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夜だけ開く図書館ダンジョン、要約で怪異を倒す  作者: とま


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第二話 未返却本と、返されない人生

 回廊は思ったより長かった。


 左右に立ち並ぶ書架は昼間のそれとまったく同じ形をしているのに、歩いても歩いても終わらない。蛍光灯は不規則にしか点いておらず、灯りのあいだに暗い区間が挟まる。そこを通るたびに、澪の背中がざわりとした。


 字喰いは肩の上でじっとしている。尾だけが少し膨らんでいた。怖いのか、それとも何かを警戒しているのか。


 カナメは澪の半歩前を歩いていた。懐に手を入れ、定期的に何かを確認するように目を動かす。澪には何が見えているのかわからないが、彼には見えているものがあるのだろう。


「ここ、どのくらい続くの」


「あと三十メートルほどです」


「長いじゃない。館内、こんなに広くなかったよ」


「閉館後は構造が変わります」


「変わるって、そんなに簡単に言わないでほしいんだけど」


「慣れます」


「慣れたくない」


 言い合いながら歩く。不思議と、言い合っているほうが怖くなかった。


 回廊の終わりは閲覧室だった。


 中央に長いテーブルと椅子が並ぶ、昼間と変わらない閲覧スペース。だがテーブルの上には小さなランプが点いており、窓の外は見えない。壁一面の書架も、背表紙がすべて白かった。タイトルも著者名も印刷されていない本が、隙間なく詰まっていた。


「座ってください」


 カナメが椅子を引く。


 澪は素直に座った。肩の字喰いがテーブルの上に飛び降り、鼻先を台に押しつけて何かを嗅いでいる。


「説明します」


 カナメは椅子を引かず、テーブルの端に両手をついて澪を見下ろした。澪は少し反発したが、彼が立っていたほうが全体を把握しやすいのだと気づく。見張りに近い立ち方だ。


「何から知りたいですか」


「全部」


「順番を決めてください」


「じゃあ、未返却本って何」


 カナメは一拍置いた。


「延滞している本のことではありません」


「知ってる。さっきの放送で変な言い方してたから、ちゃんと意味があるんでしょ」


「そうです」


 彼は白い背表紙の本棚を見た。


「ここにある本は、すべて未返却本です。タイトルがないのは、まだ書きかけだからです」


「書きかけ?」


「現実から消えた人間の、人生の下書きです」


 澪は眉をひそめた。


「……どういう意味?」


「人が後悔したこと、言いそびれた言葉、整理できなかった感情、終われなかった物語。それが積み重なると、ここへ流れ込んでくる。形を変えて、本として綴じられます」


「人が、本になる」


「厳密には違います」


 カナメはテーブルに白い本を一冊置いた。どこから出したのか、澪には見えなかった。


 薄くて、表紙には何もない。


「開いていいですか」


「どうぞ」


 澪は表紙を開いた。


 ページに文章があった。活字ではなく、手書きに近い不安定な文字で。途中まで書かれているが、半分より先は白紙だった。


 欄外に資料ラベルのような記述がある。


  返却期限:経過。

  現実での所在:確認不能。


「これが、未返却本」


「はい。返却期限を過ぎた本は、図書館に留まったまま物語の内側へ入り込みます」


「物語の内側って」


「ページの中に。役割として。その本が持つジャンルの、決められたキャラクターとして固定されます」


 澪の指が止まった。


「つまり、この人は今も」


「本の中にいます」


「……助けられるの?」


「返却できれば。その本を棚に戻すことではありません。その人を、物語の役割から外すことです」


「どうやって」


「その本が何の話かを、正確に読むことです」


 澪は本を閉じた。


「読む、というのは」


「感想ではありません。核心です」


 カナメは言葉を選ぶように、少し間を置いた。


「その物語が何を恐れ、何を避けるために続いているのか。その一点を言い当てたとき、物語は終わります。終わった物語から、人は出てこられる」


「怪異は倒せないの?」


「肉体がありません。怪異は物語の継続そのものです。強制的に壊すことはできても、形を変えて再び現れます。終わらせなければ意味がない」


 澪は唇を噛んだ。


「倒すんじゃなくて、読む」


「要約する、と言っても構いません。ただの短縮ではなく、核心だけを残すことです。余計な物語を剥がして、その話が本当に何だったのかを、一文で言い切ること」


「…………」


「むずかしいです」


 澪が言い返す前にカナメが続けた。珍しく先手を打った形で、彼の表情はそれでも平坦なままだった。


「ただ、あなたには適性があります。本を読むときの、あなたの感じ方は普通ではない」


「普通じゃないってわかるの?」


「あなたが返却棚で本を戻していたときから、観察していました」


「最初から見てたの?」


「業務です」


「気持ち悪い」


「申し訳ありません」


 謝罪の言葉が即座に出てきたので、澪は毒気を抜かれた。


 字喰いがテーブルの上で白い本の周囲をうろついていた。何かを気にしている様子で、開いたページの近くまで鼻を寄せ、くんくんと嗅ぐ。


「この子は何をしてるの」


「匂いを嗅いでいます。余分な文を探している」


「余分な文?」


「この本にも、ごまかしが書いてあります。書いた当人が本当のことを書きたくなくて、違う言葉に置き換えた部分が。字喰いはそこに反応する」


 そのとき、字喰いが一枚の紙片の端をくわえた。ページから剥がれたわけではない。どこかから現れたように、テーブルの端に貼りついていた紙片を、白い歯でひっぱる。


 するりと表面の文字が消えた。


 残ったのは、もとの文だけだった。


 澪は思わず声に出して読んだ。


「『消えたいんじゃない。言えなかっただけだ』」


 短い一文だった。


 けれど重かった。


 澪は息を呑む。誰かがそれを書いて、消して、別の言葉で覆って、それでも残っていた一文。


 カナメが、わずかに目を見開いた。驚いている。珍しいことだとわかった。


「字喰いが核心を掘り出すのは珍しいです」


「いつもはしないの?」


「します。ただ、本の主が近くにいないときは、あまり反応しません」


「この本の人が、近くにいるってこと?」


「この棚の中に、います」


 澪は顔を上げ、白い背表紙の並ぶ壁を見た。


 どれかの中に、誰かがいる。


 本の役割として閉じ込められて、返却期限が切れたまま、物語の内側に。


「人のことを本みたいに言わないでほしい」


 澪は言った。


 声が少し尖った。でも自分でも、それが八つ当たりに近いとわかっていた。


 カナメは一瞬だけ目を伏せた。


「ここでは、そう扱わないと壊れます」


 声が変わらないのに、少し温度の違う言葉だった。


「壊れる、というのは、その人が完全に役割へ固定されるという意味です。そうなると取り返しがつかない。だから私は距離を置いて扱います」


「……わかった」


 澪は言った。


 完全には納得していない。でも彼の言い方が、冷酷さとは違うものだと、少しだけわかった気がした。


 天井スピーカーが鳴った。


「未返却資料、一件確認」


 それはいつもと同じ音量で、同じ感情のない声だった。


「分類:恋愛」


 澪の背中がびくりとする。


「仮配架場所、第一書架通路」


「これ、どういう意味」


「新しい案件です」


 カナメが立ち上がった。白い本をどこかへしまい込む。


「誰かが、いま本の中に引き込まれました。分類が恋愛ということは、恋愛小説の棚へ配架されている」


「連れ戻せるの?」


「読めれば」


「条件つきなんだ」


「すべて条件つきです」


 カナメは澪に向き直った。


「あなたが見つけました」


「え?」


「この棚の近くにいたとき、字喰いが反応した。ここにある案件の気配を、あなたが引き寄せた可能性があります」


「……それ、私が悪いみたいな言い方」


「そういう意図はありません。適性のある人間は案件を引きつける。だから見つけた側に主導権がある、という図書館の規則です」


「主導権って何に」


「読む権利です。あなたが読んでください」


 澪は椅子から立ちかけ、止まった。


「ちょっと待って。さっきの話、まだ全部聞いてない。要約で終わらせるって言ったけど、それにはデメリットはないの」


「あります」


「やっぱり」


「代償があります」


「何が?」


 カナメは澪を見た。


 その目がいつもより少し真っ直ぐで、澪は少しだけ身構える。


「要約は相手の人生を短くする行為です。だから、あなた自身の何かも削れます」


「……削れる?」


「記憶です。たいていは。核心に近いものほど、あなたの中にある似た記憶が削れる可能性がある」


「それは教えてくれなかったよね、さっき」


「言うべきか、迷いました」


「迷うことじゃないでしょ!」


「言えば、やらないと言う可能性があった」


「当然でしょ!」


「しかし、やらなければ、あの本の人は戻れません」


 澪は黙った。


 言い返す言葉がない。それが腹立たしかった。


「失いたくなければ、断ることはできます」


 カナメはそれだけ言った。強制はしない。その言葉の向こうで、断ったときに何が起きるかを、彼はたぶん知っている。


 澪は立ち上がった。


「行くよ」


「……よろしいですか」


「よくない。でも、行く」


 カナメは短くうなずいた。


「了解しました」


「代わりに、歩きながら全部教えて」


「できる範囲で」


「できる範囲じゃ足りない」


「教えられる範囲で」


「条件変わった」


「実態はあまり変わりません」


 澪はため息をついて、字喰いを肩に乗せた。


 小獣は静かに乗ってきた。重くない。紙一束分の重さ。でも温かかった。ほんの少しだけ、生きているものの温度がある。


「ツヅリ」


 呼んでみた。


 字喰いが耳をぴくりと立てた。


「それ、名前ですか」


 カナメが少し声を変えた。


「自分でも、なんでそう呼んだかわからない。でも、何かそう思った」


「名前を与えることは縁を結ぶことです。軽率です」


「また効率の話」


「いいえ」


 カナメの声が少し低くなる。


「責任と、呼ばれる方への影響の話です。名前を持てば、この小妖はあなたへ引きつけられる。これからの危険に、一緒に晒されます」


 澪は肩の字喰いを見た。


 ツヅリは澪を見ていた。黒い目で、真っ直ぐに。


「嫌なの?」


 聞くと、小獣はしっぽを一回振った。


「嫌じゃないって言ってるのかな」


「解釈の問題です」


「都合よく解釈する」


「よく言われます」


「この会話の型、さっきもあったね」


「使いやすい構文です」


 澪は笑いを呑み込んで、廊下の奥を見た。


 第一書架通路。閉館後の図書館に生まれた、恋愛小説の棚へ続く道。


 歩き出しながら、澪は小さく呟く。


「行くよ、ツヅリ」


 字喰いが、栞の房みたいなしっぽを一度だけ持ち上げた。


 三人は通路へ踏み出した。


* * *


 第一書架通路は、恋愛小説の棚が集まる北側書架の先にあった。


 そこを通り抜けた瞬間、澪は足が止まった。


 様子が違う。


 昼間はただの通路だった場所が、やけに細長く、先が見えなかった。左右に立ち並ぶ書架のパステルカラーの背表紙が、ゆっくり脈打っているように見える。淡いピンク、くすんだ赤、夜の色の青。それが呼吸でもするみたいに、膨らんで縮んで。


「気のせい?」


「気のせいではありません」


「だよね」


 声が聞こえる。


 最初はよく聞こえなかった。でも耳を澄ますと、通路の壁から、棚の奥から、顔のない言葉が溢れてくる。


 *どうして言えなかったの*。


 *好きと言えば終わったのに*。


 *言わなければ、壊れなかったのに*。


 これは誰かの声ではない。書かれた言葉が声になっている。棚の中に、無数の未消化な感情が詰まっていて、通路を歩く者へ向かって漏れ出している。


「気分が悪くなったら言ってください」


 カナメが前を向いたまま言った。


「なんで?」


「この棚は感情に干渉します。あなたの中に似た経験があれば、増幅されます」


「似た経験」


「言えなかったこと、言わなかったこと、伝えられなかったこと。そういうものがあれば」


 澪は口をつぐんだ。


 言えなかったことなんて、誰にでもある。


 だがその程度ではすまない気がした。棚の声が耳の内側で繰り返すたびに、胸の奥が妙に薄くなるような感覚がある。何かを思い出しかけて、輪郭が滲んで消える。


「大丈夫です」


 澪は言い切った。


「本当に?」


「……七割くらいは」


「正直でよかった」


 ツヅリが耳をぴくりとさせた。通路の奥を見ている。目が細い。


「見える?」


 澪が問うと、ツヅリはすっと立ち上がり、澪の肩の上から通路の奥へ顔を向けた。


 その先に、誰かいる。


 澪には、それだけわかった。まだ姿は見えない。でも、誰かがいる感触がある。泣くのを我慢した場所だけ空気が重い、みたいな、そういう感触が。


 無数のページが宙を舞い始めた。


 渦を巻いて、道を塞ぐように。


 読もうとすると、文字がすり替わった。


 さっきまで誰かの手紙だったはずの断片が、次の瞬間には全く違う物語の一部になっている。この棚は、関わった者を自分の「物語の役」へ引き込もうとしている。


「カナメ」


「押さえます」


 カナメが紙札を複数枚、指の間に挟んだ。投げると、ページの渦の外縁に貼りつき、境界を固定する。渦がそれ以上広がらなくなった。


 でも、中心には触れられない。


 澪にはわかる。カナメは構造を止めることができる。でも感情の核心には届かない。彼には、それが読めない。


 ツヅリが肩から飛び降りた。


 渦の中へ走り込む。


「ツヅリっ」


 心配する間もなく、字喰いは渦の中で甘い比喩をひとつ噛みちぎった。大げさなモノローグをひとつ食った。「永遠に続く恋心」とか「言葉にならない想い」みたいな、本当のことを包んで隠すための過剰な飾りが、ぱらぱらと消えていく。


 残ったのは短い文だった。


 澪は読んだ。


「好きだった。けど、言えば自分が壊れる気がした」


 息が詰まった。


 それは失恋の話じゃない。


 澪はその瞬間に確信した。恋愛小説の棚が引き寄せた物語として、表面には告白できなかった片想いが書かれている。でも、その芯にあるのは別のことだ。


「続けてください」


 カナメの声がした。


「読み取れたなら、言葉に」


 澪は顔を上げ、渦の中を見た。


 ページが乱れている。大きく揺れている場所は、どれも「届かなかった言葉」の近くだ。それが無秩序に見えて、実は一点へ収束している。


 まだ全部は見えない。


 でも、引きが来た。


 この物語の核心は、「好きだった」ではない。もっと別のところにある。


 澪は一枚の紙片を掴んだ。


 そこに現れた一文は、滲んで揺れていた。まるで誰かが泣いたページみたいに。


「好きだった。けど、言えば自分が壊れる気がした」


 同じ文だった。


 字喰いが掘り出したのと、同じ文。


 この話の芯はここにある。告白できなかった話ではない。言えば自分が崩れると思って、言わないことを選んだ話だ。


 澪はその先を考えた。


 渦がゆっくりと、一瞬だけ静まった。


* * *


 通路の先に、灯りが見えた。


 駅前のベンチみたいな場所に、誰かが座っている。


 澪は足を踏み出した。


 ツヅリが先に走る。


 カナメが後ろから続く。


 三人は、まだ誰のものかわからない物語の中へ、一歩踏み込んだ。



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