16日目
世界は、あまりにもうるさすぎた。
この六畳一間を「外側」から完全に切り離された聖域にしておく必要があった。
第16日目。死の、十二日前。
今日の課題は、【静寂の確保と、遮断】
幽霊になるための修行には、凄まじい絶叫と、肉体が損壊する不快な音が伴うことを僕は予感していた。
指を折り、針金で肉を縛り、喉の奥で鉛を噛み砕く。その音を隣人に聞かれ、警察を呼ばれては、僕の「羽化」は台無しになってしまう。
僕はホームセンターで大量に買い込んできた「吸音材」と「厚手の遮光カーテン」を、まるで儀式の祭壇を作るような手つきで壁に貼り付けていった。
ペタ、ペタ、と接着剤を塗る音が、誰もいない部屋でやけに大きく響く。
壁の一面を灰色のスポンジが覆うたび、外を通る車の走行音や、隣の部屋のテレビの音が遠のいていく。
それはまるで、僕がゆっくりと地中深くへ埋められていくような、奇妙な安堵感をもたらした。
「……よし。これで、僕がここで何をしても、誰も助けに来られない」
僕は窓の隙間に、さらに隙間テープを何重にも貼り付けた。
光を遮り、空気を閉じ込め、音を殺す。
ピコン。
遮断されたはずの静寂の中に、スマホの通知音だけが鋭く入り込んでくる。
『結衣:佐藤くん、お疲れ様! 明日の買い物、楽しみにしてるね。13時に駅の噴水前で待ち合わせで大丈夫かな? 久しぶりにお出かけできるの、すごく嬉しいよ!』
嬉しい。お出かけ。
僕は彼女の明るい言葉に触れるたび、指先にこびりついた接着剤の冷たさを確認した。
結衣さん、君が明日僕を連れ出そうとしている世界は、もう僕には眩しすぎるんだ。
僕は今、この部屋を「君さえも入れない箱」に作り替えている。
十二日後、君がこの部屋の異変に気づいてドアを叩くとき、この吸音材は君の悲鳴さえも、僕という完成した幽霊への「子守唄」に変えてしまうだろう。
僕は返信を打つ。
「楽しみだね。明日は、君に似合うものを一緒に探そう」
似合うもの。
十二日後に彼女がこの部屋で見ることになる、「絶望」という名のドレスのことでもある。
作業を終えた部屋は、耳の奥が痛くなるほどの静寂に包まれていた。
僕はその無音の重みの中で、一人、まだ鏡のない壁を眺め続けた。
十二日後の僕が、そこで逆さまになって笑っているような気がして。
【記録:第16話】終了
現場の状況:壁一面に貼られた吸音材により、異臭の漏洩が数日間遅れたことが判明。また、管理会社には「隣の部屋が最近静かすぎて不気味だ」という相談が、事件の10日ほど前に寄せられていた。




