20日目
部屋が、少しずつ「無」に近づいている。
僕は僕自身の「過去」という名の腐肉を、骨から削ぎ落とすことにした。
第20日目。死の、八日前。
今日の課題は【情報の初期化と、足跡の抹消】
幽霊には過去など必要ない。あるのは「執着」という一点で凝固した、今この瞬間の鮮烈な断面だけだ。
僕はクローゼットの奥から古いアルバムを引っ張り出した。
数日間、あの廃病院のパンを飲み込み続けているせいで、指先は常に細かく震え、爪の間にはどす黒い内出血が滲んでいる。
入学式、修学旅行、成人式。
写真の中で笑っている「佐藤くん」の顔が、ひどく滑稽で、汚らわしいものに見えた。
僕はカッターの刃を出し、写真の中の僕の顔を、一枚ずつ丁寧に抉り取った。
シュッ、シュッ。
切り抜かれた「顔」たちは、ゴミ箱の中で、剥がされたばかりの痂のように重なり合っている。残された写真は、首から上が黒い空洞になった友人たちが、死の背景と並んでいる無惨な景色へと変わった。
「……これで、誰も僕を、人間として思い出せなくなる」
胃の奥から、例の「パン」と胆汁が混ざった粘り気のある何かが、喉元までせり上がる。
僕はそれを無理やり飲み込み、パソコンを立ち上げた。
クリック一つで、数年分の記憶がデジタルの塵へと消えていく。SNSのアカウントが消滅するたび、僕という存在が世界から「切り取られていく」快感があった。
最後に、僕はスマホの画像フォルダを開いた。
そこには、結衣さんと二人で撮った写真が、たった一枚だけある。
ピコン
スマホが震える。通知画面に、呪いのように彼女の名前が躍る。
『結衣:佐藤くん、おはよ! こないだ貸したノート、返却は急がないからね。それより、無理してないか心配。今日、もし元気だったらランチしない?』
ランチ。中庭。光。
ノート。
その言葉を読んだ瞬間、激しいめまいが襲った。
僕は彼女の「善意」を拒絶するために、そのツーショット写真を迷わず削除した。
画面から彼女の笑顔が消え、僕の顔も消えた。
ごめんね、結衣さん。
僕は君のスマホの中に残っているはずの「僕の顔」も、今すぐこの爪で掻き消してやりたいくらいだ。
でも、それはできないから。
代わりに、八日後、僕はこの部屋で「誰でもない、ただの折れ曲がった物体」として君を待つ。
暗転した画面に、今の僕の顔が映る。
不潔なパンを食い続けたせいで口角は荒れ、唇からは黄色い体液が滲んでいる。
僕は、彼女への返信を打たずに、スマホを床に叩きつけた。
殺風景な壁が、僕の「社会的な死」を静かに祝福していた。
「……あと、八日」
僕は、ゴミ箱の中に嘔吐をし「切り抜かれた顔」と混ぜ合わせた。
彼らはもう僕じゃない。
八日後、僕は鏡の中で、無限に増殖する「くの字の怪物」へと生まれ変わる。
【記録:第20日目】終了
遺品整理の際、被害者の部屋からは顔の部分だけが徹底的に切り抜かれた数千枚の写真が発見された。また、被害者のPCおよびスマホからは、データ復旧が不可能なレベルでの削除処理が施されており、彼が自らの存在を「観測不可能な空白」へと追い込んでいたことが判明している。ゴミ箱からは、何らかの塊が酷い悪臭を放つっていた。




