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死んだはずのクラスメイトが僕にだけ見える

作者: 海音
掲載日:2026/04/04

 クラスメイトが死んだ


「あれ?もしかして君━━」


 そして、


「━━私のこと見えてる?」


 幽霊になった。

 


 1限。

「ねーねー見えてるんでしょー?返事くらいしてよー。校門でばっちり目と目が合ったじゃん?これって運命だと思うんだよね。ほら私って美少女だし?仲良くなったらいいことあると思うんだよな~」

 2限。

「んん?これ間違ってるね。しかもケアレスミスだ。ちゃんと見直ししないから~。お母さんいつも言ってるでしょ?見直しはしなさいって。たかし?聞いてるのたかし!は~また無視ですか。お母さん悲しいです。思春期なら何しても許されると思ったらそうはいかんで!」

 3限。

「さてさてここに取り出しまするはさっき職員室からパクってきた名簿ともろもろの書類!君が喋らないってんなら私が君を探し当ててやろう。上から順にすべて読み上げてやるからな覚悟しろ~!」

 最悪だ。こいつが見えたのは今朝。それからずっとこの調子で話しかけてくる。返事をしたら負けだと思い無視を決め込んでいたが、もう限界だ。

 

 「お?どこ行くのー?あ!もしかしてトイレ?トイレだよね!私男子トイレって1回入ってみたかったんだー」

 「……あんた霧島玲子さん、だっけか?」

 「お?そう!マイネームイズ霧島玲子。よく知ってるね~」

 「そりゃ有名人だからな」

 「うれしいねえ。そういう君は吾妻千秋君だね?」

 「なんで知ってんだよ」

 「お、当たってた?さっき一番反応があった気がして」

「クソ……。てかそうじゃなくて。なんで幽霊になってんだとかいろいろ聞きたいことはあるけど、単刀直入に言うぞ。……どうすれば俺から離れてくれる?」

「いいねそういうの。物事は円滑に進めなきゃだよね。じゃあ私からも簡潔に要求を伝えようか」


 そう言うと先ほどまでのお茶らけた雰囲気は消え、代わりに怖気がするほどの感情の消えた顔で


「私を成仏させて」


 そう言った。





「ひゃっほー!うみだー!」

「あんま動くなこけるだろうが!」

 

 青い空、青い海、白い砂浜。照り付ける初夏の太陽ですべてが輝いて見える。俺たちは学校から自転車で1時間ほどの位置にある海岸へ来ていた。夏休み前かつ平日の昼間の海岸は幸いなことに俺たち以外誰もいなかった。

 適当な位置に自転車を止めていると、先に砂浜へ走り出していた霧島玲子がくるりと振り向く。


「にしても抜け出してきてよかったの?授業。出席とか大丈夫?」

「お、ま、え、が!成仏って何すればいいか聞いたら今から海に行くって言ったから抜け出してきたんだろうが!」

「あはは!だってやってみたかったんだもん。成仏するなら未練は断ち切っておかないと!」

 

 授業を抜け出して遊びに行く。確かに背徳感はあるが、俺を巻き込まないでほしい。俺は平穏に学校生活を送りたんだ。山も谷もない平坦な人生がいい。


「わっ!見てヒトデ!かたい!」


 ……訂正。たまにはこういうのもいいかもしれない。

 浜に落ちてたヒトデを手に取り、こちらへ見せつけてくる霧島。無邪気そのものの笑顔は夏のせいか余計輝いて見えた。


「あっ!今見とれてたでしょ?美少女歴長いとわかっちゃうんだなー。もっと見たっていいんだぜ?今は君が私の美貌を独り占めできるんだ。光栄に思いなよ!」

「自意識過剰乙」

「負け惜しみー」


 改めて見ると、本当に整った顔立ちをしている。美醜の感覚に自信はないが、パーツの配置が整ってるかずれているかはわかる。その基準で行くと、こいつはとてつもなく美人だ。

 風が吹く。潮のにおい。長い黒髪とスカートが揺れる。あれ、おかしいな。さっきまで外にいた気がするんだけど、いつの間にか家に瞬間移動したのかな。じゃなきゃアニメのワンシーンを見てることに説明がつかないぞ。


「ちょっとさすがに見すぎ」

「あ、ああごめん」

「彼女とか居たことないでしょ」

「だから何だよ」

「実は私もいたことないんだよね」

「意外だな」

「でしょ?私も思う。……ねえ、私が彼女になったげよっか?」

「………………!?」

「最期なんだもん、やりたいことは全部やってみたい。……こっち来なよ。せっかくの海なんだから遊ばないと」


 一瞬の躊躇。しかしすぐに、熱に浮かされたように俺の足はふらふらと動き出す。脳裏に去来した桃色は1歩ごとにその体積を広げ、彩度を増していく。

 

「こうやって並ぶと、やっぱり背高いね」

「一応176ある」

「そりゃ高いわけだ。私と15センチも差があるや」


 おもむろに手を取られる。不意に触れた女子の肌に思わず体が震える。


「手もおっきい。ほら、こうやって合わせてみたら私の手がすっぽり収まっちゃう」


 幽霊なのに触れるんだな。その言葉は脳から口へ達する前に途切れた。

 握られていた手を引っ張られる。彼女が後ろに倒れ、俺が覆いかぶさる形。足元に感じていた波がついた膝を濡らす。

 

「……いいよ。好きにして。初めてだから優しくしてね」

「…………」

「もう、ここまでお膳立てしておいてまだ女の子にリードさせるつもり?」

「1つ聞いてもいいか」

「ん?いいよ」

「霧島はどうして死んだんだ」

「……それ、今じゃなきゃダメ?」

「いや、違う。そうじゃない。なんで、なんで俺は”この光景を知ってる”んだ?」

「――あー、これそうなっちゃうんだ」

「なあ教えてくれ!なんでこんなに悲しいんだ?なんでこんなに涙が止まらないんだ?俺は、何か大事なことを――」

「あー、ごめんね。そんな顔させるつもりじゃなかったんだけど」

「なにを――――――――




 





 「…………夢?」


 自室で目を覚ます。遠ざかっていく記憶をどうにか引き戻そうとするがうまくいかない。なんかエロい内容だった気がするんだが。まあエロいってことは夢か。


「ってやべもうこんな時間じゃん」

 


 

「私を成仏させて」

「……なあこのやり取り二度目だったりする?」

「ん?初めてだよ?千秋君がほかの幽霊に成仏を頼まれたことがなければ、だけど」

「そうだよなぁ」


 正夢か白昼夢かはたまた悪夢か。夢の内容は詳しく覚えてないけど幽霊少女に成仏頼まれて海に行くのは覚えてる。それで行くと、現状は夢の通りに事が進んでる。


「それで早速なんだけど」

「海に行くのはやめよう」

「え、なんで?」

「えーと、その、なんか危ないし」

「えー。まあいいけど。じゃあショッピングに行こう!」

「幽霊じゃ何も買えないだろ」

「そのために君がいる!」

「財布かよ俺は」





「東京だー!」

「なあ東京まで出る必要あった?」

「ある!」

「いや服とか買うだけならもっと近場で」

「ある!!」

「……さいですか」


 こいつ俺が金払うからって調子こいてんだろ。絶対に高いものは買ってやらない。絶対にだ。

 と意気込んだはいいものの。


「ん-!タピオカもちもち!おいしー!」

「みてみて!めっちゃチーズ伸びる!」

「ひゃーすっごいデカい!顔よりも大きい!」

「刮目せよ、ダブルレインボー!……飽きたから一個あげる」

 

 行く先々で買うのは食べ物ばかり。いったいその体のどこに入るんだという量の飯を平らげて霧島は至極満足げだ。対して俺は小さい出費だからと油断していたらどんどん懐がさみしくなって悲しげだ。


「ほらほら、なにしょげてんの?次行くよー」

「まだ食うのか?!」

「もう食べないよ!さすがに私もおなかいっぱい」

「じゃあどこ行くんだ?」

「それは~ついてからのお楽しみ!」




 

「ってここラブホじゃねえかー!」


 自然に入っていく霧島にビビりながらついていく。


「何?嫌なの?」

「いや、嫌じゃないけど!嫌じゃないけどね?俺たち高校生だよな!そんな、前途ある少年少女としてはもっと健全なお付き合いを心掛けるべきだと思うんだよね!」


 慣れた手つきで部屋を取った霧島に戦慄しながらおどおどと後ろをついていく。


「私たち付き合ってないじゃん」

「もっと悪いよ!」


 部屋に入り荷物を放り投げる霧島を入口で立ちすくみ眺める。


「私考えたんだよね」

「考えた結果がこれですか」


 見かねたのか手を引っ張られベットに座らせられる。

 

「どうすれば死ねるのか」

「……それは成仏ってことで?」


 ネクタイで目隠しをされ、手が後ろで縛られる。

 

「今日1日遊んで、まあ確かに楽しかったけど、成仏はしなかった」

「…………あの、状況がよくわからないんですけど」


 何も見えない中、霧島が立てる物音だけが聞こえる。

 

「だから考えて、1つ思い至ったの」

「……それは?」


 肩が押され、ベットに倒れこむ。

 

「千秋君」


 太もも辺りのベットが沈む感覚。腰に触れた布越しでもわかる柔らかいなにか。これは、馬乗りになったのか。

 

 「あなたを」


 頬に髪が当たる。首の後ろに彼女の手が回る。途端に鼻腔が甘いにおいで満たされる。目が塞がれていようと眩むほど刺激が強い。


「殺せばいいんじゃないかって」

「……は?」


 途端に息ができなくなる。首に感じる圧迫感。手じゃない。もっと細い。縄?


「ぅ……ぁ……!っ……」

「これっ、かなり力いるんだね」


 いやそんなこと考えてる暇じゃない。これ、マジで死ぬ。精一杯に体をよじり、足を振り回す。はたから見たら駄々をこねてるようにしか見えない。もっとスマートなやり方があるんだろうが突然命の危機にさらされてパニックなんだからこのぐらいで勘弁してほしい。


「ちょあんま暴れないで。うぎゃ!」


 振り回したどっかが当たった手ごたえ。ようやく息が吸える。

 

「はあ、はあ、はあ。なんで……!」

「いったいなあ。女の子の柔肌に何てことするんだ。あざになっちゃうよ」

「なんで!こんなこと、急に、だってさっきまで、さっきまで楽しくやれてたじゃ――」

「本当にわかんない?だって海のことも覚えてるんでしょ?」

「海?夢、じゃ……ないんだろうな、その感じ」

「そう夢じゃない。成仏のやり取りも二度目。さてなんででしょう」


 あれは夢じゃない。じゃあ現実だ。でもなんでちゃんと覚えてないんだ?成仏を頼まれて、海に行って、そこで、何があった?俺は彼女を、霧島を――

 

「シンキングタイム終了。まあ思い出そうと思い出さなかろうと私はどっちだっていいんだよ。君が死んでさえくれれば」

「……ああもうわけわっかんねえよ!さっきからお前のせいで俺の情緒はぐちゃぐちゃだ!」

「わ、急に怒鳴んないでよ」

「なんでお前は平然としてんだ!?」

「んー、さあ?なんでだと思う?」


 こいつは何ひとつ開示する気がない。思えば今日だってこいつは自分のことをほとんど話さなかった。もともと積極的に生きるつもりはないが、なんも分かんないままで殺されてたまるか。そんな状態でこいつに殺されてやるか。

 

「クッソ!」

「あっ!」


 煮え立つ感情のままやみくもに走りだす。部屋を飛び出し、そのまま外へ逃げ出す。あいつから、もそうだが何より思考停止していた自分から。

 俺は浮かれていた。急に非日常が現れて、もしかしたら劇的な何かが起こるんじゃないかって期待してしまっていた。かわいい女の子が何の理由もなく俺に近づいてくるわけがない。いつだって現実は非情で、突飛な幻想なんてありえなくて、地続きの理屈詰めで形作られてる。わかってたはずだったのに、忘れていた。

 

 冷静になれ、頭をまわせ。あいつはなんで俺の命を狙う?成仏できなかったら俺を殺すって、理論の飛躍が過ぎるだろ。目的は成仏だと仮定すると、俺が生きてることが未練?

 というか、待て。あいつは、霧島玲子はなんで死んだ?あいつはクラスメイトで、でも死んだはず。

 

 ……死因は?

 どうして俺は霧島が死んだはずだと認識してる?

 ……思い出せない。

 一気に恐怖が全身を駆け巡る。俺が相手にしてたあいつはいったい何者なんだ?

 

「千秋くーん?我妻千秋君はどこですかー?」

「考える前に、どっかに身を隠さないと」


 家、って財布もスマホもホテルの中だ。これじゃ電車も乗れないし店にも入れない。

 人が多いところは良くない。あいつは俺以外に見えない。なら人ごみに紛れられるほうが厄介。理想はあいつが現れたらすぐに気付けるかつ、逃走経路があるとこ。そんなとこどこに、


「ねえヒロくん、この間行った夜景すごいきれいだったね」

「そうだね。でも君の笑顔の方がもっと綺麗で眩しかったよ」

「もう、ヒロくんたら」


 夜景!ビルの屋上とかなら条件は満たしてる。基本立ち入り禁止だろうがむしろ好都合。あいつが入ってくる可能性がない。この広い東京で俺がどこに行ったか探し当てるなんて不可能。何時間かそこでつぶして、霧島がどっかに行ったタイミングでホテルに荷物を回収しに行こう。それならそこまで離れたくないな。あそこのビルとかいい感じか。


 暮れなずむ東京の中でビルの非常階段をひたすらに上る。エレベーターを待っていて万が一あいつと鉢合わせる方が嫌だった。

 西日が徐々に地平線に沈み、完全に夜の闇が世界を包んだころ、ようやく屋上に到達した。


 考える。下界にきらめく勤労の光には目もくれず、シナプスに電気を走らせる。

 昨日、俺は海にいった。そのあと、俺が霧島に馬乗りになった後までは覚えてる。そこで俺は、悲しいと思った?なんで?というよりあの光景を知ってるほうがおかしい。俺と霧島に接点はないはず。

 いや記憶はもうあてにならないな。俺と霧島には何かがあって俺がそれを忘れてるだけだ。馬乗り、悲しみ、そして俺を殺すとなくなる未練。あれ?もしかしてこれ


「俺が霧島を殺した?」

「せーかあい」


 するはずのない声に驚き、後ろを振り向けばちょうど階段を上がりきった霧島がいた。


「なんで」


 ここがわかった。言い切る前に持っていたスマホをぷらぷらさせる霧島。画面には地図アプリが表示されている。


「GPSかよ。幽霊の次はストーカーにジョブチェンジか?」

「いやー高いビルだから探すのに苦労したよ。1階1階見て回ったんだよ?さすがに疲れるって。あと、いくら首回り探してもついてないよ」


 舌打ちしながら逃げの選択肢を候補から外す。


「で、正解ってどういうことだ。お前を殺した証拠も記憶もないんだが」

「そりゃそうだよ。だって私、死んでないもん」

「……俺と霧島じゃあ死の定義が違うみたいだな」

「そうかもね。死んだことのない千秋君と何度も死んできた私とじゃあ意味合いは違って当然かも」

「ますますわけのわからなくなる情報を投下するな。今俺はこのファンタジーな状況を打開するのに必死なんだ」

「じゃあ唯一にして最も単純な方法でいこうか」


 そう言うと霧島は包丁を取り出しこちらへ駆け出した。

 薄々こうなるんだろうなという気はしてたからそこまで動揺はない。だが刃物を持った女の子相手に男子高校生はどこまでやれるのか。理想は俺も相手も無傷で済むこと。

 とりあえずは見て回避。切っ先を注視。狙いは腹!

 

「っつ!」


 無理だこれ!ちょっとわき腹切れた!

 戦闘初心者が見て避けるなんてできるわけなかった。最善は達成不可。なら


「ちょっと、それ痛くないの」

「いってえに決まってんだろ」


 次善。俺が傷ついて向こうが無傷。

 二度目の突き出された包丁を完全に無視。鎖骨のあたりに激痛を感じながら霧島を押し倒し動けないように両手を抑え込む。刺さった包丁の痛みはあまり感じない。が、伝ってくる血から深手なことはわかる。早めにどうにかしたほうがよさそうだ。

 刺さった包丁を抜き遠くに放り投げる。屋上に乾いた金属音が響く。霧島は相変わらず感情の読めない顔でこっちを見つめたまま。


「なんで?」

「何がだ?」

「なんで私を殺さないの?今包丁を捨てなければ私を刺せた。そんなことせずとも武器がない私なんて体格差で一方的に殺せる。殴るなり首を絞めるなりすればいい。なんでそれをしないの?」

「……お前バカだろ。普通は人を殺したりなんかしない」

「それはメリットにデメリットが釣り合ってないからでしょ?私はもう人じゃない。誰にも見えないし誰からも覚えられてない。だから殺したところで罪に問われることもない」

「やっぱお前はバカだ。男子高校生がかわいいクラスメートを手に掛けるにはそれじゃあ理由にならねえんだよ」


 霧島は深いため息をつくと「ん」と俺の手を顎で指す。

 ゆっくりと手を放す。霧島は服を整え屋上の端のほうで体育座りになった。俺も横に胡坐をかく。下では相変わらずの夜景がきらめく。お互い無言でそれを見つめる。どれくらい経っただろうか。霧島は唐突に


「……ねえ。もしも、迷子の子供がいたら、千秋君はどうする?」

「また急だな。……そりゃ手を引いて親を探してあげるだろ」

「そうだね。じゃあもしも、困ってる老婆がいたら?」

「何に困ってるのかにもよるが、助ける」

「じゃあ。もしも、死にたいけど死ぬ勇気が出ないから殺してほしいってお願いされたら?」

「……。俺は、それを叶えたのか」

「……ぷっ、あはっ、あはは!」

「なんで笑うんだ」


 霧島が立ち上がる。振り返った顔はいつもの顔だった。星の見えない夜空と、まばゆい夜景を背にしていつものように不敵に笑う。

 

「うん。その顔が見れただけで満足かな」

「何勝手に満足してんだ」


 慌てて立ち上がる。立ち位置が危ない。


「とりあえずそっちあぶねえからこっちこい」

「ふふっ、そうだね」


 1歩、2歩3歩。もともとそこまであったわけじゃない距離はそれだけで劇的に縮まる。肌と肌が触れ合うほどに。

 顔と顔が、唇と唇が触れ合うほどに。

 

 「なっ」

 

 それは触れるだけの軽いキス。しかし俺の思考を止めるのには十分すぎた。

 霧島が後ろに倒れる。それがひどく遅く見える。

 

「それじゃあね千秋君」









 「まっにあったー!」

 

 燦々と輝く太陽にうなじを焼かれながら彼の手を握り締める。これは記憶。これは過去。私しか覚えていない千秋君とのはじめまして。

 

「は……?」

「ちょ、呆けてるとこ悪いけど、この体勢長くはもたないからっ、早く掴まって!」

「あんたバカか。俺は死のうとしてんだぞ」

「このままだと私も落ちる!」

「は!?」

「ねえはやく!マジでヤバイ!」

「おい待て踏ん張れ今登るからマジで踏ん張れ」

 

 学校の屋上。警鐘を鳴らす心臓と切らした息を整えながら2人は空を仰ぐ。

 

「あんたいかれてんのか」

「まじであぶなかったねー」

「なんであんなこと」

「死のうとしてる人見かけたら普通の人は助けるでしょ」

「自分の命を危険にさらしてまで助けるやつはいねえよ」

「わたしはするの」

「……やっぱいかれてるわ」

 

 沈黙。

 遠くから蝉の音だけが響く。そして――

 

 ガバッ!

「あっつい!!」

 

 ――遮るものがない群青の空からは日差しが降り注ぐ。

 

「……あいす」

「……」

「アイス!」

「……なんだよ」

「私、命の恩人。あんだーすたんど?」

「奢らないぞ」

「ケチだなぁ」

 

 沈黙。

 蝉は先ほどよりも勢いを弱め、それと比例するように太陽は大きな雲に隠れる。

 

「雨降りそうだね」

「……」

「雨降った後って雨のにおいするよね」

「……」

「あれって確か名前付いてるよね」

「……ペトリコールな」

「そういうのは知ってんだねw」

「しね」

 

 沈黙。

 蝉はついに鳴りを潜め、ぽつぽつと雨が降る。数分もしないうちにそれはバケツを返したような土砂降りへと変わった。

 

「……」

「……」

「……」

「……はあ。負けだ」

「ん?」

「俺の負けだ」

「んん?聞こえないなー。もっと大きな声で言ってー」

「うるせえ。風邪ひく前に帰るぞ」

「私帰んないよ」

「は?何言ってんだよ」

「だから、私は帰らない。君の負けなんでしょ?じゃあこの屋上は私のもの。じゃあね」

「……なあ、お前なんでこの屋上に来た」

「今にも飛び降りそうな君が見えたから」

「嘘だ。俺が見えてからじゃ間に合わない。……なあ」

 

 嫌な想像が脳を駆け巡る。とっさに開いた口は

 

「私ね」

 

 かぶせるようにかけられた言葉と、まっすぐに見つめてくる瞳によって閉じることを余儀なくされた。

 

「強いの。君みたいになよなよしてないし、うじうじ悩んだりもしない。だから1人でも大丈夫なの。わかった?」

「……っ。いいやわからねえ。わかりたくもねえ。1人で大丈夫な人間がいるもんか。辛くて苦しいときに寂しいのは嫌だろうが」

「じゃあ、私を殺して。痛いのも苦しいのもこれ以上嫌なの。優しく首を絞めて、眠るように殺して」

「……」

「できないでしょ?あなたにはまだ残ってるもの」

「勘違いすんな。俺の絶望は俺だけのもんだ。あんたのも同様にな。迷ったのは、どっちが楽か決めかねたからだ」

「そう。で、どっちのほうが楽?」

「こっちのほうが、俺を好きになれる」

 

 手が首にあてがわれる。この子は底抜けにバカで、底抜けにやさしいんだろう。だから苦しんで、だから私みたいなのに利用される。愚かで、愛おしい。

 

「こっちに来るのはいつでもいいよ。できるだけ面白い土産話を持ってきてね」

「すぐに行ってやるから覚悟しろ」

 

 ああ、ひどい顔。恐怖と罪悪感、憎悪と絶望。君は自分が許せないんだね。首を絞められて死ぬのは初めてじゃないけど、なんでだろ。前よりも苦しくないな。ああ、あわよくばこの底抜けにやさしい愚か者が私なんて忘れて幸せに生きられますように。





「それじゃあね千秋君」

「バッカ野郎が!」


 ギリギリだった。本当にギリギリで間に合った。そのせいで体勢がすっげーきついけど。

 

「何考えてんだ」

「離して」

「離すわけないだろ」

「なんでそこまで私を……」

「俺にもわかんねえよ!けど、ここでお前を諦めたらもう2度と会えない気がする」


 刺された個所から血が伝う。握力の限界に近づく。このまま血が手まで行ったら確実にぬめってすり抜ける。


「頼む!手を伸ばしてくれ!」

「君のそれは悪徳だよ。救えるもの全てに手を伸ばしてたら、そのうち自分が潰れちゃう。君に私は救えないよ」


 ああくっそ!このままじゃ落ちる!片腕じゃ引き上げられない。

 こいつはあんな元気いっぱいですみたい面しといていざってときは距離を取る。イラつく。あの時間が楽しかったのが俺だけみたいじゃないか。仲良くなれたのは俺の勘違いか?昔の俺を見てるみたいだ。今の俺は昔の俺とは違う。もうためらわない。自分を疑わない。周りを気にしない。どう思われようが俺は俺のしたいようにする!

 

「おらああああ!」

「え、ひゃああああ!」


 風。肌に突き刺す風。耳をつんざく風。服を、髪を、魂をはためかす風。下から上に吹く。上から下に落ちる。


「な、なにしてんの!こんなことしたら千秋も!」

「これが俺の答えだ!」


 体をよじる。霧島を抱え込みどうにか俺がクッションになるようにする。もう何秒経った?地上はあとどれくらいだ?怖い。けどそれ以上に、こいつを1人で行かせたくなかった。


「ああもうほんとにバカ!」

「じゃあさっきのとあわせてお相子だな!」

「あんたのそういうとこ本当に嫌い!もう!本当に!だいきらーい!」


 夜空に1つ、星がきらめいて。世界が暗転する。そして――







「……いいよ。好きにして。初めてだから優しくしてね」

「…………」

「もう、ここまでお膳立てしておいてまだ女の子にリードさせるつもり?」

「1つ聞いてもいいか」

「ん?いいよ」

「霧島はどうして死んだんだ」

「……それ、今じゃなきゃダメ?」

「いや、違う。そうじゃない。なんで、なんで俺は”この光景を知ってる”んだ?」

「――あー、これそうなっちゃうんだ」

「なあ教えてくれ!なんでこんなに悲しいんだ?なんでこんなに涙が止まらないんだ?俺は、何か大事なことを――」

「あー、ごめんね。そんな顔させるつもりじゃなかったんだけど」

「なにを言って」

「私ね、死ねないの。でも今までは死にたくないと思ってたから死ななかったぽいんだけど、死にたいと思って死んだらちょっとおかしなことになっちゃって」

「……本当に何を言ってる?」

「だからまあもっかいちゃんと死にたいんだけど、その前にお礼をね、しにきたの」

「おれい」

「本当はそれの後に頼む予定だったんだけどー……、あのね?私を殺してくれないかな」





「お前さあ、毎回俺に殺されようとするのやめない?」

「あ、思い出した?」


 夕立が降る学校の屋上。

 霧島の上に俺がいて、首に手をかけている。

 俺たちが初めて会った日。初めて別れた時。


「その能力、本当に何でもありだな。時間が巻き戻ったぞ」

「ね。私もびっくりだよ」


 手のひらから確かに脈動が伝わってくる。よかった。生きている。


「ねえ。泣いてるとこ悪いけどそろそろどいてくれない?」

「な、ないてねえし。雨だろ」

「そーだね」


 首から手を放し、霧島の隣に座る。

 雨は弱まり、夕方から夜と呼べる暗さに変っていく。

 

「……もう、死にたくなくなったのか?」

「どうだろ、わかんない。お父さんは相変わらずだし、大学のための貯金は返ってこない。……けど、なんでだろうね。千秋君が一緒に落ちてくれた時、このままじゃヤダって思ったんだ」

「そうか」


 霧島は起き上がり、こちらを覗き込みながら

 

「そっちはどうなの?なんか勝手に解決した風じゃないですか」

「俺のは……、笑わないか?」

「笑わないよ」

「失恋だったんだよ」

「……ぷっ」

「おい」

「くっ、くくくっ、あははは!」

「もう話さねえ」

「ごめんごめん、でも、あはは、そっか失恋かぁ。どんな子だったの?」


 雨の止んだ空を見上げる。雲間からうっすらと月が見える。思い出すのはいつも見ていた後ろ姿。思えば正面から顔を見たことはほとんどなかった。どれだけ俺が話してこなかったのかがわかるな。

 思い浮かべるのは後ろ姿。

 

「……一言でいえば、完璧。勉強も運動もできて、友達も多いし誰からも好かれてた。だから見合うように必死で努力したんだ。……でも1年付き合ってる彼氏がいるって知って、失恋した」


 好きだ好きだと言っておきながら、いつかいつかと先延ばしにして、見合う男になれたら、そう思ってたら、もう彼氏がいて。結局俺が見ていたのは先輩じゃない。先輩を通して自分を見てただけだ。これは恋ではなく憧れ。ああなりたい、というあさましい自己満足でしかなかった。

 

「……うん。やっぱりしょうもなくない?」

「自分でも言ってて思ったんだ、やめてくれ。……でも当時は本当にきつかったんだよ。こんな頭いい高校に入れたのも彼女を追ったからだし。人生の生きる目標を失ったに等しかったんだ」

「そっかー。……ん?じゃあなんで再開した時は普通だったの?」

「あ、あーなんかあの後から急に平気になったんだよな。覚えてなかったのに、なんでだろ」


 やべえどもった。

 ふーん、と何でもないように返す霧島。俺はほっと息をついて

 

「……失恋ってさ、新しい恋をすると平気になるっていうよね」


 ぽつりと。そうこぼされた言葉に一瞬動きが止まる。

 

「……」


 ゆっくりと横を見れば、にまにまとした意地の悪い笑みがあった。


「まあしょうがないかー!こんな美少女に死にそうなとこを助けられたんだもんなー!ほれちゃってもしょうがないしょうがない!」

「おいうるせえな。それを言ったらお前だって俺が死ぬのが嫌だから生きたいと思ったんだろ?それってほぼ告白みてえなもんじゃねえか」

「だーれがあんたみたいななよついたやつに告白するもんですか」

「俺だってあんな自分勝手な奴に惚れるわけねえだろ」

「自分勝手?その目は何のためについてるの?気配りの達人過ぎていつも友達に囲まれてますけど。ぼっちのあんたと違って」

「誰がぼっちだ!俺は量より質を求めてるだけだ。お前のそれは取り巻きっていうんだよ」

「うける、質を求めて一人もいなくなってちゃあ世話ないじゃんね」

 

 ひとしきり言い合うと雲間から日が差してきた。


「朝だね」

「まぶしいな」

「そろそろ帰んないと」

「ああ風呂に入りてえな」


 濡れたからだに朝日が温かい。

 スッと霧島が立ち上がる。

 

「じゃあ私、帰るね」

「は?」

「また学校で」

「待てって」


 帰ろうとする霧島を慌てて引き留める。

 

「……手、放して」


 こちらを見ずに霧島は言う。

 

「放さない」

「わたし、これ以上迷惑かけたくない」

「今更だろ。俺のしょうもねえ悩みは解決されたけど、霧島はまだなんだろ。何の力にもなれないかもしれないけど、今ここで帰したくはない」

「――なに、もう」


 ふっとつかんでる腕から力が抜ける。

 

「口説いてるんだったら30点だよ」

「うっせ、こっからうまくなるんだよ」


 霧島がこちらを向く。目と目が合う。

 

「私の悩み、重たいかもしれないよ」

「だとしても1人より2人のほうがいい」

「千秋君まで危険な目に合うかも知れない」

「女の子が危険な目に合うよりはずっといい」

「結局どうしようもならないかも」

「そんときゃそん時だ。一緒にましな道を探そう。それでもだめなら、もっかい飛べばいい。運が良ければもっかい今日に戻れるかもな」

「……ずび」

「なんだ、泣いてんのか?」

「寒くて鼻水出ただけだし」

「そか、じゃあ俺んち着いたら風呂入れ」

「……一緒に入る?お礼しそびれたし」

「あほか。もっと自分を大事にしろ」

「これからはそうするよ。誰かさんが悲しみそうだし」

「ああ。お互いにな」


 雲は晴れ、朝日は世界を照らす。

 2人は階段を下りる。

 セミはじりりと一鳴きし、また今日が始まる。

 夏にはまだ早く、春と呼ぶにはもう遅い。そんな今日が。




 


「あの時、はなさないでくれてありがとね」

「なんだ急に」

「思い出しただけ」

「そうか。死ぬまではなさねえから覚悟しろよ」

「んふ。100点」

「あー!パパとママまたいちゃいちゃしてる!」

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