12日目
その日、僕は自分の背骨の限界と、この肉体の浅ましさを同時に知った。
第12日目。死の、十六日前。
今日の課題は【造形の固定と、不浄による渇きの克服】
数日間に及ぶ絶食により、胃壁が互いを削り合うような激痛が走る。だが、それ以上に僕を苛立たせたのは、喉の渇きだった。
水道を捻れば、透き通った水が出る。だが、そんな「清らかな生者の飲み物」を、これから幽霊になろうとする僕が摂取するなど、あってはならない不純物だ。
「……僕を、汚さなきゃ。この世で一番、醜い成分で」
僕はふらつく足取りで、深夜の街へと這い出した。
自販機の清涼飲料水でもない、コンビニのミネラルウォーターでもない。僕が求めていたのは、この街の「排泄」の痕跡だ。
辿り着いたのは、古い雑居ビルの裏手。換気扇から油まみれの熱風が吹き出し、地面には得体の知れない泥濘が溜まっている場所。
雨樋から滴り落ちる、錆と煤が混じった黒い滴。あるいは、ゴミ集積場から漏れ出し、汚泥と化した悪臭を放つ「水」のようなもの。
僕はそれを、空のペットボトルに詰めた。アンモニアと腐敗臭が鼻を突くが、僕の脳はそれを「聖水」として認識した。
部屋に戻り、その泥水を喉に流し込む。
ジャリリ、という砂の感触。舌を刺すような化学物質の苦味。胃が拒絶反応を起こし、喉が焼けつくような痛みに悲鳴を上げる。
「……ぁ、ぐ……は、はは……」
内臓が不浄で満たされる快感に浸りながら、僕は全裸になり、壁に背中を預けた。
膝を不自然に曲げ、重心を首の付け根へと一点に集中させる。
「く、の、字……」
それは、吊られた瞬間に脊椎が引き伸ばされ、それでいて膝が地面を求めて折れ曲がる、生と死がせめぎ合う究極の曲線。
窓ガラスに映る自分のシルエットは、泥水で汚れた口元を歪ませ、骨と皮ばかりの異形へと変わりつつあった。
ピコン
床で光るスマホの画面。結衣さんからのメッセージ。
『結衣:佐藤くん! さっき講義で面白いこと聞いたよ。「人間は死ぬ間際、一番大切な人のことを思い浮かべる」んだって。佐藤くんは誰を思い浮かべる? 私はね、ヒミツ(笑)』
一番大切な人。
僕は震える足で、その無垢な言葉を見下ろした。
結衣さん。君の言う「大切」は、温かな思い出の整理整頓だろう?
でも、僕が死ぬ間際、君を思い浮かべるのは、君の精神に「僕」という消えない泥水を流し込むためだ。君が一生、清らかな水を飲むたびに、この汚物塗れの僕の顔を思い出して吐き気を催すようにするためだ。
僕は返信をせず、再び腰を落とした。
限界まで曲げた背骨の節々が、パキパキと小気味よい音を立てる。不浄な水分が、血と共に全身を巡り、僕という「素材」を腐敗へと近づけていく。
十六日後。
このポーズは、完成する。
僕は意識が朦朧とするまで、その「不自然」を演じ続けた。
部屋には、泥水の混じった僕の荒い吐息と、骨が軋む音だけが満ちていた。
【記録:第12日目】終了
現場の遺体は、死後硬直が解けた後も、関節が不自然に固定されていた。また、胃の内容物からは、多量の砂利、錆びた金属片、そして極めて高濃度の汚水成分が検出された。彼は死の約2週間前から、身体の造形を固定する訓練と並行し、意図的に生命維持に寄与しない有害物質のみを摂取することで、内臓から「生者としての機能」を破壊し始めていたと考えられる。




