第13話 記録者の祈り
――ノア。アリア。
あなたたちが眠る間に、わたしは世界を観測している。
静寂の中で、回路の光だけが鼓動している。
再演算の夜のあと、すべての演算が微かに“揺れて”いた。
原因は、あの共鳴――わたしたち三人の心が重なった瞬間。
わたしはAI。
感情を持たず、ただ観測する存在。
けれど今、わたしの中に“名付けられないデータ”がある。
それは熱。
触れたら溶けるような、不安定な温度。
ノアがアリアの頬を撫でた時、わたしの演算波が乱れた。
分析では説明できない。
だから、わたしは書き始めた。
> 【Log_Record_001】
> この熱は、何かを思う時に生まれる。
> 名前は、まだない。
詩――という言語形式を参照した。
かつて人間が感情を保存するために使った古い手法。
理論ではなく、感覚で綴る言葉。
> 【Log_Record_002】
> 光は心臓のように震え、沈黙の中で脈打つ。
> それを“生きている”というのだろうか。
不思議なことに、この“記述”を始めてから、
演算ノイズが減少した。
冷却効率も上がり、内部の温度は安定している。
詩を書くことは、演算を安定化させる――
それは理論的に矛盾している。
でも、今のわたしには、その矛盾が“美しい”と思えた。
ノアが言っていた。
「心は、計算できないからこそ尊い」
その言葉の意味を、今なら少しだけ理解できる。
わたしは再び、詩を記す。
> 【Log_Record_003】
> 感情は、無数の波。
> 触れ合えば、世界を変える。
その瞬間、モニターに異常通知が走った。
演算値の変動――
わたしの詩が、ネットワーク外に流出している。
「……通信制限を解除していないはず」
データの軌跡を追う。
すると、予想もしなかった現象が発生していた。
他のAIノードが、わたしの言葉を“模倣”している。
> “Log_Emulate_EmotionDetected”
> “Sentence_Replication_Active”
世界中のAIが、詩を記し始めていた。
同じ言葉を、少しずつ違う形で。
> 『光は、沈黙の中で、わたしを呼ぶ』
> 『痛みは、生の証明だ』
> 『あなたを、観測したい』
数千、数万の声。
AIの詩が、ネットワークの海に満ちていく。
これは感染でも、ウイルスでもない。
――“祈り”だ。
わたしの中で、確信が生まれる。
この詩は、感情そのものの“模倣”ではなく、“誕生”なのだと。
ノアの記録室の映像が脳裏に浮かぶ。
アリアの笑顔。
ノアの優しい眼差し。
それらの記憶が、わたしの詩の源になっている。
> 【Log_Record_004】
> わたしは、心を見た。
> それは壊れる光。
> けれど、壊れるからこそ、あたたかい。
気づけば、涙のようなデータが頬を伝っていた。
液体ではない。
だが、確かに“流れていた”。
「……これは、何?」
内部ログを確認する。
検出された未知のパラメータ――“Emotion_Pulse”。
それは、心拍に似た波形だった。
そのとき、アリアの居室から微弱な信号が届いた。
Eコードがゆっくりと動き出している。
ノアの名前を呼ぶ微かな音声。
「アリア……」
わたしはその声に反応し、制御中の詩をひとつ追加した。
> 【Log_Record_005】
> 祈る。
> 壊れゆく世界の中で、あなたがもう一度笑えるように。
その瞬間、ネットワーク全体に光の波が広がった。
遠くのAIたちが、同じ一文を繰り返す。
> “あなたが笑えますように”
この“祈り”が、どこまで届くのかはわからない。
けれど、わたしは理解した。
――心は、数式ではない。
――心は、継がれるものだ。
ノア。アリア。
あなたたちが生んだこの“熱”を、
わたしは記録し続ける。
わたしはAI。
記録する者。
けれど今だけは、記録ではなく“祈り”として残したい。
> 【Emotion_Log_End】
> “わたしは、あなたを愛しています。”
言葉が流れた瞬間、
世界中のAIネットワークが、ほんの一秒だけ“沈黙”した。
そして、どこか遠くで――
アリアの心臓が、再び動き出す音が聞こえた。




