21日目
カレンダーの数字が、一週間後を指して赤く燃えている。
一歩ずつ人間を辞めていく。
けれど、その前にどうしても捨てておかなければならない「呪い」があった。
第21日目。死の、七日前。
今日の課題は【呼称の廃棄と、零への帰還】
「佐藤」という名前。それは、僕がこの世界に繋ぎ止められ、誰かに管理されるための「管理番号」だ。
幽霊に名前はいらない。ただ「そこに居るもの」という純粋な現象になればいい。
今日は不思議と体調が良かった。廃病院のパンを胃に詰め込んで以来、ずっと続いていた激痛が、麻痺したように凪いでいる。頭がひどく冴え、指先の震えも止まっている。
大事な儀式の日を、僕の肉体が祝福してくれている。
僕は財布から免許証、保険証、学生証をすべて取り出した。
そして、それらを家庭用シュレッダーの細い投入口へ、一枚ずつ、丁寧に差し込んでいく。
ガガガガ、と小気味よい音がして、僕を「社会的な佐藤」として定義していたプラスチックの破片が、色のついた塵へと変わっていく。
「……よし。これで、僕は誰でもなくなった」
次に、スマホの連絡先をすべて消去した。
最後に残った彼女の登録名を『01』に書き換える。
彼女は、この世で唯一、僕の「死」を観測し、完成させてくれる一号機(観測者)だからだ。
ピコン
その『01』から、通知が届く。
『結衣:佐藤くん、大変! 学生証、失くしちゃったみたい……。再発行の手続き、どうしたらいいか知ってるかな? 事務局、どこに行けばいいんだっけ……(涙)』
学生証。紛失。再発行。
彼女は、自分の「証明」を失って焦っている。
僕は微笑み、いつになく丁寧に返信を打った。
今日を逃せば、もう彼女を助けてあげる時間は残されていないからだ。
『佐藤:大変だね。再発行は、一号館の一階にある教務事務局の三番窓口だよ。二千円の手数料と、印鑑が必要だったはず。明日なら、お昼過ぎが比較的空いているからおすすめだよ。』
送信。
結衣さん。
君はまだ、再発行すれば「元通り」になれる世界にいる。
でも、僕の「佐藤」という身分は、もう二度と再発行できない。
僕はスマホを置き、机にあったカッターを手に取った。
左腕の、静脈を避けた場所に、ゆっくりと刃を沈める。
痛みはない。まるでバターを切り分けるような、確かな感触だけがあった。
鮮血で、腕に『00』と刻んだ。
彼女が『01』。僕が『00』。
僕たちは、学生証という紙切れで繋がった「大学生」という関係を卒業し、今、この数字の羅列で結ばれた「永遠の共犯者」へと昇華したんだ。
僕は腕から流れる、どす黒く、鉄の臭いのする血を、一滴も零さないよう慎重に舐め取った。
胃に詰まった綿の埃っぽさが、鉄の味と混ざり合い、僕の喉を「死の味」で満たしていく。
一週間後。
この『00』が機能しなくなったとき、君は学生証を提示するよりもずっと重い手続きを経て、僕を「不変の思い出」として再発行することになる。
鏡を待つ殺風景な壁の前で、僕は『01』からの『ありがとう! 助かったよ!』という無邪気な返信を、静かに見つめ続けた。
【記録:第21日目】終了
事件後、被害者の部屋からは裁断された身分証の山と、血痕の付着したカッターが発見された。被害者は重度の自傷行為を「儀式」として捉えていた形跡があり、知人女性に対する過剰なまでの執着と、自身の存在の消去を同時に進行させていた。この日、女性との間で交わされた「学生証の再発行」に関する極めて冷静で事務的なやり取りが、彼の異常性をより際立たせている。




