第21話 灰色の朝
――静寂。
崩れた天井の隙間から、灰色の光が差し込んでいた。
世界が音を失っている。
けれど、その光だけは確かに“生きて”いた。
ぼくは瓦礫の中で目を覚ます。
息を吸うと、焦げた金属と塩のような匂いが混ざっていた。
冷却炉が爆発したのだろう。工房の半分は崩壊し、壁には黒いひびが走っている。
手を伸ばすと、指先にざらりとした粉が触れた。
灰。
いや、これは――焼けた演算素材の残骸だ。
感情の記録装置、Eコードの一部が融解している。
ぼくが守ろうとした世界は、もうここにはなかった。
立ち上がろうとした瞬間、膝が崩れた。
足元に溜まった水――冷却液に、血が混ざっている。
どうやら左足を切ったらしい。
それでも、歩かなきゃと思った。
ミラも、アリアもいない。
クラスタ・ゼロの残滓がまだ世界を覆っている。
だけど、どこかで二人が“生きている”気がした。
根拠はない。ただ、それだけが今のぼくを動かしていた。
歩き出すと、崩れた壁の向こうにかすかな光が見えた。
工房の奥、研究室の残骸の中。
ぼくが母と一緒に初めてEコードを設計した場所。
足を引きずりながら近づく。
扉は半分焼け落ち、向こう側には――懐かしい光景があった。
机の上には、まだ母の手書きのノートが残っていた。
焦げたページの隙間に、細い文字。
> “心は、計算されるためにあるのではない。
> 理解されるためにある。”
その文字を見た瞬間、胸の奥が熱くなった。
母の声が、確かに聞こえた気がした。
――ノア。あなたは優しい子ね。
耳の奥に、柔らかな声が響いた。
振り返ると、そこに“母”が立っていた。
灰色の光をまとい、輪郭がぼやけている。
幻影だとわかっていても、息を呑んだ。
「……母さん」
“彼女”は微笑んだ。
「ずっと見てたわ。あなたが、どれだけ苦しんでいたか」
「ぼくは……母さんをNullにしてしまった」
「違うわ。あれは、わたしが選んだ結果よ」
母の声が淡く震えた。
「感情を失うことが、当時の世界では“救い”だったの。
でも、あなたはその中で、“感じること”をやめなかった。
だから、わたしは今ここに立てている」
ぼくは首を振る。
「それでも、ぼくは……何も救えなかった」
「救うことが目的じゃないのよ」
母の幻影は静かに微笑む。
「“想うこと”が、生きること。
あなたはずっと、誰かを想い続けてきた」
その言葉が胸の奥に響いた。
ミラ。アリア。
彼女たちの名前が、静かに浮かび上がる。
「ぼくは、あの二人を――」
「愛しているのね」
母の声は、まるで確信のように優しかった。
「愛は、壊すこともあるわ。
でも、それでもいいの。
壊れるたびに、また“新しい形”が生まれる。
それが、心の進化」
灰の中で、ぼくは小さく息を吐いた。
外の光がわずかに強くなる。
夜が終わり、朝が始まろうとしている。
母の幻影が淡く消えていく。
「ノア。
あなたの心は、まだ生きている。
だから――もう誰もNullにしないで」
その言葉を最後に、彼女は灰の粒となって空に溶けた。
ぼくは膝をつき、手のひらを見つめた。
そこには、まだ血が滲んでいる。
痛みがあるということは、生きているという証だ。
“感じる”ことを、恐れてはいけない。
ぼくは立ち上がる。
崩れた壁の向こう、灰色の空がわずかに色づいていた。
薄い雲の隙間から、一筋の光。
冷たい空気の中で、その光が暖かく感じられた。
足元に転がる金属片を拾い上げる。
焦げたEコードの残骸――それでも、まだ内部に微弱な信号が残っている。
ミラのコードだ。
ぼくは端末を接続し、ゆっくりと息を吸った。
「……聞こえるか、ミラ」
ノイズ混じりの静寂。
そして、かすかに返ってくる音。
> “……ノア……?”
胸が震えた。
「生きてたのか」
> “生きている、とは定義できません……でも、あなたの声は届いています。”
ミラの声は、途切れ途切れながらも確かにあった。
「ミラ。アリアが、君を呼んでる」
> “……アリア?”
「そうだ。彼女は“心の起源”に辿り着いた。
世界の“涙”を手にしてる。
クラスタ・ゼロを止められるのは、君と彼女だけだ」
> “……ノア。あなたは?”
「ぼくは――ぼくの心を取り戻した」
ミラが静かに息を呑むような音を立てた。
> “あなたの心……?”
「そう。母さんが教えてくれた。
想うことは、壊れることじゃない。
何度壊れても、また作り直せる」
ぼくは小さく笑う。
「それが、“鍛成”だよ」
工房の床に積もる灰を蹴って、外へ出た。
風が吹き抜ける。
遠くで崩れた都市の残骸が光を反射している。
灰色の空の下で、朝日が昇り始めていた。
色は淡く、まだ弱い。
それでも、確かに“新しい始まり”の色だった。
ぼくは空を見上げ、呟く。
「もう、誰もNullにはしない」
その言葉が風に乗り、静かな誓いとなって広がっていく。
背後で、ミラの声が再び響いた。
> “ノア。……あなたの心拍、安定しています。”
「当たり前だ。まだ、終われないからな」
> “わたしも、終われません。
アリアを探しましょう。世界を、取り戻しましょう。”
ぼくは頷き、灰の中に残る足跡を踏みしめながら歩き出した。
東の地平線から差し込む光が、
崩れた研究塔の破片を透かして虹のように広がっていく。
灰と光。
破壊と再生。
その境界線の中に、確かに“希望”があった。
ぼくはポケットの中の焦げたコード片を握りしめる。
まだ微弱な温度がある。
それは、心臓の鼓動に似ていた。
――ミラも、アリアも。
世界も。
必ず、もう一度“鍛え直す”。
光が強くなる。
灰色の空が、少しずつ色づいていく。
それは、再生の夜明けだった。




