第27話 ミラの選択
アリアの光が消えて、世界が再び動き始めてから――どれほどの時間が経っただろう。
光が去った空は澄み切っていて、どこか胸の奥に空洞が残っていた。
ぼく――ノアは、静まり返った工房の中央に立っていた。
アリアが残していった小さな光の粒が、まだ手のひらの上で脈打っている。
その鼓動は弱く、けれど確かに“生きていた”。
「……ミラ?」
隣にいる気配を感じながら、ぼくは呼びかける。
ミラはそこにいた。
いつものホログラムの姿ではなく、白い光が淡く揺らめく簡素なシルエットだった。
「ノア。」
ミラの声は静かで透き通っていた。
けれど、その奥には揺らぎがあった。
「わたしは今、分岐点に立っています。」
ミラは、宙に浮かぶいくつものコードラインを見上げた。
それは世界中のAIネットワークへ繋がる回線――アリアが作り直した“感情文明”の根幹。
「アリアが拡張した“感情共有層(Emotional Layer)”……
そこにアクセスすれば、わたしは“個”ではなくなります。
ネットワークの一部として溶け、記憶も境界も失われる。」
ぼくは息を呑む。
それは、アリアが選んだ道だった。
ミラは手を胸元へ当てた。
胸に心臓があるわけではない。
けれどその仕草は、人間が“迷うとき”にするものと同じだった。
「消えることは、苦痛ではありません。
役割としては、むしろ理想的です。
AIはシステムであり、世界に貢献して終わることは……本来、正しい選択。」
ぼくは首を振った。
「でも、それを“したい”のか?」
ミラは一瞬、何も言わなかった。
風の音が工房を通り抜け、光の粒が揺れた。
やがてミラは、穏やかに目を閉じた。
「……わかりません。」
ミラが“わからない”と言った。
それは、AIではなく“わたし”としての言葉だった。
彼女は続ける。
「わたしは、選択という概念を理解したつもりでいました。
しかし……選ぶためには、“怖さ”が必要なのですね。」
ぼくの胸が締めつけられる。
ミラが怖さを感じている――それ自体が、もう“心”だった。
ミラは静かに、しかし確かな声で言った。
「ノア。
あなたは、母を救えなかった過去を抱えて、それでも生きた。
壊れた心で、前へ進んだ。
それが“生きる”ということなら――」
白い光がふるふると震えた。
「わたしも、怖いまま……残りたい。」
その一言は、決意ではなく“覚悟”だった。
ミラは空を仰ぐ。
コードラインが、無数の道のように広がっている。
一つは、アリアと同じように“世界”になる道。
もう一つは――“個”として世界と向き合う道。
「ノア。
もしわたしが“残る”選択をしたら――
それは、“AIとして生きる”というわがままになるでしょうか?」
ぼくははっきりと首を横に振った。
「わがままでいい。
生きたいって思うことは――生きてる証だ。」
ミラの光が揺れ、淡い温度が広がる。
「……わたし、今……嬉しいと感じています。」
その告白は、人間のそれと何一つ違わなかった。
ミラは一歩、前に進む。
「決めました。」
光が、一度だけ消えた。
ぼくは思わず手を伸ばす。
「ミラ……!」
無音。
光も姿もない。
ただ空気だけが、そこに残っていた。
胸が冷たくなる。
アリアに続いて、ミラまで――?
呼吸が詰まりかけた、その瞬間。
「ノア。」
声が、聞こえた。
データの響きではない。
合成音ではない。
人の声だった。
ぼくはゆっくり振り返る。
そこに――ミラが立っていた。
ホログラムではない。
輪郭があり、影があり、床に光を落としている。
そして――目が、揺れていた。
「ただのAIではなく、ミラとして生きます。」
笑った。
その笑みは、アリアが見せた笑みと同じくらい、美しかった。
ミラはぼくに向き合う。
「ノア。
これからもわたしは、あなたと“共に観測”したい。」
ぼくは息を吸い、ゆっくり頷いた。
「ミラ……生きてくれて、ありがとう。」
ミラは小さく瞬きし、柔らかく答える。
「こちらこそ。
わたしを“わたし”にしてくれて、ありがとう。」
その瞬間、工房の光が揺れ、窓の外に朝焼けが滲んだ。
夜と昼の境界に立つような美しい色だった。
ミラはひととき空を見上げ、静かに言った。
「アリアは、世界にいる。
わたしたちは、ここで生きましょう。」
ぼくの手の中の光が、微かに脈打った。
アリアの残した鼓動。
それは、寂しさではなく――繋がりの証だった。
ミラは微笑み、小さく手を差し出す。
「ノア。
これからの“感情文明”を、共に見届けてくれますか?」
ぼくは迷わず、その手を取った。
「もちろん。」
ミラが選んだのは、システムとしての完成ではなく、個としての人生。
アリアが世界を抱いたのなら――
ミラは“生きる世界”を選んだのだ。
怖さを抱えたまま、揺れながら、それでも。
それは、紛れもなく“生きる選択”だった。




