは昨夜のうちに、電動ベッドの不備で使っていなかった予備の個室をひとつ無理に開けて、そちらに移ったという話だった。
よかったですね、これでやっとぐっすり眠れますね、と部屋担当の看護婦さんたちからさんざん言われたものの、わたしは何か大切なものを引き剥がされたような気分のまま、綺麗に整えられた隣のベッドを空しく眺めていた。
あのひとはどうしてここに入ったんだっけ。
大きなこぶができたから。
ではそれを手術で取れば、あのひとは治ったことになって退院するのだろうか……
それはとても、奇妙なことに思われた。
ひとになんと思われようと、わたしにはどうしても、彼女はわたしに会うために、わたしは彼女に会うために、ここに入院したと思えてならなかった。
その日の午後、疲れた顔のゆりこさんが部屋にやってきて、わたしを見るなり深々と頭を下げた。
「本当に今までご迷惑おかけして、申し訳ありませんでした」
「いいえ……」
そのまま言葉が続かない。何をどう、説明したらいいのだろう。
「……お部屋が見つかって、よかったですね」
ゆりこさんはサイドテーブルの上に菓子折りをそっと置いた。
「病状をお聞きして、お菓子は無理かと思ったのですが、これはどうぞご家族の方たちにでも……」
「お気づかいいただいて、ありがとうございます。あの、それで、お母様の具合は……」
ゆりこさんは表情をくもらせた。
「腫瘍のほうは、肺活量が足らないとかで麻酔が難しいらしく、手術のめどが立たないんです。でもそっちは、もういいかなって」
「いいかな、っていうのは……」
「ここに入ってどんどん、知らない母になってしまって……。今は、眠り続けてるんですけど、心拍も低下して、血圧も下がり気味で、体温も……」
「え」
わたしは絶句した。だとしたら、それは結局わたしのせい?立て続けの鎮静剤も結局わたしの……
「ご心配なさらないでください、ただ眠ってるってことなんですよ。深く、深く。ここに入ってからほとんど眠れていないみたいでしたから、必要な眠りだとお医者様はおっしゃってました」
わたしは少し息をついた。確かに、一番疲れているのは当の本人なのかもしれない。
わたしは改めてゆりこさんの顔を見た。意志の強そうな眉と目、マニッシュなショートカット、あまりお母さんとは似ていない。
「結構お話しする機会があったんですが、上品な方ですね。いいところのお育ちのような」
ゆりこさんの表情が少し明るくなった。
「母ですか。ええ、もともと大きな太物問屋の一人娘で、お嬢様育ちではありましたね。貧しい農家出身の父と大恋愛して、勘当同然に家を出てしまったといってました。私だけが生きがいってよく聞かされて、嬉しいけれどプレッシャーでしたね」
「自慢なさってましたよ、わたしにも、ゆりこさんのこと」
「あら、やだ」
ゆりこさんは顔を赤らめた。
「父親似の娘は幸せになる、あなたはお父さんに似てるから大丈夫、と言われてきたんですけど、結局結婚も子どももまだまだなんですよ。父は他の女性と面倒を起こして私が中学のころ家を出てしまいましたし。母が元気なうちに孫の顔を見せてあげたかったんですけどね……」
わたしはまっすぐゆりこさんを見た。
「まだまだ、大丈夫ですよ。いけてますから、ゆりこさん」
「ほんとに?」
ゆりこさんは泣き笑いのような顔をした。
「海藤さん、顔色良くなりましたね。最初お見かけした時は、正直言って生気がなくて驚いたんですよ。土気色の顔してらしたから。よかったですね、小さいお嬢さんが待ってるんでしょう?」
わたしは頷いた。
その日から三日の間に、私の口内炎は幻のように消えて行った。
「劇症口内炎って言われてもねえ」
家に向けて車を運転しながら、淳也が言う。
「それって病名じゃなくて、症状名というか。結局原因はわかりませんて、つまり治療したというより自然治癒みたいなもんだよね」
……ま、なおってよかったですよね。なによりです、おめでとう。
病名のわからない患者を手放すことができて、森脇医師はほっとしているようだった。
「しかしそれだけすごい口内炎は僕も見たの初めてですよ、点滴がない時代だったら確実に死んでましたねえ。口中血だらけでしたもんね、よく我慢しましたね」
……死んでいた。
わたしは、生きている。
晴れた冬の景色が目にまぶしい。
曲がり角をひとつ曲がるたび、見慣れた風景になってゆく。
生きている、そして、帰る家がある。わたしはこの体で、帰って行ける。車に体を揺すられるたび、それを実感する。
「いままで黙っていたけどね。君んとこのお母さんと、うちのおふくろとでは相当孫育ての方針も価値観も違うらしくて、ぼくが帰ると相当険悪な空気だったんだよ。やれ粉末の和風だしは子どもの体によくないの、いちいち人参の皮をむく必要はあるのないの、優花が厚着すぎるだの薄着すぎるだの。しまいに優花が怒りだして、トイレに閉じこもって出て来なくなったりして。君が帰宅してくれることになって、約三人がほっとしてると思う」
「三人? おばあちゃん二人とあなたと、で、ゆうかは?」
「優花はね、ほっとどころじゃないね」
大騒ぎの家まで、もう少し。あと三つ角を曲がったら。
わたしは手元の、丸だらけの手紙を広げた。
わたしが死を考える時間が少なくなっていったのは、淳也と会ってから……
考えることがなくなったのは、優花を産んでから。
愛されることじゃなく、愛することで、わたしは健康になった。
それもこれも、生きているから。
生まれてきてくれて、ありがとう。
わたしを産んでくれてありがとう、愛しにくいわたしをちゃんと育ててくれてありがとう、お母さん。
曲がり角、あと二つ。
こぶをぶら下げた優しいひと。
わたしはあなたに出会って救ってもらうことができたけれど、あなたはわたしと会ったことで、少しでも幸せだと、嬉しいと感じたろうか。わたしとあそこで会ったことは、あなたの人生にとって幸いだったのだろうか。
わたしはあなたがしてくれたと同じくらい、あなたを抱きしめることができただろうか。透明になってゆくあなたの心に、最後に灯りはともったのだろうか。
お下げの少女は、あの明るいサトウキビ畑の中の家にたどり着いたのだろうか。今は、光りの中にいるのだろうか。
そう信じたい、心から、そうであってほしい。
最後の角を曲がって、家の門が目に入る。
「ああ、もう門のところにいるよ」淳也が笑う。
母に背中を支えられながら、優花が鉄製の門に内側からしがみついている。車が目に入ると、大きな口をあけて叫び出した。あ、ママだ、ママだママだママだ、ママだ! 口の動きでそうわかる。両手でがちゃがちゃと門をゆする。その顔が急に泣き顔になる。ずっと聞き分けがよかったんだよね。泣いていいんだよ、ゆうか。
ウインドウをあけた。叫び声が飛び込んできた。
「ゆうかね、ママに、ママに会いたかったの――――!!」
わたしは小さなバッグ一つを掴んだ。そしてドアに膝をぶつけながら、わたしの太陽を抱きしめるために、外に飛び出した。
※作中に出てきた沖縄方言
イチャイブサ― 会いたいよ
ワンガワッサタサ― 私が悪かった