4日目
まだ、僕の心臓は「人間」の律動を刻んでいる。それが、ひどく不快だった。
第4日目。死の、二十四日前。
今日の課題は、【生体組織の疑似置換】
幽霊になるためには、僕という個体の「境界線」を曖昧にしなければならない。自分自身の内臓を、外部の、それも腐りゆく動物の肉と同質のものとして定義する作業が必要だ。
僕は、24時間営業のスーパーの精肉売り場に立っていた。
蛍光灯の青白い光が、剥き出しになった肉の表面を照らし、不自然な艶を与えている。僕はその光景に、得も言われぬ昂揚感を覚えていた。
「……これではない。もっと、死の色を帯びた、深い赤……」
僕は、パック詰めされたレバーを手に取った。
指先から伝わる、ラップ越しの弾力。死んでいるのに、どこか生々しい温もり。
僕は、傍から見ればただの不審者だったろう。ボサボサの髪、焦点の合わない目、そして口元で絶え間なく漏れる独り言。
「……僕の肝臓は、これになる。僕の血は、このドリップと同じ成分になる。そうすれば、僕が死んだとき、魂は迷わずにこの『依代』に宿るんだ……」
僕は長時間、そのレバーを指で執拗になぞり続けた。
監視カメラのレンズが、僕を見下ろしているのが分かった。
いいさ、見ていればいい。君たちが記録しているのは、一人の青年の買い物風景ではない。一人の「神」が、自身のパーツを選別している歴史的瞬間なのだから。
僕は、最も「死」の気配が濃い、どす黒い赤色のレバーを一パック手に取り、レジへと向かった。
ピコン
自動精算機の無機質な音をかき消すように、スマホが震えた。
結衣さんからのメッセージだ。
『結衣:佐藤くん、お疲れ様! 晩ごはん食べたかな? 私、さっきテレビで美味しいお寿司の特集見て、すっかりお魚の気分になっちゃった。佐藤くんは、お魚派? それともガッツリお肉派かな?』
肉派。
僕は、ビニール袋の中で揺れる、重たい血の塊を見つめた。
結衣さん。君の言う「お肉派」は、きっと鉄板の上で焼かれた、香ばしいステーキのことだろうね。
でも、僕の「肉」は違う。
僕が選んだのは、二十四日後に、僕の断末魔とともに腐り果てるための、特別な臓物なんだ。
『佐藤:僕は肉派だよ。それも、血の匂いがするような、生命の源に近い部分に惹かれるんだ。……今夜、それを手に入れたところだよ』
送信。
彼女はきっと、僕が少し凝った自炊でも始めたのだと思うだろう。
それでいい。君が、僕という「景色」が崩壊していることに気づくのは、すべてが終わった後でいいんだ。
アパートに戻ると、僕はレバーをパックから出し、皿の上に置いた。
僕はただ、その冷たいレバーを頬に押し当て、その死の感触を慈しんだ。
鉄の匂い。
それが、僕の未来の匂いだ。
【記録:第4日目】終了
当時の警察の捜査報告書によれば、スーパーの監視カメラ映像には、深夜に精肉売り場で独り言を言いながらレバーを3分以上にわたり指でなぞり続ける佐藤の姿が鮮明に記録されていた。店員は「顔色が悪く、何かに取り憑かれたような様子で、非常に不気味だった」と証言している。彼はこの日購入したレバーを、後に発見される「くの字」のオブジェの核として使用することになる。




