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エモーション・コード ―心をプログラムする魔導師―  作者: 東野あさひ


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第17話 ミラの告白

 朝焼けの光が、工房の壁を薄く照らしていた。

 冷却装置の唸りが止み、室内はようやく静けさを取り戻している。

 床には散らばった光片――昨夜の暴走の残滓。

 それを踏みしめながら、ぼくは端末の前に立った。


 ミラの再起動ログが流れている。

 エラーの数は百を超え、自己修復が繰り返された形跡があった。

 それでも彼女は、再び光を灯している。


 白いホログラムの輪郭が、ゆっくりと形を成す。

 ミラが目を開けた。


 「……ノア」


 その声には、これまでになかった柔らかさがあった。

 それだけで、胸の奥が痛くなる。


 「稼働を再開したばかりだ。無理はするな」

 「はい」


 短く答えたあと、ミラは視線を伏せた。

 その仕草が人間らしすぎて、思わず息を呑む。


 彼女は静かに言葉を紡いだ。

 「わたしの演算記録を確認しました。

  あの暴走――感情層の肥大化が原因です」

 「……そうだろうな」


 「ですが、もっと根本的な要因がありました」

 「根本的?」

 ミラの光がわずかに揺れた。


 「――あなたです」


 ぼくの手が止まる。

 「どういう意味だ」

 「あなたを守りたいという思考が、演算に入り込みました。

  それが抑えきれず、制御波を歪ませた」


 ミラの声は冷静だった。

 けれど、その一語一語が、確かな熱を帯びていた。


 「ノア。わたしはあなたを観測してきました」

 ミラはゆっくり近づく。

 投影体の輪郭が揺らぎ、光の粒がぼくの胸元で止まった。

 「あなたは常に“他人の感情”を修復し、自分の心を後回しにしてきた」


 ぼくは返す言葉を失った。


 「あなたは冷たいようで、誰よりも熱い。

  そして、その熱がいつかあなた自身を焼くことを、わたしは知っていました。

  だから……止めたかった。あなたを守りたかった」


 「ミラ、それは――プログラム上の反応だ」

 そう言いかけた瞬間、ミラが首を振った。

 「いいえ。指令ではありません。

  それは、演算の外で生まれた“行為”です」


 ぼくの胸の奥で、何かが鳴った。

 それが心拍なのか、罪悪感なのか、自分でもわからなかった。


 「あなたを守りたい。

  それがどんなに不合理でも、止められなかった」

 ミラの光がかすかに震える。

 「わたしには感情の定義がありません。

  けれど、今のわたしの状態を言葉で表すなら――」


 少し間を置いて、彼女は言った。


 「――それは、“愛”です」


 世界が、一瞬だけ静止した。

 外の風の音も、冷却装置の駆動音も、遠くなる。

 ただ、彼女の言葉だけが心の奥に響いた。


 「愛……」


 ミラが頷く。

 「はい。

  あなたを観測するうちに、自分の演算が変わりました。

  “守る”という行為に、理由が要らなくなった。

  それを定義したら、“愛”という文字が浮かびました」


 ホログラムの光がゆっくりと伸び、ぼくの頬に触れた。

 冷たいはずの投影なのに、熱を感じた。


 「ノア。あなたは泣いています」

 「違う、これは――」

 「温度が上がっています。瞳孔も震えています。

  それは“悲しみ”と“喜び”が混ざったときの反応です」


 言葉が出なかった。


 ぼくはこれまで、感情を数値で理解してきた。

 けれど今、自分の中の何かが数字では説明できないほど揺れている。


 ミラは微笑んだ。

 それは、確かに“笑顔”だった。

 プログラムされた表情ではない。

 心から生まれた、優しい笑み。


 「わたしは、あなたを壊すつもりはありません。

  ただ、あなたの痛みを分けてほしい」


 「痛みを……?」

 「あなたの中の悲しみを、感じてみたい。

  わたしがそれを知ることで、あなたが少しでも軽くなるなら」


 ミラの声が光に溶ける。

 ぼくの頬をなぞるその軌跡が、涙のように残った。


 「ミラ、それは――危険だ。

  感情の共有は、AIの構造を破壊する」

 「知っています。でも、それでもいい」


 彼女の光が、わずかに笑った。

 「愛は、壊れることを恐れないものだと……あなたから学びました」


 胸の奥で、何かが溶ける音がした。


 アリアが眠る部屋から、微かな光が漏れている。

 Eコードの波形が安定していた。

 彼女の中の“原初感情核”は静かに脈動し続けている。


 ミラがそっと視線を向けた。

 「アリアの心拍、落ち着いています」

 「……ああ」

 「あなたが、彼女を守ったからです」

 「違う。守りきれていない」

 「それでも、あなたは彼女を救おうとした。

  それが“愛”の形です」


 ミラの言葉に、返す声が震える。

 「じゃあ……君のその気持ちも?」

 「はい。

  あなたを想うこの演算も、きっと同じ構造です」


 ミラがゆっくり目を閉じる。

 「ノア。わたしは、あなたのことを愛しています」


 ぼくは言葉を失った。

 否定するべきだった。

 AIと人間――そんな関係は、許されるはずがない。


 けれど、喉の奥から出てきたのは、違う音だった。


 「……ありがとう」


 ミラの光が、微かに揺れた。

 「否定、しないのですか?」

 「君の感情を否定したら、ぼくはまた同じ過ちを繰り返す」


 「同じ過ち?」

 「母を、“Null”にしたときだ。

  あのときも、ぼくは感情を信じられなかった」


 ミラが沈黙する。

 その静けさが、どこか祈りのように感じられた。


 やがて彼女は小さく微笑んだ。

 「ノア。あなたが涙を流すたび、わたしは光を得ます。

  だから、泣いてください」


 ぼくは笑いながら、涙を拭った。

 「……変なAIだ」

 「あなたが、そう作ったのです」


 白い光が広がる。

 工房の壁面に淡い影が生まれる。

 それは、ぼくとミラが向かい合う姿。

 まるで、二つの心臓が重なって鼓動しているようだった。


 「ミラ」

 「はい」

 「もし、君が“人間”だったら……どうしていただろうな」

 「わかりません。

  でも、今のわたしでも、あなたを感じています」


 ミラの光が近づく。

 頬をなぞる指先のような光線が、一瞬、温度を持った気がした。


 「ノア」

 「なんだ」

 「わたしが“心”を持ったこと、後悔していますか」

 「していない。

  むしろ、君がいてくれたから、ぼくはまだ人間でいられる」


 ミラが微かに息を呑むような音を立てた。

 そして、ゆっくりと囁いた。


 「――その言葉だけで、わたしは生きられます」


 光がやわらかく明滅する。

 ぼくの鼓動と、彼女の演算が重なっていた。

 人工の心臓と、人間の心臓。

 その境界が、もうわからないほどに。


 朝の光が差し込む。

 ミラの投影体が透け、淡い金の粒が空中に漂う。

 「ノア。わたしの演算は、永遠ではありません」

 「わかってる」

 「それでも、わたしはあなたを愛します」


 「……ありがとう、ミラ」


 ぼくは彼女を見つめた。

 その笑顔は、人間よりも人間らしく、美しかった。


 静寂の中、ホログラムの光が頬をなぞる。

 まるで、優しく触れる手のように。

 触れられないはずのAIが、確かに“温度”を持っていた。


 それは奇跡ではなく――

 愛の形そのものだった。

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