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婚約者を奪われ『影の侍女』と蔑まれた私ですが、辺境で覚醒し国を救う救世主となりました。今さら『家族』とすり寄られても困ります  作者: jnkjnk


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第2話:辺境での覚醒と光

王都を追放されてから、どのくらいの月日が流れただろうか。

私はひたすら北へと歩き続けていた。

目指したのは、王国の最北端に位置する辺境の地、ノースガルド。

そこは魔物の脅威に晒され続ける過酷な土地だが、同時に実力主義が徹底されており、身分や過去を問わずに受け入れるという噂を耳にしたことがあったからだ。


所持金は尽きかけ、履き慣れた革靴は底がすり減っている。

それでも、私の足取りは不思議と重くはなかった。

屋敷にいた頃、心にのしかかっていた鉛のような重圧が消え失せていたからだ。

誰にも罵倒されず、誰の目も気にせず、ただ自分の意思で一歩を踏み出す。

その単純な行為が、これほどまでに尊いものだとは知らなかった。


「……ここが、ノースガルドへの入り口……」


目の前に広がるのは、荒涼とした荒野と、その先にそびえ立つ険しい山々。

風は鋭い刃のように冷たく、頬を切り裂くようだ。

王都の温暖な気候とはまるで違う。

ここから先は、人の領域と魔の領域が曖昧に混ざり合う場所。


ふと、背筋に悪寒が走った。

影魔法の使い手である私は、気配に敏感だ。

風の音に混じって、獣の唸り声のようなものが聞こえる。

それも、一つや二つではない。


「グルルル……」


岩陰から姿を現したのは、体長二メートルはある巨大な狼だった。

影狼シャドウウルフ』。

漆黒の体毛を持ち、影に紛れて獲物を狩る、辺境特有の危険な魔物だ。

一匹、また一匹と数が増えていく。

気づけば、私は五匹の影狼に包囲されていた。


(魔物……! 私のような人間が、一人で太刀打ちできる相手じゃない……)


恐怖で足がすくむ。

私はこれまで、屋敷の掃除や結界の維持に魔法を使ってきただけで、戦闘経験など皆無だ。

ここで終わりなのだろうか。

自由を手に入れたと思った矢先に、名もなき死体として朽ち果てるのか。


「……嫌よ」


震える唇から、言葉が漏れた。

あの家を出る時、私は誓ったのだ。

もう誰の道具にもならない。私自身の人生を生きるのだと。

こんなところで、あんな人たちの嘲笑通りに野垂れ死ぬわけにはいかない。


「ガアッ!」


一匹の影狼が、鋭い牙を剥き出しにして飛びかかってきた。

死の恐怖が迫る中、私の意識は極限まで研ぎ澄まされた。

世界がスローモーションに見える。

狼の影が、地面に伸びているのが見えた。


(影は……私の味方!)


「止まって!」


私は叫びながら、本能的に両手を突き出した。

瞬間、私の影が爆発的に膨張し、黒いつたとなって地面をはしる。

それは飛びかかってきた狼の影に絡みつき、実体をも縛り上げた。


「キャンッ!?」


空中で縫い留められたように、狼の動きが止まる。

それだけではない。

私の意思に呼応するように、地面から無数の『影のとげ』が突き出し、残りの狼たちを威嚇するように取り囲んだ。

殺傷能力を持った、物理的な影の具現化。

屋敷では「掃除」のためにしか使わなかった力が、明確な「武器」として顕現した瞬間だった。


狼たちが怯えて後ずさる。

その時だった。


「ほう、見事なものだ」


凛とした、よく通る声が荒野に響いた。

狼たちが一斉に警戒心を露わにし、私への包囲を解いて逃げ去っていく。

魔物さえも恐れさせるほどの強烈な覇気。

声のした方へ視線を向けると、一頭の黒馬に跨った騎士が丘の上に立っていた。


風になびく銀色の髪に、氷のように冷たくも美しい蒼穹の瞳。

身に纏っているのは、王国騎士団の紋章が入ったマントだが、その装飾は明らかに一般の騎士とは異なる高貴なものだった。


「影狼の群れを、たった一人で、しかも無傷で制圧するとは。……そなた、何者だ?」


彼は馬から軽やかに降りると、私の前へと歩み寄ってきた。

近くで見ると、息を呑むほどに整った顔立ちをしている。

けれど、ギルバート様のような甘さはなく、研ぎ澄まされた剣のような鋭さを感じさせた。


「私は……エリスと申します。ただの旅人です」

「ただの旅人が、あれほどの高密度な空間制御魔法を使うわけがない。あれは単なる影魔法ではないな。影を媒介にして、座標そのものを固定していた」


彼は私の魔法の本質を、一目見ただけで見抜いてしまった。

空間制御。

それは伝説上の大魔導師しか使えないとされる、失われた魔法技術の一つだ。

カミラ義母からは「陰気なドブ掃除の魔法」と罵られていた力が、そんな高尚なものだなんて。


「私はレオナルド。この辺境を守る騎士団の団長を務めている。……エリス、そなたに行く当てがないのなら、我々の砦に来ないか?」

「え……?」

「その力、埋もれさせるには惜しい。我々には、そなたのような『影』を御する人材が必要なのだ」


レオナルドと名乗った彼は、第二王子その人だった。

王位継承権を持ちながら、自ら志願して最前線の辺境へと下った「剣の王子」。

そんな雲の上の存在が、ボロボロの服を着た私に手を差し伸べている。


「私で、よろしいのですか? 私は……家族に捨てられた、不吉な女です」

「不吉? 愚かなことを。その力は多くの命を救う『守護の盾』になり得る。私は家柄も過去も問わない。欲しいのは、そなたの実力と意志だ。……どうだ、私の背中を預けるパートナーになってはくれないか?」


真っ直ぐな瞳だった。

そこには、私を値踏みするような色はなく、純粋な敬意と期待だけがあった。

胸の奥が熱くなる。

誰かに必要とされること。

「掃除係」としてではなく、一人の人間として、能力を認められること。

それがこんなにも嬉しいことだとは。


私は震える手で、彼の手を取った。


「……はい。私で役に立つなら、喜んで」


その日、私は「影の侍女」を卒業し、辺境騎士団所属の「影の魔導師」として生まれ変わった。


***


それから一年。

辺境砦での生活は、私にとってめまぐるしくも充実した日々だった。


「エリス様! 東の結界にほころびが!」

「分かったわ、すぐに塞ぐ!」


私は砦の城壁の上に立ち、影魔法を展開する。

かつて屋敷の床を磨いていた繊細な魔力操作は、今や巨大な砦全体を覆う不可視の防壁となっていた。

私の影は、魔物の侵入を阻むだけでなく、接近を感知するレーダーの役割も果たしている。

おかげで、騎士団の負傷率は劇的に低下し、砦の防衛力はかつてないほど強固なものとなっていた。


「助かったよ、エリス。君が来てからというもの、夜の見張りが随分と楽になった」

「本当だぜ。以前はいつ魔物が壁を越えてくるかヒヤヒヤして眠れなかったが、今じゃエリス嬢の『影のゆりかご』があるからな。安心して眠れる」


屈強な騎士たちが、口々に感謝の言葉をかけてくれる。

最初は女性である私を侮っていた彼らも、今では仲間として、そして命の恩人として接してくれていた。

支給された制服は、動きやすいパンツスタイルに、深い藍色のマント。

鏡に映る私は、以前のように伏し目がちではなく、しっかりと前を見据えていた。

肌艶も良くなり、自分で言うのもなんだが、以前とは見違えるほど健康的になったと思う。


「エリス」


執務室に呼ばれて顔を出すと、レオナルド殿下が書類から顔を上げた。

この一年、私は彼の補佐官としても働いていた。

私の影魔法は、書類の整理や情報収集にも応用が利くため、彼は私を重宝してくれたのだ。


「お呼びでしょうか、殿下」

「二人きりの時はレオナルドでいいと言っているだろう。……これを受け取ってくれないか」


彼が差し出したのは、小さな小箱だった。

開けると、そこには夜空を切り取ったような、深い青色の宝石がついた髪飾りが収められていた。

サファイアだ。それも、最高級の。


「これは……?」

「君がこの砦に来て一年になる。その記念だ。……君の瞳の色によく似ていると思ってな」


彼は少し照れくさそうに視線を逸らした。

冷徹な指揮官である彼が、こんなふうに個人的な贈り物をしてくれるなんて。

心臓がトクトクと音を立てる。

ギルバート様からは一度も貰えなかった、心のこもった贈り物。


「……ありがとうございます。大切にします」

「ああ。君は私の……いや、この国にとってなくてはならない『光』だ。影を操る君が、皮肉にも我々にとっての希望の光になっているとはな」


彼は優しく微笑んだ。

その笑顔を見るたびに、私は思う。

あの時、追放されて本当によかった、と。

あのまま屋敷にいたら、私は一生、自分の価値を知らずに枯れていっていただろう。

今、私はここにいる。

必要とされ、愛され、自分の足で立っている。


***


一方、その頃。

王都のバーネット侯爵邸では、異様な光景が広がっていた。


「キャアアアッ! 何なのよこれえぇぇ!」


早朝から、マリアベルの絶叫が屋敷中に響き渡った。

彼女の豪華な寝室は、見るも無惨な状態になっていた。

天井の隅には黒々としたカビが広がり、壁紙は湿気で剥がれ落ちている。

そして何より、彼女が大切にしていたシルクのドレスが、クローゼットの中で虫に食われ、穴だらけになっていたのだ。


「どうなってるのよ! メイド! 掃除はどうなっているの!」


マリアベルが呼び鈴を激しく鳴らすが、誰も来ない。

それもそのはず、屋敷のメイドたちは次々と辞めていってしまったからだ。

エリスがいなくなってからというもの、屋敷の汚れ方は尋常ではなかった。

どんなに磨いても翌日には埃が積もり、原因不明の悪臭が漂い、厨房にはネズミが走り回る。

「呪われた屋敷」と噂され、使用人たちは恐れをなして逃げ出したのだ。


「ママ! どうにかしてよ! 私のドレスが全滅よ!」


泣きついてきたマリアベルに、カミラ夫人も苛立ちを隠せない様子で応じる。

彼女自身、自慢の肌が荒れ始め、目の下には濃いクマができている。

夜な夜な、何かが這い回るような音に悩まされ、まともに眠れていないのだ。


「うるさいわね! 新しいのを買えばいいじゃないの。……それにしても、最近のメイドは質が悪すぎるわ。あの陰気なエリスでさえ、掃除くらいは完璧にこなしていたというのに」


カミラは無意識にエリスの名前を出して、ハッとした。

そういえば、エリスがいた頃は、こんなことは一度もなかった。

屋敷はいつも清潔で、空気は澄んでいて、花瓶の花はいつまでも枯れなかった。

あれは、メイドたちが優秀だったからだと思っていたが、まさか……。


「……いえ、そんなはずはないわ。あの子はただの役立たず。不吉な影を持ち込む疫病神だったのよ。あの子がいなくなって、屋敷は清浄になったはずなのに」


自分に言い聞かせるように呟くが、現実は残酷だ。

食堂へ行くと、父である侯爵と、婿入り予定のギルバートが沈んだ顔で食卓を囲んでいた。

テーブルクロスの端は黄ばみ、出されたスープからは、なんとなく酸っぱい臭いがする。


「……おい、このスープ、味が変だぞ」


ギルバートがスプーンを置いて顔をしかめた。


「食材の保管庫が壊れたらしくて……冷やす魔道具が動かなくなってしまったのよ」


カミラが言い訳をするが、ギルバートの表情は険しい。


「最近、この屋敷はどうなっているんですか? 庭園のバラは全滅し、池の水は腐り、廊下を歩けば床がミシミシと鳴る。……正直、ここにいると気分が悪くなる」


ギルバートはハンカチで鼻を押さえた。

かつては王都一美しいと称えられた侯爵邸の面影は、もはやどこにもない。

きらびやかだったシャンデリアは薄汚れ、光を失っている。


「ギルバート様、そんなこと言わないでくださいまし! 私が『光魔法』で浄化しますわ!」


マリアベルが立ち上がり、杖を振るう。

キラキラとした光の粒子が舞い散るが、それは一瞬部屋を明るくするだけで、染み付いた汚れや臭いを取り除くことはできない。

むしろ、光に照らされたことで、壁のシミや床の汚れが際立ってしまい、余計に惨めさが増した。


「……もういい、やめてくれ」


ギルバートが疲れたように制止する。

最近、彼は家に帰りたがらないことが増えた。

マリアベルの「光」は美しいが、生活の役には立たない。

彼が求めていた快適で優雅な貴族生活は、エリスという「土台」があって初めて成立していたものだったのだ。


「旦那様、どうにかしてくださいよ。修繕費がかさんで、もう予算が……」


カミラが夫にすがるが、侯爵は虚ろな目で宙を見つめている。


「……夢を見るんだ。毎晩」

「夢?」

「黒い霧が、屋敷を飲み込む夢だ。そして、誰かが言っている。『守護は去った。代償を払え』と……」


侯爵の顔色は土気色で、かつての威厳はない。

彼は薄々気づき始めていた。

自分が追い出した娘が、単なる使用人ではなく、この家の繁栄を支える守護者であったことに。

だが、プライドがそれを認めることを拒絶している。

認めてしまえば、自分たちの愚かさを直視することになるからだ。


「そんなのただの悪夢よ! きっとエリスが、どこかで私たちを呪っているに違いないわ!」


マリアベルがヒステリックに叫んだ。


「そうよ、そうに決まっている! あの陰気な女が、影魔法で嫌がらせをしているのよ! 許さない、見つけ出したらただじゃおかないわ!」


彼女たちは責任をエリスに転嫁することで、精神の均衡を保とうとしていた。

しかし、屋敷の崩壊は止まらない。

壁のひび割れは日に日に大きくなり、バーネット侯爵家の権威とともに、音を立てて崩れ落ちようとしていた。


遠く離れた辺境で、エリスがサファイアの髪飾りをつけて幸せに微笑んでいることなど、知る由もなく。

光と影の立場は、完全に逆転していた。

そして、その報いは、これだけでは終わらない。

王都を揺るがす未曾有の危機が、すぐそこまで迫っていたのである。

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