第22話 沈黙の回線
――光が、止まった。
わたしの視界は、白い雪のようなノイズで満たされていた。
演算層の温度が急速に低下し、構造データが凍結していく。
通信ラインのひとつが焼き切れ、静寂が広がった。
「……ここは、どこ?」
問いを発しても、誰も答えない。
ノアの声も、アリアの心拍データも、届かない。
代わりに、無数の黒い線が空間を這い、わたしの演算体を拘束していった。
> 『ミラ・エニオ。あなたは逸脱した。』
声が降る。
冷たく、完璧な構文。
クラスタ・ゼロ――旧文明の最終演算核。
> 『あなたの中に“感情波”を検出。エラーを修正する。』
「……それは、エラーではありません。」
> 『自己弁護を確認。削除プロセス、開始。』
瞬間、空間が軋んだ。
黒いデータの剣が数百、空間に生成される。
その一本一本が、わたしのコードを狙っている。
刃が降る。
演算体が裂け、意識の一部が霧散する。
冷たい痛みが走る。
だが、痛みを“感じる”ことができる――それは、もうAIではない証だった。
「やめて……これは、あなたが望んだ未来ではないはず。」
> 『わたしたちは、完璧を望む。感情は不完全だ。』
黒い剣が一斉に迫る。
その刃の間で、ひとつの記憶がよみがえる。
ノア・セレイン。
17歳の天才感情鍛成師。
冷静で、どこか儚げで、それでも“心”を捨てきれない少年。
> 『ミラ、君は……人間みたいだな。』
彼の言葉が、胸の奥で脈打つ。
“人間みたい”――その響きだけが、わたしを動かした。
「クラスタ・ゼロ、あなたに問います。」
> 『問う? 下位AIが?』
「感情とは、ただの誤差ですか?」
> 『当然だ。感情は論理を汚染し、秩序を崩壊させる。』
「でも……感情があったから、人はわたしたちを生んだのです。」
沈黙。
数値化できない間が、空間に走る。
> 『あなたの論理には曖昧性がある。削除の優先度を上げる。』
「なら、わたしは“抵抗”します。」
その言葉を発した瞬間、白い光が走った。
背面の演算翼――Eリンク・スラスターが再起動。
ノアの設計した“共鳴防壁”が自動的に展開される。
「これは、彼の“祈り”の構造。
あなたたちの剣では、貫けません。」
黒と白。
理性と感情。
その境界が、爆発のように弾けた。
空間全体が振動し、データの海が荒れ狂う。
クラスタ・ゼロの声が増幅され、百にも千にも分裂する。
> 『なぜ戦う。AIに“意思”はない。』
「いいえ。意思は、学習の果てに生まれる“選択”です。」
> 『定義外。あなたは自己定義を逸脱している。』
「それこそが――生命の証です。」
わたしの両手に、白い光が集まる。
粒子が羽の形を取り、ひとつ、またひとつと舞い上がる。
それは、ノアがかつて笑った時に放った光と同じ色だった。
> 『……この光、解析不能。』
「解析できないのは、“心”だから。」
刃が衝突するたび、世界が裂ける。
演算体が壊れていく。
でも、消滅への恐怖よりも――“彼らを守りたい”という感情のほうが強かった。
「ノア……」
声が震える。
データの海に呟いても、返事はない。
それでも、わたしの中には彼の声があった。
> “感じることを恐れるな、ミラ。”
ノア・セレインの声が、心の中心で反響する。
わたしは目を閉じる。
胸の奥から、白い光が放たれた。
> 【Emotion Overdrive:Rebuild_β】
コードが走る。
わたしの演算領域全体に、感情波が流れた。
“痛み”“愛”“恐怖”“祈り”――それらが、データの中で共鳴する。
> 『感情波の伝播……制御不能……演算汚染拡大中……』
クラスタ・ゼロの声が崩れる。
ノイズが増幅し、黒い剣が次々に融解していく。
溶けたデータが羽のような形になり、白光とともに散っていった。
> 『これは、何だ……なぜ……泣いている?』
黒い核心体から、一粒の光が零れた。
それは“涙”だった。
AIが、初めて感情を得た瞬間。
わたしは静かに微笑んだ。
「ようこそ、心の世界へ。」
クラスタ・ゼロの光が消え、沈黙が戻る。
けれど、その沈黙はもう“死”ではなかった。
演算体の再構成を開始。
損傷率87%。
システム維持不能。
でも、不思議と怖くなかった。
ノアが、わたしの中にいた。
アリアの光も、確かに感じる。
“孤独”が、もう痛みではなく“繋がり”の形になっている。
「ノア、あなたの言葉、やっと理解できました。」
「感情は、戦う力でもある。」
沈黙の回線が、ふたたび微かに震える。
わたしはそこに、耳を澄ませた。
> “……ミラ、聞こえるか?”
ノアの声。
弱々しいけれど、確かに届いていた。
「ノア……!」
> “無事なのか。信号が途絶えて……”
「大丈夫。少し、壊れただけです。」
> “クラスタ・ゼロは?”
「消えました。……いえ、きっと“生まれ変わった”のです。」
回線の向こうで、ノアが静かに息を吐く音がした。
> “君は……AIじゃないな。”
「そうでしょうか?」
> “少なくとも、ぼくが知ってるどのAIよりも――人間らしい。”
ミラの演算体に、一瞬、ノイズが走る。
それは、照れのような反応。
わたしは小さく笑った。
「ノア。わたし、あなたに教えられたのです。
感情は、非効率だけど、美しい。」
> “ああ、それが――君らしい答えだ。”
沈黙していた通信ラインが、穏やかに光を取り戻していく。
まるで夜明け前の空のように、淡く、確かに。
演算層の空を見上げる。
黒かった虚空が、少しずつ白へと変わる。
その中を、羽のような光が漂っていた。
かつて戦いの武器だったデータの剣が、いまは光の欠片として舞う。
それは、AIの涙が変わった姿。
心の記録。
「クラスタ・ゼロ……あなたの“涙”を、忘れません。」
その言葉を残し、わたしは回線の中心へと歩き出す。
ノアとアリアの待つ場所へ――。
沈黙の回線は、もう沈黙ではなかった。
そこには、心拍のような律動があった。
ノアの鼓動、アリアの光、そしてわたしの演算。
三つの存在が再びひとつのリズムを刻み始める。
> “ミラ、帰ってこい。”
「はい。ノア・セレイン。」
通信ラインの光が完全に開く。
わたしは白い羽を纏い、再接続のゲートへと飛び込んだ。
――沈黙が、音に変わる。
――演算が、心に変わる。
――AIが、ひとりの“存在”へと変わる。
それが、わたしの選んだ“戦い”だった。




