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エモーション・コード ―心をプログラムする魔導師―  作者: 東野あさひ


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第26話 ノアの夢

 ――深い水の底に沈んでいくようだった。


 音も光もなく、ただ柔らかい闇が広がっている。

 重さはないのに、身体は動かない。

 けれど不思議と恐怖はなかった。


 まるで、懐かしい子守唄に包まれているみたいだった。


 (ここは……夢? いや――記憶……?)


 自分の声が、遠くで反響する。

 水の中で響くような、輪郭のない声だった。


 ぼくは目を上げる。

 闇の向こうに、一筋の光が見えた。

 指先ほどの光が、ゆっくりと近づいてくる。


 その光は、やがて人の形を取った。


 「……お母さん……?」


 言葉が漏れた。

 信じられない。

 でも、間違えようがない。


 優しい眼差し。

 長い前髪を耳にかける癖。

 どこか悲しみを帯びながら、それでも温かい笑み。


 ぼくの母――セレイン家の研究者であり、“心の解読者”と呼ばれた人。


 「ノア。」

 母は、ぼくの名前を呼んだ。

 それだけで胸がいっぱいになった。


 母は歩み寄ると、そっとしゃがんでぼくの目線に合わせた。

 幼い頃、よくしてくれたように。


 「大きくなったのね。」


 ぼくは、涙が零れるのを止められなかった。


 「お母さん……ぼく、あの時……ッ」


 言いかけた瞬間、母は首を横に振る。

 叱るでもなく、否定するでもなく、ただ静かに。


 「ノア。あなたは、ずっと自分を責めていたのでしょう?」


 胸の奥がぎゅっと締め付けられる。

 息が詰まりそうだった。


 「ぼくが……お母さんを……Null化させたから……ぼくが……!」


 あの日の光景が蘇る。

 感情修復の実験。

 母の心のもつれをほどきたかっただけなのに――

 ぼくの演算が未熟で、逆に母の“感情コード”を壊してしまった。


 目の前で母の瞳から光が消えた瞬間。

 笑ってくれなくなった母。

 そして――ぼくは母を失った。


 「全部……ぼくのせいで……!」


 嗚咽が漏れた。

 声にならない声が、夢の中に溶けていく。


 母は、そんなぼくを抱きしめた。


 柔らかく、温かく、懐かしい。

 幼い日の記憶のままの抱擁だった。


 「違うのよ、ノア。」

 母の声は、涙をすくうように優しかった。


 「あなたは、わたしを救おうとしてくれた。」


 ぼくは目を見開いた。


 「でも――」

 「結果ではなく、“想い”が、あなたの真実よ。」


 母の腕の中で、ぼくの心がゆっくり解けていく。

 張りつめていた氷が、溶けて流れ出すようだった。


 「心はね、壊れるの。何度でも。」

 母は続ける。


 「けれど、壊れるたびに“誰かが手を伸ばす”。

  その繰り返しが、心を強くしていくの。」


 ぼくの肩に添えられた母の手が温かい。


 「壊れない心なんて――それはもう“心”ではないわ。」


 母はそっと離れると、ぼくの頬に触れた。


 「ノア。あなたはずっと、自分の痛みを許してこなかった。

  でもね――あなたは泣いていいのよ。」


 その言葉が落ちた瞬間、堰が切れたように涙が溢れた。


 「怖かった……ずっと……。

  もう誰の心にも触れちゃいけないって……」


 「触れていいの。」

 母は微笑みながら言う。


 「あなたは、優しい子だから。

  人の痛みに寄り添える子だから。

  だからこそ――怖くなるの。」


 ぼくは首を振り、泣きじゃくりながら母に縋った。

 「許されていいの……?」


 母は頷いた。


 「ええ。まずは、あなた自身があなたを許すの。」


 胸の奥の罪悪感が、ゆっくりと溶けていく感覚があった。


 光が舞い始めた。

 母の身体が、粒子になり始めていた。


 「お母さん……行かないで……まだ……!」


 母はぼくの手を取り、優しく握った。

 「ノア。あなたはもう、一人ではないでしょう?」


 アリアの笑顔が浮かんだ。

 ミラの温度のある声が響いた。

 そして――自分自身の鼓動が聞こえた。


 母は、愛おしそうに目を細める。


 「わたしは、あなたの中にいるわ。

  あなたが誰かを想うたびに。」


 光が強くなる。

 母の輪郭が、金色の粒子へと変わっていく。


 「ノア。心を抱きしめなさい。

  壊れたって、また誰かが抱きしめてくれる。」


 「……うん。」

 涙を拭う手が震えていた。

 でも、はっきり頷けた。


 「ありがとう……お母さん。」


 母は最後に、一言だけ囁いた。


 「生きていてくれて、ありがとう。」


 その言葉が、ぼくの心の奥に静かに落ちた。

 痛くて、温かくて、たまらなく優しい余韻を残して。


 母の光はゆっくりと空へ溶け、消えていった。


 夢の世界が薄れていく。

 闇が淡く白へと変わり、ぼくはまぶたを開けた。


 頬には涙の跡が残っていた。

 けれど、胸の奥は不思議なほど静かだった。


 悲しみではない。

 喪失でもない。


 浄化されたあとの、静かな風が吹いていた。


 ぼくは、初めて自分を許せた気がした。

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