9日目
その日、僕は自分の「名前」が、僕のいない場所で呼ばれ続ける仕組みを完成させた。
第9日目。死の、十九日前。
今日の課題は、【日常の擬態と、観測の委託】
あまりに唐突に僕が大学から消えれば、結衣さんは不審に思い、僕の「聖域」へ予定より早く踏み込んでくるかもしれない。
それは、完璧な「死の舞台」を汚すノイズだ。
だから僕は、自分が教室にいなくても、僕が「存在している」ことにしてくれる共犯者が必要だった。
「佐藤くん! 今日もギリギリだね。ほら、ここ座って」
講義室の三列目。結衣さんが隣の席を叩いて僕を呼ぶ。
僕はいつものように、少し疲れたような愛想笑いを浮かべて隣に座った。
「……ごめん、結衣さん。最近、なんだか体調がずっと安定しなくて。来週あたり、もしかしたら少し講義を休むかもしれないんだ」
僕は伏線として、嘘を吐いた。
「えっ、大丈夫? 病院は行ったの? ……そうだ、もし休むなら、私、代返してあげようか? 佐藤くん、出席日数ギリギリだって言ってたし。先生、あんまり顔見てないから、私が上手く書いて出しておくよ」
彼女は、親切心からその禁断の提案を口にした。
代返。
僕がいない場所で、僕の名前が呼ばれ、僕が「はい」と返事をしたことにされる。
それは僕にとって、これ以上ない「幽霊」の予行演習だった。
「……いいの? 助かるよ。結衣さんに頼めるなら、安心して休める」
僕は彼女の手を取りそうになるのを堪え、深い感謝を装った。
彼女は得意げに「任せて!」と胸を叩く。
結衣さん。
君はまだ気づいていない。
君が代筆する「佐藤」という署名が、死へと向かう僕の時間を稼ぎ、君自身の首を絞めるための時間を生み出していることに。
僕が部屋で一人、「くの字」のポーズを研究している間、大学の教室では君の温かな指先が、僕の生存を公的に証明し続けてくれる。
ピコン
講義の合間、スマホが震える。
『結衣:佐藤くん、明日のお昼だけど、いつものハンバーグのお店行かない? 元気出してほしいから、私のおごり! 代返の契約金(笑)ってことで!』
契約金。
いいよ、結衣さん。
明日の「最後の晩餐」で、僕は君の親切をすべて飲み込み、そして全てを吐き出す。
君が僕の不在を隠し、僕の生存を捏造してくれる。
その歪な共犯関係が、僕をこの世から「見えない存在」へと押し上げてくれる。
講義室の窓に映る僕は、昨日よりもさらに透き通って見えた。
あそこにはもう、誰もいない。
名前だけが、彼女のペン先から零れ落ちて、虚空を彷徨っている。
あと、十九日。
僕はノートに、最後になるかもしれない「佐藤」という自分の名前を、何度も、何度も、真っ黒に塗りつぶすように書き連ねた。
【記録:第9日目】終了
後の調査で、被害者の死亡推定時刻と大学の出席記録に食い違いがあることが判明。これは第一発見者の女性が、被害者の依頼により代理で出席届を出していたためであった。




