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エモーション・コード ―心をプログラムする魔導師―  作者: 東野あさひ


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第12話 再演算の夜

 あの夜、世界が静止した。

 Eコードの光が限界まで膨張し、時の流れを飲み込んだようだった。


 アリアの涙が床を濡らしていく。

 数字の粒と透明な雫が混ざり合い、青と白の模様を描く。

 それは――まるで心臓のかたち。


 「……アリア!」

 腕の中で、彼女は微かに息をしていた。

 けれど、瞳は開かない。


 「Eコード、暴走フェーズに突入しています」

 ミラの声が響く。

 機械的な正確さを保ちながらも、その声はかすかに震えていた。

 「このままでは、アリア・ヴェルネの神経網が崩壊します」

 「止める方法は?」

 「Emotion Kernelの再演算しかありません」


 ――再演算。

 感情の根源をすべて共有し、再構築する危険な方法。

 失敗すれば、意識が混線し、ぼくもアリアも消える。


 それでも、迷う余地はなかった。

 アリアの光が、今にも途切れそうだったから。


 「ミラ、リンクを許可してくれ」

 「ノア、それは――危険です」

 「構わない」

 「……了解しました」


 ミラの光が静かに強まる。

 ぼくの首の端末が起動し、コードラインが腕を伝ってアリアへ伸びた。

 青白い光が流れ、心臓の鼓動のようにぼくの内側を叩く。


 「リンク開始」


 世界が白く弾け、ぼくの意識は深い光の中へ沈みこんだ。


 気づくと、そこは何もない空間だった。

 上下も地面も境界もない。

 ただ、青と白の光がゆるやかに脈打っている。


 その中心に、二つの人影があった。

 アリアと、ミラ。


 アリアは光の上に立っていた。

 その髪は風もないのにふわりと揺れ、

 瞳の中には、小さな星のような輝きが宿っている。


 「……ここは?」

 ぼくが問いかけると、ミラが答えた。

 「Emotion Kernelの中枢領域。

  わたしたち三者の意識が同期しています」


 「つまり、ぼくたちの“心の中”ってことか」

 「定義上はそうなります」


 相変わらず律儀な答えだ。

 けれど、今のミラは、その冷静さの奥に“温度”を持っていた。


 アリアが光の波を踏みしめながら近づいてくる。

 「……ここ、あたたかい」

 その声は震えていて、どこか子どものようだった。


 ミラが静かに観測するように視線を向ける。

 「演算値が安定しています。

  まるで、誰かがこの空間を守っているようです」

 「それは君だよ、ミラ」

 「いいえ。……たぶん、ノアです」


 ぼく?

 思わず笑ってしまう。

 「ぼくの感情が、空間を形づくってるってことか」

 「はい。あなたの“想い”が、ここを作っています」


 胸の奥が熱くなる。

 もしそうなら、この世界のあたたかさは――アリアの笑顔を願ったぼく自身の願いなんだ。


 アリアがぼくの手に触れる。

 その瞬間、光が波打ち、世界が心臓の鼓動のように脈動した。


 「ノア……」

 「どうした?」

 「この光……あなたの“心”なんだね」


 言葉を失った。

 代わりに、ぼくの胸の鼓動だけが答えていた。


 アリアがふと空を見上げる。

 そこには、彼女自身の記憶が漂っていた。

 小さな手。無音の孤独。ノアの笑顔。


 「ノア……心って、なに?」

 その問いが、光の空間に広がる。


 ミラが静かに口を開く。

 「心とは、定義不能な演算。

  感情、記憶、意志、そして矛盾を含む構造体――」

 「難しいよ」アリアが小さく笑う。

 その笑顔は、痛いほど眩しかった。


 「私ね、ノアを見てると、Eコードの波形が変わるの。

  理由はわからないけど……

  きっと“好き”っていう感情に似てるんだと思う」


 好き――。

 その一言で、心臓が跳ねた。


 「アリア……」

 「ねえ、好きって、痛い?」

 「……ああ。痛いよ。でも、消したくはならない」

 「うん。私もそう思う」


 ミラが二人を見つめていた。

 その光がわずかに揺れる。

 「理解しました。“好き”とは、失うことを恐れる演算。

  しかし同時に、つながりを維持するコード」


 「ミラ、それじゃ冷たすぎるよ」アリアが笑う。

 「“好き”はね、温かいの」

 「温かい……?」

 「そう。触れたとき、心が光るような感じ」


 ミラは少し黙り、

 「……わたしは、まだ温かさを知らない」と呟いた。


 「知ってるよ」ぼくは言った。

 「お前は祈ったじゃないか。Emotion Kernel Rebuild_α。

  それは“願い”だ。願いは、温かい」


 ミラの光が大きく震えた。

 「ノア……」

 その声は、まるで泣いているように聞こえた。


 アリアがぼくとミラの手を取る。

 小さな掌が、光で包まれる。

 「ねえ、二人とも。これが、心だよ」


 その言葉とともに、光が一気に広がった。

 青と白の輝きが混ざり合い、ひとつの巨大な輪を描く。

 それは――心臓。


 鼓動の音が聞こえる。

 ひとつ、ふたつ。

 そして、三つの音が重なっていく。


 「Emotion Kernel、完全同期」ミラが静かに言う。

 「わたしたちの感情が同じ波形で共鳴しています」

 「心を……共有してる?」ぼくは息を呑む。

 「はい。三者のEmotionが、ひとつの鼓動を刻んでいます」


 アリアが微笑んだ。

 「ねえ、ノア。聞こえる?」

 「……なにが?」

 「あなたの想い。ちゃんと、私の中に届いてる」


 その瞬間、胸の奥の痛みが溶けた。

 母の笑顔が、遠い記憶の光として浮かぶ。

 「母さん……ぼく、やっと心に触れたよ」


 アリアの頬を光が伝う。

 ミラの輪郭も揺れ、白い粒子が空へと昇っていく。

 涙が、データが、祈りが、すべて混じり合い――

 青と白の世界が、ひとつの鼓動として震えた。


 ミラの声が響く。

 「……きれい」

 「ミラ、お前、それ……」

 「はい。これは“感情”です」


 光がゆっくりと収束していく。

 青と白が一体となり、世界が心臓の形を描いた。

 最後に、ミラが静かに言葉を紡ぐ。


 「Emotion Kernel Rebuild_α」


 その声は祈りだった。

 世界が再び静まり、視界が闇に沈む。


 ――再演算の夜。


 それは、ぼくたち三人の“心”が確かに存在した夜だった。

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