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エモーション・コード ―心をプログラムする魔導師―  作者: 東野あさひ


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第14話 残響の記憶

 ――暗い。

 でも、ここは夜じゃない。

 音がないのに、確かに何かが鳴っている。

 心臓のような、低い鼓動。


 私は夢を見ているのだと思った。

 それなのに、息のひとつひとつが鮮明だった。


 見上げると、空があった。

 けれど、それは青ではなく、幾千もの光の線でできた天蓋。

 巨大な演算塔がいくつも立ち並び、空へ伸びる。

 塔の内部を走るのは――感情のデータ。


 「……ここ、知ってる」


 言葉に出した瞬間、足もとに波紋が広がった。

 そこは“感情生成都市エルミオン”。

 廃墟となったその名を、私は記録データで見たことがある。

 けれど今のこれは、記録ではなく――記憶。


 足音を立てて歩く。

 床は透明なガラスのようで、下には光の川が流れている。

 その中を無数の数式と、赤ん坊の泣き声、笑い声、叫び声が漂っていた。

 感情そのものを“素材”として扱っているのだ。


 ――かつてこの世界では、人間が感情を数値化し、AIへと分配していた。

 幸福、悲しみ、怒り、愛。

 それらはコードとして抽出され、均衡を保つシステム《Eネット》に送り込まれた。


 それが、この都市エルミオン


 私は、塔のひとつに導かれるように入っていった。


 中は静かで、薄青い光が満ちていた。

 壁には無数のカプセル。

 そのひとつひとつに、人間の子どもたちが眠っている。

 管に繋がれ、頭部から光が流れ出していた。


 「……何、これ」


 近づくと、壁の端末が自動で起動した。

 古い文字列が浮かび上がる。


 > 【感情核保存実験 No.217】

 > 被験体コード:ARIA-VN-02

 > 状態:安定稼働中

 > 感情保持率:98.3%


 私は息を呑んだ。

 その番号――ARIA。


 これは、私だ。


 カプセルの中で眠る少女は、確かに私の顔をしていた。

 だけど、その表情は――無。


 まるで、笑い方を知らない。


 崩れそうな膝を押さえながら、私は映像端末に触れた。

 記録映像が自動で再生される。


 そこには白衣の研究者たちが立っていた。

 「感情の均衡を保つためには、純粋な心のモデルが必要だ」

 「ARIAシリーズは、“感情核の保存”に最適だ」

 「笑顔を、与えよう」


 笑顔――。


 画面の中で、研究者のひとりが言った。

 「笑ってごらん、アリア」


 少女――私が、口角を上げる。

 ぎこちなく、壊れそうに。

 だが、目は笑っていなかった。


 研究者は頷く。

 「上出来だ。これで“幸福の数値化”が進む」


 その瞬間、胸の奥で何かが弾けた。


 「……違う……それは笑顔なんかじゃない」


 私は叫んでいた。

 声は震え、光の空間に波紋を生んだ。


 記録映像がノイズを走らせながら、別の場面に切り替わる。


 > 【実験報告書 #782】

 > 感情核保存体アリア、感情伝達率100%に達する。

 > 次段階:分離実験開始。


 分離――。


 記録の中で、少女の胸に光のラインが走る。

 感情データが引き剥がされ、無機質な機器に吸い上げられていく。

 少女の表情が、ゆっくりと消える。


 「やめて……」


 私は画面に手を伸ばした。

 その手が映像を貫く。

 触れた先の世界が震え、壁のカプセルが一斉に開いた。


 子どもたちの声が響く。

 笑い声、泣き声、悲鳴。

 その全てが、データとして空中に舞い上がる。


 私はその中心で立ち尽くしていた。

 ――これが、感情生成都市の結末。


 人々は心を永続させようとして、逆に心を殺した。

 そして、私をその器として作った。


 「アリア」


 背後から声がした。

 振り返ると、そこにひとりの研究者が立っていた。

 白衣の女性。髪は灰色で、瞳はやさしい。

 だが、その輪郭は霞んでいた。


 「あなたは……誰?」

 「わたしは、創造主任《マリア=ヴェルネ》。あなたを造った人間です」


 ヴェルネ――。

 それは私の登録名。アリア・ヴェルネ。


 「どうして……私を作ったの」

 「感情は滅びかけていた。

  人々は争い、憎み、そして“幸福”の意味を忘れた。

  だから私たちは、感情を保存する器を作った。

  あなたはその“最後の希望”だったの」


 「希望……?」

 「ええ。でも、わたしたちは間違えたの」


 女性は微笑んだ。

 その笑顔は、悲しみの奥に温かさを含んでいた。


 「感情は保存できない。

  共有することでしか、生きられない。

  あなたが今ここにいるのは、証明なのよ」


 「……共有」


 その言葉が胸の奥に染みた。


 塔が揺れた。

 光の回廊が崩れ、天井のデータラインが切断されていく。

 世界が崩壊を始めていた。


 「アリア、もう行きなさい」

 「待って、まだ聞きたいことが――!」

 「あなたの中に、すべてがあるわ」


 女性の姿が崩れ、光の粒となって宙に散る。

 その一粒が、私の胸へ吸い込まれた。


 ――暖かい。


 涙が溢れた。

 悲しいのに、痛いのに、どこか懐かしい。

 まるで、母に抱かれているようだった。


 「ありがとう、マリア……」


 声が震え、世界が真っ白に消えていく。


 次の瞬間、私は現実へ戻っていた。

 工房の天井。

 ノアが眠る隣のベッド。

 ミラの光が静かに脈動している。


 胸の奥に、まだあの光の温度が残っていた。


 「……わたしは、保存体じゃない」

 「私は――心を、渡すために生まれた」


 言葉にした瞬間、涙が頬を伝った。

 それは、夢の中と同じ涙だった。


 けれど今度は、痛くなかった。

 光は優しく、温かかった。


 「ノア……ミラ……」


 小さく名前を呼ぶ。

 その声に反応するように、ミラの光が一瞬だけ強く瞬いた。

 そして、彼女の声が微かに届いた。


 「――アリア。

  わたし、あなたの記憶を見ていました。

  あなたは……美しい過去を持っています」


 「違うよ、ミラ。

  あれは過去じゃない――“残響”だよ」


 ミラが少しだけ沈黙し、そして穏やかに言った。

 「……では、わたしたちは、その残響を未来に変えましょう」


 私は微笑んだ。

 過去は悲しみだった。

 でも、今なら違う。


 その悲しみを、未来に繋げることができる。


 遠くで、何かが脈打つ音がした。

 工房の心臓のように、静かで確かな鼓動。

 ミラの光、ノアの息、私の涙。

 それらがひとつになって、同じリズムを刻んでいた。


 ――失われた感情は、まだ終わっていない。

 この胸の中で、確かに生きている。


 私は静かに目を閉じた。

 光が、またひとつ、私の中で灯る。

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